株式売買手数料完全自由化から25年~「投資の民主化」先駆けの意義、影響を検証、ネット証券大手5社トップの声も紹介『マーケットプレス』

25年前の今日、1999年10月1日は「株式売買委託手数料 完全自由化」がなされた日です。最近株式投資を始めた方には想像し難いと思いますが自由化前の時代、売買手数料は取引所の受託契約準則によって固定されていました。例えば約定代金100万円の場合、手数料はその1.15%=1万1,500円でした。それが完全自由化で手数料引き下げ競争が始まり、今ではネット証券なら数百円程度と様変わりしました。

「貯蓄から投資へ」、これは2001年の小泉純一郎首相(当時)が掲げたスローガンであり、もっとさかのぼれば1960年代の「銀行よさようなら、証券よこんにちは」の時代から、極端に預貯金に偏ってきた日本の個人金融資産を投資・運用に回すべく証券投資の普及啓発は一貫して国是でした。

2024年1月にスタートした新NISAは、その10年前に始まっていた最初のNISAよりも利便性が飛躍的に上がったこともあり、個人の投資人口増の起爆剤になったのは記憶に新しいと思います。2023年3月→2024年3月の定点観測で個人ののべ株主数は6982万人から7445万人に増え(+6.6%)ました。一方で25年前の手数料完全自由化時はどうだったか?2830万人が3022万人へと6.8%増えており、新NISAが与えたインパクトと同等の影響があったことがわかります。

 売買手数料完全自由化は投資家側のみならず証券業にも大変革をもたらしました。インターネット取引という技術的な要素も相まって、ネット専業証券が創業され、手数料競争をけん引し個人の証券口座数を急速に増やしていきました。自由化から24年後に当たる2023年にはネット証券大手2トップのSBI証券、楽天証券が手数料ゼロに踏み切るまでに至りました。

 25年経った節目で、改めてこの「手数料完全自由化とは何だったのか?」をラジオNIKKEI兒玉凌大記者のレポートと経済ジャーナリスト和島英樹氏の解説で深掘りします。コーナー後半では、手数料完全自由化と最も縁が深いネット証券大手5社トップの声を紹介しています。また生放送時に寄せられたリスナーからのコメントもピックアップしています。是非お聴きください。

マーケットプレス
放送局:ラジオNIKKEI第1
放送日時:2024年10月1日 火曜日 10時15分~10時45分
番組ホームページ

「マーケットプレス」内 記者レポートコーナー「あれから25年、手数料完全自由化の意義と影響を改めて検証」

株式売買委託手数料自由化から25年。節目となるこのタイミングで改めて手数料完全自由化の意義や効果を検証、のちのNISAとの比較なども含め、証券投資の普及啓発を考察します。ネット証券大手5社トップの声も紹介。

放送日時:
2024年10月1日 火曜日 10時15分~10時45分
「マーケットプレス」内 特別コーナー

出演者:
マネックス証券 代表執行役社長CEO 清明 祐子
松井証券 代表取締役社長 和里田 聡
楽天証券 代表取締役社長 楠 雄治
auカブコム証券 代表取締役 会長 兼 社長 二宮 明雄
SBI証券 代表取締役社長 髙村 正人(※文書回答のみ)
和島英樹(経済ジャーナリスト)
兒玉凌大(ラジオNIKKEI記者)

番組ウェブサイト:
https://www.radionikkei.jp/marketpress/241001_tesuryofree.html

放送・配信媒体:
ラジオNIKKEI第1、ラジコ

※該当回の聴取期間は終了しました。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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