武井壮、同い年・イチローの引退を語る!

イチローの話を聴く!

4月15日午前2時00分より文化放送で生放送された特別番組『武井壮のガッとしてビターン!』で、番組パーソナリティでタレントの武井壮が、イチローの引退について言及しました。同い年のイチローに対して、「同世代のスーパースターが国民的スターになり、その姿に本当に刺激されたし嫉妬もした」と述べつつ、「彼が野球を語るということはとてつもない価値をもった文化遺産」などと彼の凄さについて熱く語りました。

以下本人の主なコメントです。

「引退したあとも、全てのスポーツをやってる人だったり若い人だったりこれから夢を追いかける人たちに、何かメッセージを送れる世界のスーパースターだからさ。彼が今後一番得意な野球を離れて、プレイヤーとして離れるだけで、たぶん彼が野球を語るということはとてつもない価値をもった文化遺産だと思う」

「同い年の三浦大輔とか誰に聞いても、『あれはまともに対戦したら絶対に抑えられない』って言うのよ。各球団のエースを務めた方々にイチローについて聞いてまわったら、『あの男だけは別格だ』と。実際に抑えてんのよ。だけど、他の選手との攻め方のレベルが違うんだって。エース級の投手が言ってたのは、イチローに至ってはストライクゾーンがボール1個分真四角に広いんだって。そこまでは全部ヒットにできるんだって。ストライクゾーン投げたらほぼほぼ打たれるんだって。1個外に外したやつもほぼ打たれる。そこから外すしかないけど、外したら完全にボールだからボールになっちゃうんだって。その中で勝負するしかないんだけど、そこに入れると打たれちゃう。だから、みんな口揃えていうのは、なんとかイチローのあの間合いを乱すしかないって言うわけよ。バットまわして右手を伸ばしてとか構えるでしょ。あのとき何かに合わしてくるんだって。それを合わさせないように、わざとマウンド外したり変な顔したりとかして、なんとか合わないようにする。0.0何秒でも彼に与えるタイミングをずらすということを毎球イチローにやってて。そういう試行錯誤を全球にわたって必死にやって、完璧に抑え込める球を投げこんだのに、完璧に打たれたりする。記憶としては、自分がしっかりきっちり攻めたつもりのやつはほぼほぼ打たれれてるんだって。だから同じくらい打たれる他のバッターと打たれてる感覚が違うんだって」

武井壮のガッとしてビターン!
放送局:文化放送
放送日時:2019年4月14日 日曜日 26時00分~27時30分
出演者:武井壮

king@joqr.net

※該当回の聴取期間は終了しました。

17歳でデビューした松原のぶえ、『おんなの出船』を歌い上げる少女に周囲がびっくり!

松原のぶえ、中山秀征

ニッポン放送のイマジンスタジオから演歌・歌謡曲・J-POPのライブショーをお届けする『中山秀征の有楽町で逢いまSHOW♪』(毎週日曜朝5時30分〜/司会:中山秀征・アシスタント石川みゆき)、2月16日放送分の収録が行われました。

石川みゆき、楠木康平、松原のぶえ、北山たけし、中山秀征

今回のゲストは、松原のぶえさん、北山たけしさん、楠木康平さんです。

北山たけし

北山たけしさんは福岡県柳川市出身。21歳で北島三郎さんの内弟子となり、8年間の修行を経て、2004年に『片道切符』でデビューしました。

オープニングでは、昨年発売されたシングル『夏の終わりが来る前に』を披露しました。

「この曲は、TUBEの前田亘輝さんにいただいた曲なんです。よくゴルフに誘っていただくんですが、カートの中で前田さんが『ちょっと演歌っぽい曲ができたんだけど』とスマホで聴かせてもらい、即座に『僕にください!』とお願いして、昨年リリースしました」

