与田祐希が単独パーソナリティを務めるラジオ特番『与田祐希のヨダダヨ』が放送決定!

文化放送は、与田祐希がパーソナリティを務める特別番組『与田祐希のヨダダヨ』を、12月9日(火)午後7時00分より放送する。
当番組は、2025年2月に乃木坂46を卒業し、タレント・俳優・モデルとして活動する与田祐希がパーソナリティを務める特別番組。3期生として加入し、およそ8年半にわたり在籍した乃木坂46を卒業後、新たなスタートを切った与田。現在、ドラマ『死ぬまでバズってろ!!』(MBSドラマ特区)で主演を務めているほか、12月にはバカリズム脚本の舞台『ノンレムの窓』への出演が控えているなど、活動の場を広げる注目の存在だ。
番組では、そんな与田の自然体なトークをお届けする。また、“今年、特にお世話になった方”をゲストに招き、この1年の振り返りや来年の展望について語り合う。ゲストについては、後日発表予定。
与田が文化放送の番組に出演するのは、今年2月16日(日)に放送された乃木坂46のレギュラー番組『乃木坂46の「の」』以来、約10ヶ月ぶり。乃木坂46卒業前ラストの出演となったこの日の放送では、MCを務める5期生・菅原咲月と2人で出演し、リスナーからのメールも紹介しながら、乃木坂46での思い出トークに花を咲かせた。そんな与田が、再び文化放送のスタジオから今の素直な心境を等身大の言葉でトークする。
パーソナリティを務める与田祐希は、以下のようにコメントしている。
パーソナリティとして1時間45分という長い番組を担当させていただくことは初めてではありますが、この時間を通して、今まで話していなかった思い出やパーソナルな部分をたくさんお話しできればと思っています。そして、リスナーの皆さんからいただいたメールなども紹介しながら、一緒に楽しい時間を過ごしたいと思っています。さらに、「え、マジで!?」「あの人ですか!?」とびっくりしてもらえるような素敵なゲストも来てくださる予定です! 多分当てることは難しいですが、誰が登場するのか、ぜひ予想しながら楽しみに待っていてくださいね!
番組では、リスナーからのメールを募集中。質問でも、楽しい報告でも、誰にも言えない秘密の相談でも、恋バナでも…内容は自由。メールの宛先は、special@joqr.netとなる。締め切りは11月18日(火)23時59分。(メールの件名に、「与田祐希」と記入)
【特別番組概要】
■番組名: 『与田祐希のヨダダヨ』
■放送日時: 12月9日(火)午後7時00分~8時45分
■出演: 与田祐希
■メールアドレス: special@joqr.net ※件名に「与田祐希」と記入
※推奨ハッシュタグ: #ヨダダヨ
戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験
戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。
江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」
もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。
焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示
館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。
~・~・~・~
昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。
燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。
気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。
私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。
~・~・~・~
二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。
「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。
地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所
「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。