”たまごクラブ””ひよこクラブ”生みの親の落語家~立川寸志さん

東京の多摩地域にお住まいの方、出身の方もそれ以外の方にも多摩を愛していただきたい!と思っている番組「立飛グループpresents東京042~多摩もりあげ宣言~」(略して「たまもり」)。MCは土屋礼央さん(国分寺市出身)&林家つる子さん(八王子市の大学出身)。

今週のゲストは、落語家の立川寸志さん(立川市出身)。今年10月に真打昇進される寸志さん。つる子とは落語会で一緒になる仲だというが、年下の先輩(つる子)・年上の後輩(寸志さん)という微妙な関係性。今回は立川流の昇進の話を中心に伺います。

「たまごクラブ」「ひよこクラブ」生みの親の落語家~立川寸志さん(立川市出身)

つる子が20歳下の先輩!

土屋:さっそくゲストの方のご紹介です。落語家の立川寸志さんです。よろしくお願いします!

寸志さん:お願いします!

つる子:寸志さんだ~(笑)。今年5月の共演ぶりで。

寸志さん:共演だなんて。つる子姉さんが・・・いや、つる子師匠がトリをとった興行の前をよごさせていただいて。

つる子:そんなそんな(笑)。

寸志さん:すっかりご馳走にもなりまして。

土屋:さすが!

つる子:無国籍料理屋さんで(笑)。

寸志さん:無国籍な夜を過ごしましたね(笑)。

土屋:寸志さんはこの番組は初登場なので、つる子さんからプロフィールの紹介をお願いします!

つる子:かしこまりました。

立川寸志さんは、1967年生まれ、東京都のご出身。大学を卒業後、数社の出版社勤務を経て、立川談四楼師匠と出会い落語への思いが再燃し、2011年、44歳という年齢で談四楼師匠に入門しました。2015年、二ツ目に昇進。そして来月10月、真打に昇進することが決まっています!

土屋&つる子:おめでとうございます!

寸志さん:ありがとうございます。いやいや、このタイミングで呼んでいただけて本当に嬉しい!

土屋:ただ、寸志さんは1967年生まれだから・・・あれ!?つる子さんとはどっちが先輩!?

つる子:(笑)。

寸志さん:全然というと怒られるかもしれないですけど、つる子さんが先輩です!入門順がすべてなので。

つる子:私は「寸志さん」と呼ばなければいけないんですけど、たまに「寸志兄さん」と呼んじゃってます、ゴメンナサイ(笑)。

寸志さん:心の中でそう呼んでいたんですね、ちょっとそれを感じる瞬間があったんです(笑)。でも、それは本来、許されないこと。

つる子:そうなんです。

土屋:そうなんですか!?

つる子:あくまで後輩なので。

寸志さん:僕が「寸志兄さん」と呼ばれたら否定しないと、アイツ否定しなかったなって。だからそれは大否定です。

土屋:でも実際の年齢は年下の人に「寸志さん」と呼ばれるのは大丈夫なんですか?

寸志さん:私はいっさいそういうのが無くて。これはしょうがないですよね。諦めているとか我慢しているとかではなくて、そういうもんだと思って落語の世界に入りましたから。逆に上の人が気遣ってくれて労わってくれているからそれが成り立っているという感じなんです。実際は何歳差?

つる子:(笑)。私は1987年生まれだから・・・

土屋:おお、20歳差!!

寸志さん:はい、20歳違いですね(笑)。

つる子:寸志くん❤️

寸志さん:今、すごい嬉しかった(笑)。

独特の立川流の真打トライアル!寸志さんは「通算1000人投票」

土屋:寸志さんは東京出身ということですが、東京のどこですか?

寸志さん:はい、立川寸志ですが・・・「立川市」の出身です!

土屋:やった!この番組としては“ど多摩人”ということです!

寸志さん:はい、多摩人です!

土屋:生まれ育った「立川」の話も伺いたいんですけど、まずは真打昇進についても伺いたくて。立川流の真打昇進というのは他とはちょっと違うものなんですか?

