「女系天皇の道を封じたことが一番大きい」皇室典範改正案について解説

寺島尚正アナウンサーがパーソナリティを務めるラジオ番組『おはよう寺ちゃん』(文化放送・月曜日~金曜日 午前5時00分~9時00分)が7月10日に放送。金曜コメンテーターで郵便学者の内藤陽介氏と、皇室典範改正について意見を交わした。

寺島「皇族数の確保策を盛り込んだ皇室典範改正案は、今日、衆議院議院運営委員会で審議入りし、今日中に衆議院を通過します。国民民主党がきのう、賛成を決め、今の国会で成立する公算が大きいのですが、野党内では、旧宮家の男系男子と皇族との養子縁組の制度化になお異論が強く、審議で批判が集まる可能性が高いといいます。与党は衆議院で過半数を確保していて、改正案は可決されて参議院に送付されます。与党は13日の週に参議院で審議入りし、会期末の17日までに成立させる方針です。改正案は、女性皇族が結婚後も皇室に残ることや、1947年に皇室を離れた旧11宮家の男系男子と皇族との養子縁組を可能にすることが柱となります。皇室典範の改正案ですが、内藤さん、改めてこのあたりはどうご覧になりますか?」

内藤「内容的にはいろいろ問題あるにしても、最低限のところはクリアしたのかなと。やっぱり女系天皇の道を封じたことが一番大きいですよね。日本の天皇というのは、普通の国の君主と違って、神道の宗教上の長という意味もありますので、可能な限り男系男子を維持するということが大事だと思うんですよね。そうじゃないと王朝変わっちゃいますから。女系ということは皇族の女性と一般男性が結婚するということですから。かつて、摂関時代の藤原道長だって、藤原氏は天皇になれなかったという形でずっと維持してきたわけでしょ。もっと喫緊な例で言えば眞子さんは外出ちゃいましたけど、例えば小室圭さんの息子さんがなっていいんですかっていう」

寺島「はい」

内藤「小室圭さんに個人的に恨みはないですけれども、そういう話ですから。それはやっぱりダメだよねというふうなことが、一応、確認されたということと、宮家というのが、基本的にはこういう言い方したら失礼ですけれども、スペアというか。確実に男の子が生まれる技術というのが開発されない限り、いくら側室を設けようと何しようと途絶えちゃう可能性が絶対あるわけですから。そしたら、可能性として、血統を継ぐ人で別の傍系の人から、ということは、やっぱりやらざるを得ないわけです」

おはよう寺ちゃん
放送局:文化放送
放送日時:毎週月曜~金曜 5時00分~8時00分
番組ホームページ
公式X

※該当回の聴取期間は終了しました。

「終戦」ドイツでは? 映画が描いてきたナチ・戦争の姿をドイツ人翻訳家が解説

フリーライターの武田砂鉄が生放送でお送りする朝のラジオ番組、『武田砂鉄 ラジオマガジン』。8月17日は、月曜レギュラーでドイツ出身の翻訳家・エッセイストのマライ・メントライン氏とトークを繰り広げた。

マライ「今日のテーマは、ドイツ社会は映画を通じてナチスの過去とどう向き合ってきたのか、ドイツが制作したナチス映画傑作選です。なんでこのテーマを選んだかというと、日本では8月15日が終戦の日で、今年もテレビで中継された政府主催の全国戦没者追悼式を見て、「ああ、もう81年も経ってて、やっぱりあの戦争との向き合い方って難しいなあ」と思ったんです。ドイツの終戦は1945年5月8日で、日本より3カ月早いんです。ドイツでも過去との向き合い方の問題があって、ヒトラー、そしてナチスの社会的な狂気は、「あれはなんだったんだろう」とか今なお答えが出ていないことが問題になってるんですよね。毎年、日本だと戦争を扱った映画とかドラマが公開されると思うんですけど、ドイツでも第二次世界大戦とかナチズムをテーマにした映画がよく制作されるんです。日本と同じように、決まった時期に出ることはあまりなくて、オールウェイズ出る状態ではあるんですけど、それでもわかるように、なんかその「もやもや」、「あれは何だったんだろう」っていうのが残ってるんでしょうね。で、映画を紹介したいなと思って、一応7本用意してるんですけど多分全部できないので…」