毎年恒例、横浜スタジアムでのTUBEのコンサートにゲスト出演したという北山たけしさん。

「3万4千人の観客の前で、前田さんと一緒にこの曲を歌いました。マウンドの上のステージに立つと、ぐるっと360度が観客で、その中で歌えて最高の気分でした。忘れられない思い出ですね」

新曲『月うるる』は、日本作詩大賞・最優秀新人賞を受賞した作品です。忘れられない女性を月に重ねた、男の哀愁を歌っています。

北山たけし、中山秀征

大相撲初場所の千秋楽を観戦したという北山たけしさん。

「豊昇龍が巴戦を制して優勝したのを見ました。初めて枡席だったので、巨体がぶつかり合う音の迫力に圧倒されました」

もうすぐ51歳の誕生日を迎えるという北山たけしさん。

「新曲の『月うるる』は、しっとりとした演歌なので、この曲をじっくり歌う、そんな一年にしたいですね」

楠木康平

楠木康平さんは、福島県郡山市出身の23歳。2023年の日本クラウン(株)新人オーディションで準グランプリを獲得し、1月15日に『北へひとり旅』でデビューしました。

特技は、デュエット曲の男性パートと女性パートを、それぞれ異なる声で歌い分けることだとか。そこで今回、福島弁で歌うデュエットソング、オヨネーズの『麦畑』を一人二役で披露しました。

「一人でデュエットソングが歌えると気づいたのは昨年のことでした。裏声で女性パートが歌えると分かり、“これはウケるかも”と思ったんです。キャンペーンでこの曲を歌ったら、とても好評だったんです。歌っている最中、たまに、どっちが男のパートでどっちが女のパートか、自分でも分からなくなることがあります(笑)。次回は『浪花恋しぐれ』に挑戦したいと思っています」

デビュー曲『北へひとり旅』は、恋に破れた女性が、それでも諦めきれずに相手からもらったハガキを片手に思い出の地を巡りながら、会えるかどうかも分からない最終目的地・みちのくの青森へ向かうという作品です。

楠木康平、中山秀征

東京に来て5年が経つという楠木康平さんですが、一番驚いたのが、街のイルミネーションの美しさだったそうです。

「(ニッポン放送がある有楽町の)すぐ近くにある日比谷ミッドタウンのイルミネーションは、まるで豪華なステージようで、おすすめスポットです。ちなみに2月28日まで見ることができますよ」

松原のぶえ

松原のぶえさんは大分県の出身で、昭和54年に『おんなの出船』でデビューしました。

「17歳の時に『おんなの出船』デビューしましたが、いまも多くの方に愛してもらえてありがたいですね」

この曲で日本レコード大賞や日本有線大賞など、数々の新人賞を受賞された松原のぶえさんですが、デビュー当時、演歌の新人は少なく、同期は杏里さんや竹内まりやさんだったそうです。

「17歳の私には、『おんなの出船』はあまりにも大人の歌だったので、キャンペーンで歌うと、『誰の歌なの?』と聞かれることがあって、『私のデビュー曲です』と答えると、皆さんが『えーッ』と驚いていました。よっぽど、子どもっぽく見えたんでしょうね(笑)」

松原のぶえ、中山秀征、石川みゆき

森昌子さんに憧れ、福岡のタレント養成所で歌の勉強をしていた松原のぶえさん。デビューのきっかけは中学3年生の時でした。

「私の歌声を録音したテープを聴いた北島音楽事務所からスカウトされて上京しました。そして17歳でデビュー。あれから45年が経ちますが、九州にいた頃、通っていたタレント養成所の仲間が東京にも何人かいて、2か月に一度くらい集まって食事をしています。みんないい年になったので、いつどうなるか分からないから、会えるうちにたくさん会っておこうと(笑)」

1月29日に発売されたデビュー45周年記念曲『下北半島哀愁路』(作詞:石原信一、作曲:弦哲也)は、冬の下北半島を舞台に、別れと旅立ちをテーマにした作品です。

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