寸志さん:そうですね。つる子師匠の所属されている落語協会、そして落語芸術協会というのがありまして。そこは順番になっているんですかね?

つる子:はい、そうですね。

寸志さん:立川流も基本は順番なんですけど、師匠がOKと言えばOK。そこで、真打トライアルというのをやるんですね。

土屋:聞いたことがある。

寸志さん:師匠の前で落語をやって、“おまえは真打でいいぞ”とか“もういっぺんチャレンジだ”というのをみんな、2、3回くらいやるんです。

土屋:一発ではなかなか通るものではないんですね?厳しいものなんですね?

寸志さん:そうですね。それくらい真打の価値を上げていかないといけないので。私もそれを考えたんですけど、もっと継続的にいけないかな、毎回毎回師匠に見てもらってダメ見てもらってダメよりも積み上がっていくものをやっていきたかったんです。

つる子:へえ。

寸志さん:それで、通算1000人のお客さんにご投票いただいて、通算1000名の投票があった段階で師匠に真打として認めてもらおうと思いますという企画をやりました。

つる子:ええ!?

土屋:師匠に言われたのではなくて、ご自身で決めたということですか?

寸志さん:自分で決めて、師匠にOKを取って<ならば、やってみろ!>と。

つる子:すごいですね!

土屋:立川流って、自由ですよねえ。

寸志さん:そういう意味では自由にやらせてもらってますね。

土屋:ただ、1000人って大変ですよね?

寸志さん:いやでも、これは通算1000人と書いてありますけど、その“通算”というところに引っかけがありまして。“のべ”なんです。

土屋:ああ。はいはい。ディズニーランドの入場者数の、のべ何人みたいな。

寸志さん:そうなんです。正味1000人ではなくて、何回もやりますので何回も来ていただいて何票でも投票できますというカタチにしたんです。

土屋:その企画はいつから始めたんですか?

寸志さん:2024年5月から小さい会で始めまして。それから徐々に会場を大きくしていったり、ちょっと今このタイミングで1000人になっちゃうとマズいなという時は会場を少し絞ったりとか、姑息なことをして(笑)。

つる子:(笑)。

寸志さん:その上で1000人に到達したということですね。

土屋:で、師匠に報告して、どうですか?ということになったんですか?

寸志さん:1000人に到達するだろうという日は、師匠をゲストで来てもらって師匠の前で通算1196票まで集まったんですよ。<師匠、これだけ集まりました!いかがでしょうか?><よし、じゃあ真打になっていいぞ!>というところで、皆さまにもお認めいただいた、という流れなんですね。

つる子:素晴らしい!

寸志さん:1番怖かったのが、<師匠。1000人超えました!どうでしょうか?><よくやった!じゃあ1500人で!>ってハードルを上げられるのではと思って。それは怖かったですね。

つる子:ありえる(笑)。

土屋:つる子さんがこんなことを提案したらどうなるんですか?

つる子:うちはそもそも自分で企画するというのが出来ないので。落語協会の理事会が毎月あって、そこでこの者たちが真打に昇進するというお達しが来て。そこから寄席に向けて私たちも支度を進めていくというカタチなので。だから、ここまで設定されるのはすごいです!

寸志さん:自分たちでやらないといけない大変さと楽しさというのはあります。脇から見ていると、ちゃんと理事会があってというのも羨ましくも思います。

土屋:真打昇進が決まって、今の心境はいかがですか?

寸志さん:怖いですね。怖いのと、寂しい感じがしますね。これは、つる子師匠はわかってくれると思うんですけど、二ツ目時代って“青春”じゃないですか。

つる子:これはわかります!

寸志さん:青春だし、まだプロセスじゃないですか。真打になったら結果が毎回問われる気がして。それは怖い。

つる子:責任がね。

寸志さん:トリともなれば責任がありますよ。良い落語をやらないといけない、無国籍料理で奢らないといけない(笑)。

つる子:(笑)。

土屋:つる子さん、先輩としてこれは気を付けろというのはありますか?

