リニア中央新幹線は問題多し。近隣住民は騒音も不安

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、12月4日の放送にジャーナリストの樫田秀樹が出演。1999年から取材を続ける「リニア中央新幹線」工事の現状を語った。

大竹まこと「『最新報告 混迷のリニア中央新幹線』(樫田秀樹の著書。今年9月発売)。混迷しているな、という話はあちこちから聞きます。1冊の本になるぐらいだから、たくさん何かがあるんだろうな、というのはわかります。取材はいつごろからなさっていますか?」

樫田秀樹「最初は1999年。山梨県のリニア実験線が1997年に実験を開始するんです。そのあとに住民の間で『約束ではもう大阪までの工事を行っているはずだ。いつまで経っても始まらない。俺たちはなんのために立ち寄ったんだ』という声が出てきた。それを見に行ったんです。ところが大阪まで、何兆円もかける工事でありながら、取材する人間が誰もいなかった。その事実にビックリしまして」

大竹「1999年からなら26年。長い間、取材を重ねている」

樫田「いまでも取材する人間は片手に余るぐらい。続けなくてはいけない、みたいな使命感は覚えました」

青木理「いま東京-名古屋が1時間半ぐらいじゃないですか。リニアができたら40分ぐらい。便利にはなるけど、そんなに速く移動する価値があるのか、という人間存在の哲学的な問題もある。交通の問題、環境問題、地方を含む政治の問題でもあるし。リニア新幹線の話はいろいろな角度があるから、取材したら尽きないのでは、と思いますね」

樫田「おっしゃるとおりで。鉄道会社として採算性がとれるのか、地域分断を起こさないのか、といった視点もあるんですね。ただ国やJR東海はリニアを通すことで関東圏、中部圏、近畿圏、3大経済圏が1時間内に結ばれる、スーパー・メガリージョン(巨大都市圏)が生まれるんだ、と。ウソか本当かわからない構想を持っているわけです」

大竹「聞いた話ですけど、できたらトンネルばっかり?」

樫田「はい。およそ86%です」

大竹「中は静かなんだけど、外はものすごい音がすると」

樫田「そのとおりです。まさしくいまリニア実験線で1時間に3本ぐらいの割合で走っています。私も先日、騒音測定器を持っていきました。路線から150メートルぐらい離れていても75デシベル、80デシベルと。パチンコ店の中が80デシベルぐらいですから、あれほどの騒音が家に直撃する。実験線の場合は距離が短く、時速500キロを出せる距離も限られるんです。時速300キロ前後で走っていることが多いんですけど、そのスピードでも75、80デシベルは出る」

大竹「はい」

樫田「今後、時速500キロで名古屋から大阪まで走る。いまの実験車両は5両編成です。それが10両編成になる。どれだけの騒音になるのか、ということを(実験線付近の)住民はすごく心配しています」

青木「初歩的なことを聞きますけど、新幹線だって近くは騒音がする。リニアは磁力で浮かぶでしょう。そんなに騒音が出ない気がしますけど、速さによって出てくるんですか?」

樫田「速さです」

このあとも取材をもとに、樫田がリニア工事の実態について解説した。

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戦後81年でつくっていきたい「新しい戦後」

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月15日の放送に評論家で近現代史研究者の辻田真佐憲が出演。10月16日に発売となる著書『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』にちなみ、「戦後」とは何なのか、人々はそれにどう向き合えばいいか、解説を展開した。

大竹まこと「難しそうな本(10月16日発売『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』)ですけど、そんなことないんですか?」

辻田真佐憲「ないと思います(笑)。昨年が戦後80年ということで『「あの戦争」は何だったのか』という本を出しまして。これが電子を含めて11万部、行った感じで。80年でひと区切りがついて、今年で81年。戦前が77年でした、明治維新から敗戦まで。もう戦後のほうが長いんです。長いほうの戦後は学校の教科書でもそれほど扱っていない、意外と『これ1冊!』みたいな本がなかった。それに合わせて今年は“戦後とは何だったのか”と。タイトルも重ねてきました」

大竹「日本情勢や世界情勢、国会など、すべてが混乱しているように見えます。どの辺から手をつければ、新しい戦後みたいなことに近づいていくんでしょうか」

辻田「時代の切れ目が来ている、というふうに考えるべきでは、と。戦後ってずっとダラダラと続いている、というイメージがあると思うんですね。敗戦のとき、焼け野原になってすべてが失われた。8月になる度に強調されます。でもその結果、あの印象が強すぎて、それ以降に大きな変化がなかった、という印象が強くなった気がする。1945年の8月が悲惨だったことは事実です。ただそれ以降もいろいろな切れ目があったはずだと」

大竹「うん」

辻田「戦後の切れ目は認めたうえで、これまでの平和を、どういうふうに現代に対応させて維持していくか、と考え方を変えていくほうがいいのでは、と。そう思って『新しい戦後』という言い方をしたんですね」

青木理「タモリさんが数年前に『新しい戦前が来るんじゃないか』といったことをおっしゃって。僕も含め多くの人が、なんとなしに頷いたところはある。新しい戦前にしないために、新しい戦後を考察してつくりあげていかなくてはならない、ということでしょうか」

辻田「いまの我々って戦前か戦後かという二者択一になっていると思うんです。戦後を否定すると『戦前に戻ろうとしている』『戦前回帰なんだ』という批判が起こる。当たり前ですけど我々の世界は戦前か戦後かの二者択一ではない。別の選択肢だってあるはずで。たとえば戦後、中国は相対的に経済力も軍事力も弱かった、冷戦構造のもとでアメリカが日本に配慮してくれたなど。いろいろな条件があって戦後の平和や経済平和があったと思う」

大竹「うん」

辻田「でもその条件ってほとんど変わってしまっているわけです。中国は日本の遥かに先を行っています、冷戦も終わっています、と。アメリカは日本に様々な要求をしてくる。時代が変わっていることをまず認める必要があるのでしょう。でもそれは戦前に戻ろう、ということではない。戦後の良い部分がたくさんあったはずです」

大竹「はい」

辻田「変わったいまの環境の中で、どう守っていくのか、育てていくのか、発展させるのか。こういう観点が必要だと思うので、後ろ向きの『新しい戦前』よりも『新しい戦後』を今後、積極的につくっていこう、と。そういうメッセージを、今回の本には込めました」

このあとも「戦後」について辻田が語った。

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