東国原英夫氏が宮崎県知事選で破れる…敗因は知事を「投げ出した不信感」

12月26日の「おはよう寺ちゃん」(文化放送)では、月曜コメンテーターで経済評論家の上念司さんと番組パーソナリティーの寺島尚正アナウンサーが、東国原氏が敗れた宮城県知事選について意見を交わした。

東国原氏を応援した経営者も一定数いた理由は?

25日に行われた宮崎県知事選挙は、無所属の現職で自民党と立憲民主党の各県連と公明党が推薦し、社民党が支持した河野俊嗣氏が、元知事でタレントの東国原英夫氏らを抑え4回目の当選を果たした。河野氏が25万8646票、東国原氏が23万5602票、スーパークレイジー君が7679票という結果だった。河野氏は広島県出身の58歳。1988年に旧自治省に入ったあと宮崎県で総務部長や副知事を務め、2010年の宮崎県知事選挙で初当選した。選挙戦で河野氏は、家畜の伝染病、口蹄疫への対応など3期12年の実績をアピールした他、物価高騰などの影響で落ち込む地域経済を活性化し県民の暮らしを守るなどと訴え、自民党や公明党の支持層や無党派層などから幅広く支持を集めたという。

「事実上の一騎打ちで河野氏が当選。この結果を上念さんはどう感じました?」(寺島アナ)

「思ったよりも票差が開かなくて、やっぱり東国原さんはまだ人気があるんですね。もっと相手にならないかと思ってたんですけどね。もうちょっと活動して、もう1回やれば勝てるかもしれないけど…どうかな?やらないかな?河野さんは「経済を活性化し」と言ってるんですが、実際には宮崎県は県民所得が下がってるらしいんですよ。それが「ちょっとどうなの?」っていうところで、今回東国原さんを応援した経営者の方も、そこそこいたと聞いてます。」(上念氏)

東国原氏の敗因についてスポーツ報知は、2011年に1期で退任した不信感が根強かったと伝えている。東国原氏は地元の声を聞く中で、なぜ1期で辞めたのか、県民として裏切られた気持ちだったと、叱りの言葉を受ける機会も多かったという。

「これはスポーツ報知が言ってる通りじゃないですか。もし辞めていなかったらもう楽勝で、今回5期目で多選批判が出るぐらいだった可能性もあったわけですよね。なんで2期目に出なかったのか思い出してみると、東国原さんはあの時ものすごい人気で、中央政界に進出するんじゃないかという感じで、一回議員になりましたが、その後は続かないみたいでしたね。それがちょっと良くなかったのかなと。やっぱりちゃんと、宮崎県で実績を積んで、満を持して、地盤を固めての、国政チャレンジとかするべきで、1期でやめたら投げ出したっていう風に思っちゃいますからね。」(上念氏)

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武井壮さんの未来…"百獣の王"から”HERO”へ。

TBSラジオ『要 潤のMagic Hour』毎週土曜17時から放送中!

12月24日(土)放送後記

今月のゲストは、武井壮さん。

最上階10階にある 『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』で
東京湾を眺めながら、4週に渡ってお話伺ってきました。

今週は、武井さんの10代から振り返ってのお話から....

モチベーションは、”幸せになること”

武井さんは、小学3年生の頃から、身体についてひたすらに学び続け、勉学に励んだことで、中高大学全ての学費を無料にするなど、"学びをきっかけに自立した10代"だったそう。

武井「日本のシステムを最大限に有効活用して、社会に出られたと感じています。」

近藤「それを可能にした努力がすごいです。」

武井「幸せになるためなんで、努力とかじゃないですよ!やった方がハッピーだし、お金かからなければそれだけ生活に余裕が出るから。ハッピーになるため以外のモチベーションが無いです。」

20代は、”未来を夢見てひたすら肉体と技術を磨いた日々”。

30代のやりたい人生に向け、スポーツに没頭すると決め、できる限り多くのスポーツの技術と能力を身体に詰め込んでいた、と武井さん。

要「でも、20代って遊びたい!とか、そういう気持ちはなかったですか?」

武井「多少はありましたね~。陸上日本一になるまでは無かったんですけどその後アメリカにゴルフ行った時は、そういう時期で...。アリゾナ州のサンサンと降り注ぐ太陽光に照らされた美女がたくさんいるんですよ(笑)いろんなタイミングでパーティーあるし...。毎日大学のカフェテリアで美女見つけては声かけて、褒めまくってご飯誘って(笑)そのアメリカの3年くらいだけは!」

要「人間らしいところもあるんですね!(笑)ひたすらストイックなイメージだったんで。」

武井「そんな時期もありましたね(笑)」

夢を実現するためには、自分を不安にさせない!