つる子:やはり、打ち上げのお店選び!

寸志さん:(笑)。

土屋:それは自分でやるの?

つる子:そうです!そういうのも確かにあります。

寸志さん:それで値踏みされるわけか・・・。

44歳で落語の世界へ!

土屋:そもそも、寸志さんは44歳で落語に入門したというのは、普通に考えて変わってますよね?そもそも落語とはどういう出会いがあったんですか?

寸志さん:子供の頃から落語の絵本を見て落語を知って、中学高校くらいに落語を聞いて。それで大学時代は落語研究会にいました。その上で就職はせず、15、6年働いていたところで、うちの師匠・立川談四楼と“作家と編集者”の関係で知り合うようになったんです。

つる子:ああ。

寸志さん:うちの師匠は物書きも盛んにやっていますので、その立川談四楼が書くものを編集している立場だったんです。そこで打ち合わせをしたり、師匠の会に客として行ったりしていたんですが、そのうちに師匠が47歳の新弟子を取ったんですよ。で、その47歳の人の初高座を見たんですね。(これは年齢で断られることはないんだな)と思いまして、そこで思い切って師匠にアプローチして。

つる子:なるほど。

寸志さん:私は大師匠である立川談志がすごく好きだったんで、そこから立川流を選びましたね。

編集者時代に「たまごクラブ」「ひよこクラブ」の生みの親に!

土屋:寸志さんの出身校が「都立立川高校」ということで。びっくりするほどインテリジェンスな学校ですよ!

寸志さん:あのう・・・今の在校生はものすごくレベルが高いらしいですけど、私たちの頃はそれほどでもなかったです。

土屋:でも、学区の中ではトップですよね?

寸志さん:東京都ってご存知のように色々と高校の学区割りをイジるじゃないですか。何年かにいっぺん変わるその2年目くらいだったんですけど、「立川」より「八王子」を除く西の方がまとめられていた時代で。そのグループの中ではやっぱり一番上ではありましたよ。

土屋:ほら、インテリジェンスが漏れちゃった(笑)。

寸志さん:言わされた感じがあります(笑)。

土屋:子供の頃からそれだけ落語が好きで。就職して仕事をされていたわけじゃないですか。その会社はどうされたんですか?

寸志さん:それはもう何ヶ月か前に辞めました。

土屋:ちなみに、編集者時代はどんな雑誌を作られていたんですか?

寸志さん:はい、何紙かには関わりましたけど。1番皆さんがご存知なのは「たまごクラブ」「ひよこクラブ」という。ご存知ですかね?

土屋:知っているどころじゃないですよ。百人一首で言ったら上の句が「たまごクラブ」で下の句が「ひよこクラブ」というくらい(笑)。

つる子:寸志さんは、「たまごクラブ」「ひよこクラブ」を創られた方なんですよ!

寸志さん:ちょうど創刊する時の準備室に配属されていたんですよ。マタニティ雑誌とベビー雑誌を同時に作っちゃおうというのが会社で決まりまして。対になる感じのタイトルを考えましょうというのが社内の公募で回ってきたんですよ。で、私の出したアイディアが・・・「たまごクラブ」「ひよこクラブ」。

土屋:ええーーー!?

つる子:すごい!!

土屋:だって、世間の人全員が「たまごクラブ」って言ったら「ひよこクラブ」って言えますよ!

つる子:すごいセンス!

落語界の「捨て耳」とは!?

土屋:そんな編集のスーパースターが会社を辞めて落語に行くというのは、けっこうな覚悟だと思うんですけど・・・?

寸志さん:「ベネッセコーポレーション」という会社だったんですが、そこで10年働きまして。その後、10年間を3つ会社で出版関連に携わっていたので。「ベネッセ」時代というのは半分くらいだったんですけど、そうやって仕事をしていくうちに(やっぱり落語をやりたいよな)という気持ちが高まってきたという、そんな感じですね。

土屋:経済的な不安はなかったんですか?

