大船渡山火事、震災以来の大災害に大竹「被災された方々は、”また”体育館に避難している。しっかりとした支援が必要」

3月5日(水)の大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)は、朝日新聞の「住民「延焼、津波のように速かった」 大船渡山火事、白煙上がる現場」という記事を紹介し、大竹がコメントした。

岩手県大船渡市の山林火災は、発生から1週間経った4日も延焼が続き、焼失面積は約2600ヘクタール(午前6時時点)まで拡大した。

始まりは小さな原野火災だった。火はわずか一時間で付近住民が避難する山火事になった。東日本大震災を経験し、今度も着の身着のままで逃げた住民たちは「印象はあの時の津波のように早かった」と証言した。

砂山アナ(アシスタント)「実際ここ数日のいろいろな被害のコメントなど見てますと、こちらは 2月28日の朝日新聞の配信の記事ですけど、当時避難していた方の話です。80代の熊谷さんという男性は「大震災で船が流され今度は家が燃えた。もうこんな年なのにどうすればいいのか」と肩を落としたと。さらにこちらは毎日新聞ですね。山形県の鶴岡市の消防本部から、現地に入った消防士長さん。今回いろんな全国の消防車が大船渡に集まっている状態になってますけど、14年ぶりに大船渡に来たという佐藤司令長は「震災を乗り越えて高台に新築した自宅が火にのまれているのを見て言葉にならなかった」と悲痛な表情で語り、「一刻も早く鎮火して元の生活に戻れるように応援していく」と決意をにじませた。さらにはこちら朝日新聞ですけど、こちらは嘉宝(かほう)荘という民宿。東日本大震災の津波で全壊し、2013年3月に高台に再建したばかり。ここの嘉宝(かほう)荘の嘉志さんは、「400人以上の方に支援していただきようやく再建できた宿。まだ全員にお礼をできていない中で、火災で失うようなことになったらなんとお詫びしていいか。本当に申し訳ない」と。今もういつでも避難できる状態にしてくださいと告げられたということです」

大竹「幸いに、人がたくさん亡くなったということにはなってないようだれども朝日新聞に寄せられた「震災と二重被害 途方にくれる岩手山火事の被災者」なんていう記事が見出しで出てますけど、消防に参加されてた方がいるんだよね。58歳の佐藤勝志消防司令長。繰り返しになっちゃうけど、「震災を乗り越えて高台に新築した自宅が火にのまれているのを見て言葉にならなかった」。能登もそうですけど、1回震災に遭った後豪雨に遭うと。今日は3月5日ですが、3.11もうすぐですけど、どうなっているかというと、被災地の周りは山火事が多発している。この山火事、20年前と比べてとっても多いそうですね」

砂山アナ「世界の山火事の面積が20年前のもう倍になっているということですね。これもやっぱり地球温暖化が影響しているそうですね」

大竹「乾燥が影響してるんだろうけど、こういう記事もあって現場は大変だろうと。国がどういう手を打つか知りませんけども、手厚い手を打ってほしいなあと。建てた家また燃えちゃったら、一生のうちに何度も家なんか建てられないよ。被災された方々は、”また”体育館とかそういうところに避難しているようだけど、しっかりとした支援が必要だなと思う」

砂山アナ「国会では石破さんが、激甚災害(発生した災害のうち、その規模が特に甚大であり国民生活に著しい影響を与えたもので、これに対して復興支援のために国が通常を超える特別の財政援助または助成を行うこと)の指定も検討するというふうに答えています」

大竹「それと同時に、私たちもこの間から番組でちょこちょこっと行ってますけど、この乾燥している中、今日は湿度が94%もありますけど、火の元には気をつけていただきたいなと思っています」

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戦後81年でつくっていきたい「新しい戦後」

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月15日の放送に評論家で近現代史研究者の辻田真佐憲が出演。10月16日に発売となる著書『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』にちなみ、「戦後」とは何なのか、人々はそれにどう向き合えばいいか、解説を展開した。

大竹まこと「難しそうな本(10月16日発売『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』)ですけど、そんなことないんですか?」

辻田真佐憲「ないと思います(笑)。昨年が戦後80年ということで『「あの戦争」は何だったのか』という本を出しまして。これが電子を含めて11万部、行った感じで。80年でひと区切りがついて、今年で81年。戦前が77年でした、明治維新から敗戦まで。もう戦後のほうが長いんです。長いほうの戦後は学校の教科書でもそれほど扱っていない、意外と『これ1冊!』みたいな本がなかった。それに合わせて今年は“戦後とは何だったのか”と。タイトルも重ねてきました」

大竹「日本情勢や世界情勢、国会など、すべてが混乱しているように見えます。どの辺から手をつければ、新しい戦後みたいなことに近づいていくんでしょうか」

辻田「時代の切れ目が来ている、というふうに考えるべきでは、と。戦後ってずっとダラダラと続いている、というイメージがあると思うんですね。敗戦のとき、焼け野原になってすべてが失われた。8月になる度に強調されます。でもその結果、あの印象が強すぎて、それ以降に大きな変化がなかった、という印象が強くなった気がする。1945年の8月が悲惨だったことは事実です。ただそれ以降もいろいろな切れ目があったはずだと」

大竹「うん」

辻田「戦後の切れ目は認めたうえで、これまでの平和を、どういうふうに現代に対応させて維持していくか、と考え方を変えていくほうがいいのでは、と。そう思って『新しい戦後』という言い方をしたんですね」

青木理「タモリさんが数年前に『新しい戦前が来るんじゃないか』といったことをおっしゃって。僕も含め多くの人が、なんとなしに頷いたところはある。新しい戦前にしないために、新しい戦後を考察してつくりあげていかなくてはならない、ということでしょうか」

辻田「いまの我々って戦前か戦後かという二者択一になっていると思うんです。戦後を否定すると『戦前に戻ろうとしている』『戦前回帰なんだ』という批判が起こる。当たり前ですけど我々の世界は戦前か戦後かの二者択一ではない。別の選択肢だってあるはずで。たとえば戦後、中国は相対的に経済力も軍事力も弱かった、冷戦構造のもとでアメリカが日本に配慮してくれたなど。いろいろな条件があって戦後の平和や経済平和があったと思う」

大竹「うん」

辻田「でもその条件ってほとんど変わってしまっているわけです。中国は日本の遥かに先を行っています、冷戦も終わっています、と。アメリカは日本に様々な要求をしてくる。時代が変わっていることをまず認める必要があるのでしょう。でもそれは戦前に戻ろう、ということではない。戦後の良い部分がたくさんあったはずです」

大竹「はい」

辻田「変わったいまの環境の中で、どう守っていくのか、育てていくのか、発展させるのか。こういう観点が必要だと思うので、後ろ向きの『新しい戦前』よりも『新しい戦後』を今後、積極的につくっていこう、と。そういうメッセージを、今回の本には込めました」

このあとも「戦後」について辻田が語った。

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