宇多丸、『mid90s ミッドナインティーズ』を語る!【映画評書き起こし】

ライムスター宇多丸がお送りする、カルチャーキュレーション番組、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」。月~金曜18時より3時間の生放送。


『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は、『mid90s ミッドナインティーズ』(2020年9月4日公開)です。

宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週、扱うのは 9月4日に公開されたこの作品、『mid90s ミッドナインティーズ』。

(曲が流れる)

はい、お聞きの曲はSouls Of Mischief「93 'Til Infinity」というね……まあだいたいこんな曲がかかりまくる映画でございます! 『スーパーバッド 童貞ウォーズ』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの人気俳優ジョナ・ヒルが、初監督を手掛けた青春ドラマ。ジョナ・ヒル自身が少年時代を過ごした1990年代のロサンゼルスを舞台に、13歳の少年スティーヴィーの成長を描く。

スティーヴィーを演じるのは、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』などの……これね、日本語表記で「サニー・スリッチ(Sunny Suljic)」さんってなっているけども、僕、YouTubeの本人のインタビューとかで自己紹介しているところを見たら、「サニー・ソルジック」さん、っていう風に聞こえましたね。サニー「スリッチ」ではないと思います。なので、今日は「サニー・ソルジック」で統一しようかなと思っています。サニー・ソルジックさん。

そして、兄・イアン役に『WAVES/ウェイブス』での好演も記憶に新しいルーカス・ヘッジズ。母・ダブニー役に『エイリアン:コヴェナント』などのキャサリン・ウォーターストンなどが出演している、ということでございます。ということで、この『mid90s ミッドナインティーズ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」ということです。賛否の比率は、褒める意見がおよそ7割。

主な褒める意見は、「流れる音楽やファッションが懐かしい。自分の青春時代の痛さを思い出した」「ただ単に昔を懐かしむだけではなく、マチズモや有害な男らしさの罪をきちんと描いている」「監督としてのジョナ・ヒルにたしかな技量を感じた」などがございました。一方、批判的な意見としては「もっと盛り上がるかと期待していたが最後まで盛り上がらないまま終わってしまった」などがございました。


■「多くの男性が図星を突かれた気持ちになったのでは?」byリスナー
ということで代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「リョウ」さん。「『mid90s ミッドナインティーズ』をウォッチしました。結論から言うと、素晴らしい映画でした。鑑賞中、思春期につるんだ友達と遊んでいた頃を思い出し、心地よい懐かしさを感じると同時に、当時の苦い記憶も蘇りました。男子集団で認められるためのイキったやり取りと、それをやった時のバツの悪い感情。危ないことや悪いことを一緒にやらないと周りから『日和った』と言われるような経験。

きっと鑑賞した多くの男性が図星を突かれたような気持ちになったのではないでしょうか?

監督は男子の仲間内のノリを単純に『あの頃ってよかったよね』と美化するのではなく、しっかりと批判する目を持った青春映画に仕上げており、良い側面と悪い側面が絶妙なバランスで描かれています。鬱屈した思いを抱えた少年たちのありのままの姿を映す手腕は監督デビュー作とは思えないほどで、ジョナ・ヒル監督恐るべし。間違いなく今年のベストテン入りです」ということでございます。

あとね、これはちょっと、全部は長いメールで紹介しきれないんですけど、ラジオネーム「スケスキ」さん。この方も、要するにスケートボードを90年代からずっとやられてきた視点で。要するにスケートボードをやってる側としての意見をすごく……そこがすごくちゃんと描かれてる、ということを書いていただいております。今までのスケートが描かれた映画の、スケーターの描かれ方というのがちょっと疑問だったんだけど、ということで、そこに関しても書いていただいたりとか。

あと、僕が今週の火曜かな? この映画の話をして、スケート文化、「ビデオを撮るっていう文化が、定番的にあるのかな?」って言っていたけども、まさにその通りみたいで。「スケーターとビデオ撮影やビデオ制作は、切っても切り離せないほど強い関係があります」ということで。途中でね、この後に音楽の説明もしますけども、使われている曲とかが、たとえばスパイク・ジョーンズが90年代に撮ったスケートビデオのオマージュだったりとか……といったあたりも書いていただきました。