寸志さん:家内も働いていましたので。結婚はしていました。

土屋:え、ご家族がいてですか?

寸志さん:子供がいなかったので。逆に子供がいたらこういう決断はなかなか悩んだどころかしなかったかもしれないなというふうには思いますけどね。

土屋:僕も落語を少しかじっていますけど、年々落語を覚えることが対応できなくなって若い頃の記憶の定着でなんとかやってますけど。44歳から落語を覚えるというのはいかがですか?古典ですもんね?

寸志さん:はい。覚えるのにあまり苦労を感じたことは正直無いですね。

つる子:やっぱり落語研究会から落語に馴染みがあったからですかね?

寸志さん:そうですね。落語研究会もそうですし、中学高校と勉強している時間は勉強が嫌なのでずっと落語を聞いていたんですよ。我々、楽屋で“捨て耳”という言葉があるんですけど・・・

土屋:捨て耳?なんですか?

つる子:着物を畳んだりお茶を入れたりしているんですけど、高座で話している師匠方の噺を修行しながら聞いていようと。

土屋:なるほど。耳がいっていることで聞いている状態になっていると。

寸志さん:それが染み込んでいた感じがあります。

つる子:なるほど。

「砂川九番」で遊んだ幼少期

土屋:最後に、多摩の話も少し伺いたいのですが。「立川」で落語を好きになった時代というのは1970年代ですか?

寸志さん:そうですね。落語の児童書を見て落語って面白いなと思って。それでテレビ・ラジオで聞くようになったのが学生時代ですからそうですね。

土屋:僕は1976年生まれで中央線の最寄駅は「立川駅」だったんですけど、親に<「立川」の南口だけは行くな>とずっと言われていて。なぜかはわからなかったんですよ。

寸志さん:私は「立川」の北口、それもわりと駅から離れたところだったので、のんびりとした土地だったんですね。でも、ガードをくぐって一歩南口に行くと空気が変わりましたよね。

つる子:(笑)。

土屋:1970年代の話ですよ(笑)。「立川」の北口に住んでいて、遊ぶ場所はどこだったんですか?

寸志さん:実家の近くは牧歌的なところなので、普通に公園とかその駐車場とかで子供だからむやみに駆け回るとか、むやみに遊具に登るだとか。あとは小学校の中学年くらいになったらみんなで野球をやるとか。そういうところですね。非常にのんびりとした地方都市の感じでした。

土屋:僕は「五日市街道」沿いだったので、それなりに近いかもしれないですね。

寸志さん:具体的にいろんなこと言ってもいいんですか。「砂川九番」の坂をずっと下りてきて、むかしむかしJマートってあったのご存知ないですか?

土屋:はいはい、ありました!

寸志さん:あそこの裏手です(笑)。

土屋:近い!昔は全然飲食店も少なくて苦労したけど、今は増えました。ということで、今週はお時間です。来週は「立川」の話を伺いたいです。では、立川寸志師匠にお知らせを伺いたいのですが。

寸志さん:師匠って呼ばれて、はいって返事したらつる子姉さんの目がキラッて。

つる子:(笑)。

土屋:じゃあ、寸志さんお知らせをお願いします(笑)。

寸志さん:はい。10月1日に真打に昇進いたしまして、10月21日、この日は夜になりますけど渋谷の桜ホールという所で披露目の落語会をさせていただきます。ゲストにもちろん師匠の立川談四楼が出ますし、立川流の重鎮、立川龍志師匠、それからの立川談春師匠、立川吉笑師匠が揃って口上に並んでいただきますので、ぜひとも10月21日いらしていただきたいです!