スポーツに没頭した20代を経て、芸能界入りを目的に走り出した30代は、今まで培ってきたスポーツの技能や理論を教えることで、月5日だけ働き、給料を減らさない生活をされはじめました。

武井「あと25日は、芸能界でおしゃべりをするための修行と百獣の王のネタを作る日々でした。」

近藤「芸能界でのおしゃべりのための修行というのは、具体的にはどういったものなんですか?」

武井「1番やったのは、西麻布のバーに行って、芸人さんやタレントさんのお話を聞いて笑いが起こったタイミングを前後1分くらいを切り取って、CDに焼いて車でひたすら聞いて記憶して、同じ間で同じ声のトーンで話せる練習をしてました。」

要「録音してたんですか!?」

武井「全部してました。ポケットと鞄にボイスレコーダー入れて。やっぱりプライベートでも、トップの芸人さんは面白いんですよね!毎日マネしてたら、『この声だと笑わない』とか『このテンションだと冷める』とか考えるようになって、笑いが起きた瞬間の”声色”とか”間”の方程式がわかってきて。じゃあ、そこにどうやって自分のネタをフリートークで入れていくか、考えました。最初は全然笑いが取れなかったんですけど、3年くらい経って、ちょっとずつ芸人さんが引っ掛かるようになってきました」

芸能界でのトーク技術を習得するために、家を借りるのをやめ、昼は車で録音を聞き、夕方はサウナ、夜はバーに通っていた武井さん。

そんな生活を5年続けた頃、アンタッチャブルの柴田さんに動物の倒し方のネタを披露!
そこから”百獣の王” の道が始まり、40代には芸能界へ活躍の場を広げていきました。

要「当時の人脈を使って、芸人さんの事務所に入るという考えはなかったんですか?」

武井「無かったですね。20代でまだそういう能力も知識も経験も無くて有名にさせて欲しいというのなら、芸能事務所とのマッチングも良かったと思いますけどテレビで使える能力と技能は入ってますから、番組に出演させていただければビジネスできますよって思っていたので。事務所に入って活動するよりも自分のビジネスを置きたいというビジョンだったので。」

要「皆、そういう風に思うだろうけど、実現できてるのがすごいです。」

近藤「それに、武井さんは常に準備万端な状態でいるというのもすごいです。」

武井「やっぱり、自分を不安にさせないっていうのが、1番大事だと思うんですよ。先週の働き方の話もそうでしたけど、不安になる要素があると人間どうしても不安に思うんですよ。自分に能力が無い、友人がいない、そうすると仕事もストレスになるだろうし。これは売れる、みんなが欲しがるものが1つでもあれば、それが自信になって、折れずに、険しい道を軽やかに登れるカギだと思ってます。能力や知識は、そういう軽やかさの栄養素だと思って重要視しています。」

『あ、僕一応ヒーローやってます、って言いたいんですよ』

ここまでひたすらに駆け抜けてこられ、現在49歳になった武井さん!
50代の目標は、”地球人全員が知っている武井壮になること”だそう。

武井「トム・クルーズは、理想系ですね~。地球上どこでも、飛行機を降りた瞬間からギャランティが発生する!サングラスかけて空港の通路歩いて、サングラスとって笑っただけでドカーン!羨ましい~そうなりたい(笑)」

要「ジャンルとしては、俳優ですか?スポーツ選手?」

武井「ヒーロですね!(笑)皆好きじゃないですか?職業ヒーローっていう人、まだあまりいないですよね。」

近藤「実在はしていないですよね、映画の中でしか。」

武井「『武井さんご職業は?』って聞かれて『あ、僕一応ヒーローやってます』って言いたいんですよ!でも、10年前に僕は、百獣の王を目指してこの人生が始まってNHKで紹介される時の肩書きが、百獣の王になりましたから。次は、ヒーローっていう肩書きでCNNとかで紹介されたりして(笑)」

最後に、番組恒例の質問。『武井さんにとっての人生の要は?』

武井「成長、ですかね。」

近藤「おお~」

武井「今は持っていない何かを、毎日身につけていくことでしか夢が叶わなかったので。成長が人生の要です。」

要「今までのエピソード全てが、成長に繋がっていますもんね。」

ヒーローに最も近いエンターテイナーとして、ヒーローになれるチャンスがある!と意気込む、武井さん。
10年後に期待が高まります!

4週に渡り、ありがとうございました。

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SUPERHEROES/The Script

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