武田「7本!」

マライ「(笑)無理ですね。まあ、とりあえず行っちゃいますかね。まず、ナチズムの誕生の予感というテーマで皆さんに見てほしいのが、『白いリボン』っていう2009年の映画です。舞台は第一次世界大戦の直前。1913年から14年の北ドイツのある村で、子どもたちに対して暴力的な躾が行われてたんですね。宗教的な抑圧もあって、さらに階級社会だったんです。映画の主人公は、新たに村の学校の先生として就任する男性なんですけど、彼はなんとなく「子どもたちが変なんじゃない?」、「なんかちょっと行動が変わってるんじゃないかな?」って気づくんですね。さらにいくつかの不思議があって、暴力的な事件が起こるんです。これはドイツの第二帝国時代後期の権威主義的な人格否定教育がテーマになってるんですね。それにさらされた子どもたちは、その後どうなるのかというテーマでもあるんです。要するに、ファシズムの中で育った子どもたちは、その後どうなるかっていうことです。この子どもたちが大人になったタイミングがナチスドイツの時代なんですよ。そういう権威的な教育システムとかは、結局、ナチズムの下準備みたいなものになってたんじゃないかっていう可能性を問う傑作なわけです」

武田「不気味な感じですよね」

マライ「不気味ですよ。ちょっとミステリー映画っぽい感じですよ。音楽なしで白黒、ハッピーに見る映画ではないんですけど、やっぱ傑作なんですよね」

武田「こういうところから、ナチズムが始まっていったんだっていうのが見えてくるってことなんですね」

マライ「そう、もちろんナチズムだけではなくて、ファシズムそのものを問う作品でもあると監督は言っていて、なるほどなあと思います。で、2本目は『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』、 2005年の映画です。これは見たことあります?」

武田「ないです」

マライ「ご存知の方も多いと思うんですけど、1943年、ミュンヘン大学で反ナチスのビラをばらまいていたショル兄妹が実在しました。で、逮捕されるんですけど、その最後の尋問と裁判を、妹のゾフィー・ショルを中心に描いた映画です。彼女はキリスト教精神を軸にナチスに抵抗した世界的な偉人として有名だと思います。重要なのは、映画の中に出てくるゾフィーを尋問するゲシュタポの捜査官です。彼の描き方がすごくて、ありきたりな悪役としては描かれてなくて、ゾフィーの知性とか人間性に感心しちゃうんですね。心がちょっと動いちゃうんですよね。それがポイント。それは実際にそうだったらしくて、本人がメモみたいなのを残してるんですけど、どうにかゾフィー・ショルを救いたいって気持ちになるんですね。そこでゲシュタポの捜査官は、ナチスの論理を駆使して、なんとか命を助けようとするんですね。ナチスのシステムの中でこれだったら救えると彼女にも提案するんですね。でも彼女は拒絶するんですよ。偽善だから。そして死刑になるという映画です。で、すごく思うのが、自分があの時代に生きてたら、どれほどのことできてたんだろう。まず、ゾフィー・ショルにはなれなかったんじゃないかなって。どっちかっていうと、そのゲシュタポ捜査官のようなことをやったかな?ぐらいの感覚なんですよね。考えさせられる映画なんですよね。ナチスに、ある意味で感情移入するっていうのが大変興味深いと思います。演技もすごくて、そういう文脈で見てほしい映画です」

武田「やっぱり、完全な悪人と残された善人がいたということではなく、そのグラデーションの中で社会の空気が作られてしまった。だからこそ怖い。だからこそ恐怖があるっていうことなんですかね」

マライ「そうなんですよ。もし自分がその映画の中にいたら。この人だったらなにができたのか。なんかいろいろ思っちゃうんですよね。すごく考えさせられる映画です。」

Facebook

ページトップへ