土屋:近い!来週もお話を伺います。今週のゲストは、立川寸志さんでした。ありがとうございました。

寸志さん:はい、ありがとうございました。

(TBSラジオ『東京042~多摩もりあげ宣言~』より抜粋)

タグ

リスナーが豪華パフォーマンスに歓喜! フィナーレは12,000人で「さようなら!」 『ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭』 10月24日(土)横浜アリーナ

ナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)がパーソナリティを務めるラジオ番組、ニッポン放送『ナインティナインのオールナイトニッポン』(木曜 25時~27時)の番組イベント「ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭」が10月24日(土)に横浜アリーナで開催された。ゲストに藤井フミヤ、清水ミチコ、DA PUMP、原口あきまさ、秋山竜次(ロバート)、ビビる大木、高須克弥が登場し、「ナイナイ歌謡祭」ならではの豪華ステージに超満員12,000人のリスナーが熱狂した。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

オープニングでは、白いタキシード姿の矢部浩之が登場し、サザンオールスターズの「いとしのエリー」を熱唱。しかし、歌の途中で突然音楽が途切れ、スクリーンに岡村隆史の姿が映し出される。岡村は「私は映画やドラマの撮影中、後頭部の薄毛部分に黒い粉をかけられることがあります」と告白。その姿をあざ笑われたと言い、“コナ人間”として『ナインティナインのオールナイトニッポン』のスタッフやリスナー、そして矢部への復讐を宣言し、「粉まみれにしていきます」と不穏な言葉を残す。

すると、ステージ上に“コナ人間”に扮した岡村が出現! 不気味な動きで矢部を追いかけ回し、「こわ! リハより力入ってるやん!」と矢部を絶叫させる。助けを求めてステージ中央の電話ボックスに逃げ込んだ矢部だったが、岡村の「コーナー…ニーン、ゲーン!」という掛け声とともに大量の黒い粉が降り注ぎ、粉まみれに。ところが、矢部が「バカにしたことなんて一度もない」と訴えると、岡村はあっさり謝罪。「優しいなコナ人間!」とツッコミを入れた矢部は、粉まみれのまま「いとしのエリー」を再び歌い始め、イベントは早くも波乱の幕開けとなった。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

その後のトークでは、岡村が「今回はお粉の方でいろいろやらせてもらいました」と切り出し、粉の量について試行錯誤を重ねたことを明かす。矢部が「鼻から口からどんどん入ってくる」と苦笑する一方で、岡村は「僕は今日は(頭に)粉を全然ふっていないんですよ」と話し、リスナーの笑いを誘った。

粉まみれの矢部は「今日は前のめりで楽しんでほしいと思います!」と呼びかけ、配信で視聴する全国のリスナーにも触れながら「会場の皆さんのノリで、見え方も変わってくると思いますんで、おおいに盛り上げてください!」と熱くアピール。岡村も「最後まで盛り上がっていきましょう!」と声を上げ、歌謡祭の幕を開けた。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

トップバッターを飾ったのはDA PUMP。「Feelin’ Good -It’s PARADISE-」で華々しくステージをスタートさせると、続く「ごきげんだぜっ! ~Nothing But Something~」でもキレのあるアクロバティックなダンスを披露。圧巻のパフォーマンスでリスナーを魅了し、会場のボルテージを一気に引き上げた。

MCではISSAが「盛り上がっていますか!?」と元気いっぱいにリスナーに呼びかける。「ナイナイのオープニングがすごかったから、出づらい出づらい(笑)」と笑いを誘いつつ、「トップバッターを盛り上げていきたいと思います!」と宣言。大ヒット曲「U.S.A.」では岡村が登場、DA PUMPとダンスでコラボレーションし、息の合ったパフォーマンスで、横浜アリーナを熱狂の渦に巻き込んだ。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

パフォーマンス後のトークから加わった矢部は、「U.S.A.はやっぱり爆発力がある」と興奮気味に振り返り、普段はおとなしいスタッフまで舞台裏で口ずさんでいたことを明かす。他の音楽番組などでも共演し、ナイナイとの縁が深いDA PUMPは、来年デビュー30周年を迎える。そんなDA PUMPから「岡村さん、ライブに出てくださいよ!」とオファーが飛び出す一幕も。岡村も「せっかくダンス覚えたから」と前向きな姿勢を見せると、「矢部さんはコーラスで参加して(笑)」と矢部にもオファーが飛び火。スケールアップした共演を期待させる、にぎやかなステージとなった。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

