「救える命を救う」 今年の熊本地震で生きた10年前の教訓

9月11日(金)、ニュースキャスター・長野智子がパーソナリティを務めるラジオ番組「長野智子アップデート」(文化放送・15時30分~17時)が放送。午後3時台「アップデート・コラム」のコーナーでは、「熊本地震で真っ先に取り組んだことは何か?」というテーマで、ジャーナリストの鈴木哲夫氏に話を伺った。
防災庁の設置に向けた有識者会議のメンバーでもある鈴木哲夫氏。今年7月に発生した熊本地震への対応で陣頭指揮を執った木村敬知事に、単独インタビューを行った。
鈴木哲夫「僕はこういう質問をしたんです。知事としてやらなければいけないことはいっぱいあるんですね。『優先順位をどう付けて、何をしたのか?』っていうことを聞いた。そしたら、言葉としては『救える命を救う』。彼はこれを一番に考えた。これがまさに10年前の教訓だったんですね。10年前の(熊本)地震の時に、大きな地震の時は他の地域でもそうだけど、病院がやられちゃって。電気は来ない、水は来ない、もう大変ですよね」
長野智子「はい。今回もすごく大変でしたもんね」
鈴木「大変だった。で、10年前は転院、病院から病院へ患者さんを移すとか、そういうところで物凄く手間がかかって、結構犠牲が出ているんですよ。それで『ここをまずやるんだ』って言って」
長野「なるほど」
鈴木「で、実はこの10年の間に、防災に耐え得る新しい病院を作ったり、患者さんを移す転院の訓練を相当してきているんです」
長野「あー、そうだったんですね!」
鈴木「それで、知事が転院の指示をしたら、現場から答えがすぐ来て『もう動いてます』と。地震の直後から動いている」
長野「そうでしたねぇ。深夜にかけてずっとね」
鈴木「そうそう。二日間かけて、だいたい450人ぐらいの患者さんの転院が済んで、8月30日の時点で犠牲一人も出てないんですよ」
長野「訓練されていたんですね!そうかぁ〜」
鈴木「そう。だからこれは10年前の教訓と、それから救える命って何かっていうと、要するに“災害関連死”ですよ。地震そのもので犠牲になった方、これはもうどうしうようもないかもしれない。だけど、そこから先のことというのは、これはやっぱり行政の責任であり、やれなかったら“人災”なんですね。だからそこをまずやるんだ、と。とにかく災害関連死、(災害が)起きた後の救える命というものにかけたと。その10年間の訓練が生きた、と」
長野「これは全国の病院も教訓として本当に大事なことですね」
鈴木「おっしゃるとおりです。だから熊本がどういう形で、たとえば病院関係者・自衛隊・DMAT(災害派遣医療チーム)・県の職員・地域の職員、それがどういう連携をして、どんな訓練をしているか。これは一つ“熊本モデル”として生かせるんじゃないかって、僕はすごく思ったんですね」
「バスの運転士」の一言が、10年前の記憶を呼び覚ました―ラジオが結んだ、不思議な再会
先日、ニッポン放送では『上柳昌彦 あさぼらけ スペシャル ~あけの語りびと~』をお送りしました。実は8人の方を取材させていただいたのですが、皆さんのお話が、どれもドラマがあって、ご紹介しきれませんでした。
そこで、ご紹介できなかった4人の方を、4週にわたって、『あけの語りびと』でお届けしています。今週は3人目の方です。不思議なご縁で繋がるラジオネーム「すみちゃん」の物語です。
7月28日に発生した「令和8年熊本地震」。その翌日は水曜日だったので、いつもの『あけの語りびと』は、急遽お休みして、熊本からメールを送ってくださったリスナーさんに電話をつなぎました。
実はその方、10年前にもお話を伺っていたんですが、いただいたメールでは、同じ方だと分からなかったんです。お話の中で、『10年前、バスの運転士だった…』と聞いた瞬間、「あっ、あの時の!」
私の脳裏に、10年前の記憶が、鮮明に蘇ってきたんです。不思議なものですね。「バスの運転士」という言葉が、10年の時を経て、私の記憶の引き出しを開いてくれたんです。
熊本市にお住まいのラジオネーム「すみちゃん」は、50歳です。ラジオを聞くようになったのは、中学三年生の冬。受験前にインフルエンザで寝込んだ時、枕元で聞いたラジオが、とても面白かった。それが、ラジオとの出会いでした。
当時、熊本ではニッポン放送が聞けなかったので、窓際にラジオを置いて、向きを傾けたりして、雑音の中、聞いていたそうです。
「そうそう、上柳さんの声を初めて聞いたのは私が高校二年の時でしたね。こちらのローカル番組が始まる前の、夜7時10分から20分だけ、熊本放送(RKKラジオ)で、『花の係長 ヨッ!お疲れさん』がネットされていたんです。東京のラジオ局は、めちゃくちゃ面白い!と思って聞いていましたよ」
高校へ通う電車の中でもポケットラジオで聞くほど、ラジオ好きになったすみちゃんは、大学を卒業すると教員免許を取り、中学校の「技術」の教師になりました。本棚を作る木材加工や、電子製品のはんだ付けなどを教えていたそうです。
しかし、教師の仕事は勤務時間が長く、生徒や保護者への対応など、さまざまなことが重なり、別の道を考えるようになります。
子どもの頃から乗り物が大好きだったすみちゃんは、36歳のとき、市内バスの運転士になりました。始発バスを担当する日は、朝5時過ぎには発車前の点検作業を始めます。
「朝早く起きるのは、やっぱりつらいんです。眠い目をこすってラジオをつけると、あれ?上柳さんの声が流れてきたんです。『あ、うえちゃんの番組が始まったんだ!』と、朝の楽しみが生まれましたね」
ところが、番組スタートから3週間後、2016年4月14日夜9時26分、熊本地震が発生しました。その夜、地震の様子をメールで知らせてくださったすみちゃんに、翌朝、スタジオから電話をつないだんですね。
あの電話から10年が経った今、バスの運転士さんをされていないと伺って、どうされたのか、ちょっと気になって、お話を伺うと、体調を崩されたとのこと…。検査を受けると腎臓の機能が低下していて、今は週に3回の透析を受けています。昼間の仕事は難しくなって、夜、ガソリンスタンドの事務をされています。そこでは、ラジオが聞けます。
オールナイトニッポンから「あさぼらけ」へ…「明け方、ラジオから、うえちゃんの声が流れてくると、ああ、そろそろ今日も仕事が終わりだなぁ、って思うんですよ。今は、ラジオから聞こえてくる、うえちゃんの声が、ホッとする一日の締めくくりになっています」
ラジオネーム「すみちゃん」、今朝もお仕事、お疲れ様です!