あと、良くなかったという方もご紹介しましょう。ラジオネーム「めんトリ」さん。「私としては好きではありませんでした。褒めている方々の意見には全く同意なのですが、それ以上に乗れない部分が目立った感じです。私は映画の登場人物に感情移入して見ないので、よくありがちな少年がちょっと年上の不良に憧れるっていう話は心が動かされませんでした。そして同じような題材の名作『シング・ストリート 未来へのうた』のように、その年代である必然性がなく、制作者が『ほら、90年代を再現しましたよ。曲のセンスもいいでしょう?(どうよ)」感がにじみ出ていて、そこもダメでした。

極めつけはこの映画は90年代前半を再現しているにも関わらず、1998年以降製造の車・レガシィランカスターが走っていたのを発見してしまい、興ざめしました」。フフフ、車で(笑)。車のディテールがダメだった。「……期待して見に行った分、がっかりでした」。やっぱり皆さんね、あるよね。その、自分が詳しいジャンルの部分でダメな部分を見ると、「ああ……」ってなっちゃうみたいなの。俺、他の映画でも全然あるんで、それはわかります(笑)。

■人気俳優ジョナ・ヒルが呼吸してきたであろう、90年代のカルチャーの空気が真空パックされている
はい。ということで『mid90s ミッドナインティーズ』。私も新宿ピカデリーで、今回は2回、見てまいりました。これ、連休中ということもあるのかなと思ったけど、結構完全に満席で。宣伝担当の方から非常に熱いメールをいただいたんですけど、トランスフォーマーというこの会社史上、ナンバーワンのヒット、ということみたいですよ。はい。各地で本当に満席が続いていて。あと、普段映画館にそんな来るわけではないような、スケートボードを抱えたような子たちがいっぱい来てる、という。みたいな感じですね。

それで、「人が入っている」っていうことに関して言えば、『ブックスマート』評の時にもちょろっと言いましたけど、このところのアメリカ青春映画、ティーンエージャームービーが、新たな傑作連発期に入っていて。本作もその流れの中で、わりと支持が……「『ブックスマート』の次はこれ!」っていう感じで見てるような人も結構いらっしゃるんじゃないかなと。あとは、もはやその信頼のブランド、A24作品!というのももちろんありますからね。

脚本・監督はご存知、人気俳優ジョナ・ヒル。パンフレットに載っているロングインタビューによると、スパイク・ジョーンズに背中を押される形で、4年間、こつこつと育て上げてきた企画ということで。「かならずしも自伝的というわけではない」という風には言ってますけど、しかしやっぱり明らかに彼自身が呼吸してきた、その時代とかカルチャーの空気感、というね、それが、非常にリアルに再現されている。まんま真空パックされたような、本当に個人的な思いや愛情が注がれた一作ならではの、熱みたいなものとか、かわいさ、チャームがあるかな、っていう風に思いますね。

とにかくオープニング……もう順に語っていくだけで、その描き込まれているものの密度とか思い入れみたいなものが、すごいただ事じゃないんで、早速行きますけど。まあ全編16ミリフィルムなんですね。16ミリフィルムで撮影されていて、そのざらついた質感と、スタンダードサイズの画面が、既にですね、まあちょっと言っちゃえば、その画面自体が、一種映されているものを……もちろん、語られてるのはその劇中では「現在」なんだけど、既にその16ミリフィルムの質感が、ある種ちょっとその描かれているものに対する、距離感を感じさせるような作りになっている。

それが漂わされる中、誰もいない家の中の、廊下を捉えたショット……と、思いきや、そこにギョッとする音量と勢いで、これ、明らかに音とかは大きく誇張していると思うんですけども、ドーン!っていう感じで、体格差がはっきりあるお兄さんがですね、弟を本当に、ボコボコにしだす。「兄弟ゲンカ」と言うにはちょっと陰惨な匂いがする暴力を振るっている。で、パッとカットが変わって、鏡の前であざを確認しつつ、「早くデカくならないかな……」風に、自らの体をいろいろ眺めたりたしかめたりしている弟、スティーヴィーさん。