続いて登場したのは、9年連続出演となるロバートの秋山竜次。「ごきげんよう、りゅうくん。」を歌うために、おむつにベビーニット帽という赤ちゃん姿で現れると、会場から悲鳴が上がる。さらに、会場のリスナーに「あやしてください」と無茶な要求を繰り出し、横浜アリーナはなんともシュールな空間に。秋山自身も「これを横浜アリーナでやっていいか迷った」と葛藤を明かし、笑いを誘った。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

続いては雰囲気を一変させ、公共施設の管轄に対する疑問を歌った「TOKAKUKA」を披露。「都!」「区!」「国!」「県!」「市!」という謎のコール&レスポンスを繰り広げ、満員のリスナーを巻き込んで会場を盛り上げた。

そして、毎年恒例の秋山が即興でメロディに歌詞をつける「カリスマボイストレーナー企画」では、今年も無茶ぶりが炸裂。「現在大ヒット中のドラマ『VIVANT』のメインテーマの歌詞を忘れてしまいました」というFAXがステージに届くと、秋山は大汗を流しながら必死に対応。「(芸歴)29年積み上げたものをここで壊したくない!」と思わず悲鳴を上げた。

追い打ちをかけるように「『踊る大捜査線』のテーマ『Rhythm And Police』にも歌詞があると聞きました」というFAXが届くと、秋山はついに限界を迎え「誰か俺を殺してくれー!」と絶叫。最後は「9回もこの感じで横浜アリーナに立った人間いないでしょ」と自虐的に振り返り、今年も秋山ワールド全開のステージとなった。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

唯一の「ナイナイ歌謡祭」皆勤賞のゲスト・高須クリニックの高須克弥院長とは、今年も対決企画を実施。今回はナイナイがもっとも苦手とする分野「パソコン」で、岡村と矢部がタイピングで対決をすることに。お題は「イエス!高須クリニック」で、先に岡村が打ち終わったのだが、イエスの“エ”が小文字となっていたことで、早さよりも正確性で矢部の勝利となった。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

続いては、モノマネ芸人の原口あきまさが登場。郷ひろみの「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」に乗せて、石橋貴明や木梨憲武、加藤浩次、東野幸治、さまぁ~ずの三村マサカズらのモノマネを次々と披露。目まぐるしく変わる声色や表情でリスナーを楽しませた。

さらに、「バラエティで急にスイッチが入るIKKO」「強引にまとめにいくヒロミのコメンテーター」「ほいけんたのモノマネを見る明石家さんま」といった細かすぎるショートネタを連発。F1マシンが目の前を走り抜ける音を芸能人のモノマネで再現するという斬新なネタまで飛び出し、会場を笑いに包んだ。最後にはF1マシン音声の松山千春から「季節の中で」をワンフレーズ歌い上げ、多彩なレパートリーを見せつけた。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

その後のトークでは、矢部のモノマネでも知られる原口が本人を前に「満を持して矢部さんのプライベートモノマネを持ってきた」と宣言。独身時代、矢部に温泉旅行へ連れて行ってもらった際、湯船にくるぶしまでしか浸かっていないのに「気持ちええな~」と言っていたというエピソードを披露し、「絶対温泉好きじゃないでしょ!」とツッコミ。さらに、周囲に話を聞いてほしいときの癖や、髪型の変化に気づいてほしいときの様子まで再現し、文字通り矢部のプライベートを次々と暴露した。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

ナイナイのスペシャルライブステージでは、まずは岡村がトロッコに乗って登場。SMAPの「SHAKE」を歌いながら会場を周回し、リスナーの歓声に応えた。センターステージに降り立つと、キレのあるダンスも披露し、横浜アリーナを大いに盛り上げた。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

さらに、次の曲の準備として頭に黒い粉を振りかけると、今度はギターを手に、スピッツの「チェリー」をサプライズで弾き語り。昨年の歌謡祭では同曲の替え歌を披露したのだが、内容も歌声も散々な出来であった。そんな経緯もあり、今年はリベンジを決意。「本当に初心者で聴き苦しいと思うけど、頑張ったので聴いてほしい」と呼びかけ、緊張した面持ちでギター演奏をスタート。最後まで弾き終えると、会場からは温かな拍手が沸き起こった。

岡村は「人前でギターを弾くのは初めてです。下手くそですけど、頑張って弾きました」と照れくさそうに語り、「今も手が震えて、緊張が伝わっているかも(笑)。聴いてくれてありがとうございました!」と感謝。さらに、使用したギターは武田真治からもらったものだと明かし、「続けたらちゃんと聴いてもらえるものになるかも。また機会があったら聴いてほしい」と、今後の上達にも意欲を見せた。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

そんな岡村から「のどちんこ飛ばさないように」と注意を受けて登場した矢部は、松浦亜弥の「Yeah!めっちゃホリディ」を披露。黄色いアイドル風の衣装に身を包み、トロッコに乗って会場を周回しながら、あややならぬ“やべべ”として「やべべだよ!」と笑顔を振りまき、リスナーを沸かせた。同曲は2003年、当時の番組ディレクターとのノリで番組内で一度だけ歌ったものの、その後も長年イジられ続けてきたという思い出の一曲。懐かしの“やべべ”復活に、会場は大いに盛り上がった。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

続いて、ロングコートに着替えた矢部が自身のデビュー曲「スタンドバイミー」を披露すると、途中から岡村も加わり、初のデュエットが実現。背後のスクリーンには『オールナイトニッポン』での2人の思い出の写真が次々と映し出され、会場は一転して感動的な雰囲気に包まれた。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

さらに、2人が黒の革ジャンを羽織ると、これまで「ナイナイ歌謡祭」のオープニングを飾ってきた反町隆史の「POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~」を熱唱。まさかのタイミングでのこの曲の披露に、会場のボルテージは再び最高潮に。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

ここで、ビビる大木がプロレスラー・ジャンボ鶴田に扮してサプライズ出演。今年5月のラジオ出演時には、音声だけにもかかわらず、ジャンボ鶴田の入場シーンを4回も再現した大木。たったそれだけをきっかけで今回のサプライズ出演へとつながった。そんな大木は、大好きなジョン万次郎について熱弁するために登場。しかし、話し始めた途端に矢部から「メインステージの転換が完了したようです! すみやかにご退場お願いします!」と告げられ、ほとんど語れないまま退場するというシュールな展開で、会場の笑いを誘った。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

続いて登場したのは、“モノマネの女王”こと清水ミチコ。自身が木曜パーソナリティを務めるニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(月曜~金曜 11時30分~13時)のリスナーも駆けつけるなか、童謡「さっちゃん」に乗せて藤井聡太、番組作家の室井さん、デヴィ夫人らのモノマネを次々と披露。さらに、童謡モノマネシリーズ「おはなしゆびさん」では5人の政治家になりきり、会場を笑いに包んだ。

そのほか、「コンビニの入店音がすべて坂本龍一の影響を受けていたら」という独創的なネタや、ベートーヴェンの「エリーゼのために」に乗せて様々なお菓子の美味しさを語るネタなど、音楽とモノマネを融合させたステージを展開。多彩なレパートリーでリスナーを楽しませた。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

パフォーマンス後のナインティナインとのトークでは、矢部が以前、原口あきまさのライブで清水のネタを見たことを明かし、「客席で見せてもらったのですが、めちゃめちゃ面白かった! ずっと笑ってました!」と大絶賛。

さらに、話題は1992年にスタートしたテレビ東京系バラエティ番組『浅草橋ヤング洋品店』での共演エピソードへ。ナイナイにとって全国ネット初のレギュラー番組だったものの、岡村は「なかなかなじめなかった」と当時の苦労を回顧。矢部が「ミチコさんが一番話しやすかった」と感謝を伝える一方、清水は「黒歴史もある」とポツリ。番組内でナインティナインと清水がデュエットするという、番組の演出家・テリー伊藤の思いつきから生まれた企画を振り返り、「大人になると嫌なこともやらなきゃいけない」と苦笑して、会場を笑わせた。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

豪華ゲストの大トリを飾ったのは、ナイナイにとって“青春のアイドル”である藤井フミヤ。「TRUE LOVE」「Another Orion」と伝説的な名曲を立て続けに披露し、その圧倒的な歌声でリスナーを魅了した。

MCでは、会場を見渡しながら「この会場を埋めるのはアーティストでも難しい。いいな~ナイナイ」と羨ましそうにコメント。自身もかつて『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めていたことにも触れ、「今だったらアウトなことをやっていた(笑)」と当時を懐かしんだ。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

さらに、「懐かしい歌をやります」と呼びかけると、チェッカーズ時代のヒット曲「ジュリアに傷心」「NANA」を熱唱。ハイキックを繰り出すなど、エネルギッシュなパフォーマンスで会場を沸かせ、ナインティナインの2人も「最高です!」と大興奮だった。

その後のトークでは、31年前に藤井が『ナインティナインのオールナイトニッポン』にゲスト出演した際の思い出話に。出演時に岡村が藤井に番組のロゴデザインをお願いしたところ、快く引き受けてくれたといい、そのデザインが今回のイベントTシャツにも使用されていると明かした。かつてはハガキ職人へのプレゼント用ステッカーにもこのデザインが使われていたそうで、藤井も「久しぶりに見たわ(笑)」と笑顔を見せた。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

さらに、当時、岡村が藤井に「服ください」とおねだりし、革パンをプレゼントしてもらったというエピソードも披露。岡村は家でその革パンを履いていたと振り返り、長年にわたる交流を感じさせる温かなトークを繰り広げた。

エンディングでは、出演者が再びステージに集結。岡村の「しばらく歌っていなかったけど、『ナインティナインのオールナイトニッポン』伝説の歌で締めましょう!」という掛け声で、GLAYの「HOWEVER」を熱唱した。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

10月29日の放送をもって『ナインティナインのオールナイトニッポン』を卒業することを発表している矢部は、「これが歌いおさめになるかもと思っています」と感慨深げにコメント。しかし、「これだけの人たちに来ていただいて、これで終われない」と、さらに全員でチェッカーズの「涙のリクエスト」を披露。出演者とリスナーによる大合唱が横浜アリーナに響き渡り、会場の盛り上がりは最高潮に。2人は「カラオケボックスもない時代」「あの時はラジオにリクエストしていたからね」と懐かしい時代を振り返りながら、「最高の歌謡祭になったのではないでしょうか」と充実感をにじませた。

出演者がステージを後にすると、最後はナインティナインの2人だけでトーク。矢部は豪華出演者たちのパフォーマンスを振り返り、「ジャンルは違えど、頑張らなきゃいけない気持ちになりました」と刺激を受けた様子。

さらに、12月からスタートする自身の新番組についても言及。「まだ未定のことが多くて、タイトルも決まっていないのですが」としつつ、「最後の日に発表できることがいくつかあると思います。よかったら聴いてください」と呼びかけた。そして岡村も「『ナインティナインのオールナイトニッポン』もリスタートということで、そちらもまた聴いてくれたらと思います」「どちらの番組も聴いてください」と、今後への思いを語った。

ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭

最後は「帰るまでが歌謡祭です」「今年も盛り上げてくれて、本当にありがとうございました」とリスナーに感謝を伝え、おなじみの「わーわーいうております!」「お時間です!」に続く12,000人の「さようなら!」の掛け声でフィナーレを迎えた。

そして、スクリーンには1994年の番組開始当初からの思い出の写真が次々と映し出され、若かりし頃のナインティナインの姿も。長年にわたりリスナーとともに歩んできた番組の歴史を感じさせる演出とともに、歌謡祭は幕を閉じた。

本イベントの見逃し配信は11月1日(日)23時59分まで。詳しくはイベント公式HPにて。

Facebook

ページトップへ