これ、演じている……さっきから言ってます表記、ちょっとパンフレットとかいろんなところの表記はサニー・スリッチさんって書いてあるんだけども、本人のインタビューでの発音を聞く限りはサニー・ソルジックさんという風にたぶん発音するんじゃないかと思うんですが、サニー・ソルジックさん。彼、俳優であるのとともにですね、今回の主要キャスト……「ファックシット」っていうあだ名で呼ばれている方と、「フォースグレード」さんと、ルーベンくん。彼ら3人もいるスケートチーム「Illegal Civilization」というのがあって、そこに所属している、要するにプロスケートボーダーでもある、ということですね。

つまり、劇中で彼が最初は(スケートを)上手くできない、みたいなのがありましたけども、あの下手さっていうのは明らかに演技だ、ということなんですけどね。スケートが上手くできないっていうのは演技だという。で、一方、弟におそらくは日常的に暴力を振るっているのであろう、お兄さんのイアン。演じていたのはルーカス・ヘッジズ。要はルーカス・ヘッジズって、ナイーブな青年役を得意とする方ですから。『WAVES/ウェイブス』もそうでしたけども。要するに、このお兄さんは弟に暴力を振るっているんだけど、その彼自身、マッチョな男性性に憧れている、でも本当はそんなんじゃないので、その実像とギャップがあるタイプ、それゆえに……っていうことが、直感的にも納得できるキャスティングですよね。

■ある種の危なかっしさを伴う思春期の成長
それでまあとにかく、このお兄さんはせっせと腕立て伏せとかしていたりするわけですね。要はこの話全体が、暴力性を含む「男らしさ」こそが大人になること、成長の証である、と思い込んだ少年たちの話である、ということが、冒頭でまず端的に示されるわけですね。はい。まあ既に大人である我々から見ると、本当につくづく、さっきもオープニングで言いましたけども、つくづく、思春期の成長……しかもそれらは、親がコントロールしたんじゃ、これはやっぱりダメなんですね。

特にやっぱり、お母さんが出てきたりするのは、本当に嫌な年頃ですから。自分でつかみ取らなければならない、痛みをもってつかみ取らなければいけない、だからこその危うさ、という。本当に危なっかしい。全編に渡ってですね、その少年たちの危なっかしい……そもそもスケートというものがある種の危なっかしさを伴う上に、彼らのその成長のプロセスというのがですね、危なっかしい! という感じ、全編にみなぎっている作品でもある。

で、とにかく弟の方は、とはいえまだまだ「子供」って言った方が近いような年齢で。部屋はですね、『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』とか、あとはスーファミの『ストリートファイターII』とかね、Tシャツでも着ていたりなんかしましたけども。そういったものが部屋にあふれてる、というその弟の部屋に対して、「俺の留守中には絶対に入るなよ!」なんて釘を刺されたお兄さんの部屋にですね、まあそうやって釘を刺されたので早速入ってみると(笑)、これがこのお兄さんのイアン、完全に、ヒップホップヘッズ!なわけですね。

■山と積まれたHIPHOP雑誌『ザ・ソース』が表現している兄の人物像
ベッドの壁には、ドーンとモブ・ディープのポスターが貼られていたりとか。山ほど積まれたストレッチ・アームストロングの……おそらくは『The Stretch Armstrong & Bobbito Show』のエアチェックテープ。そしてですね、ズラリと並べられた、まあアバブ・ザ・ロウ、アルカホリックス、チャブ・ロックとか、いろいろと並んでいましたけどね、並べられたラップアルバムのCDたち……僕はもうね、もちろん全部背中を見ただけで分かる、みたいな感じ。後半ではナズのTシャツを着てたりとか。あと、途中で来てるシャツはね、たぶん「Soul Food」って見えたから、デフ・ジェフかなんかですね。そんな感じだと思うんですけども。

で、なによりもキモは……これもオープニングでちょろっと話しましたが、大事そうに、とてもきれいな状態で積まれている雑誌。『ザ・ソース・マガジン』というね。これがそのヒップホップ史上に果たした役割というのは、オープニングでもいっぱい話しましたけど(※宇多丸補足:『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』でも少しだけ触れましたが、ざっくり要約するなら、90年代初頭、ラップミュージックが内容的/市場的に文字通り爆発的な広がりを見せるなか、同誌を中心に硬派な批評的土壌が育まれたことで、例えば過去にロックンロールがたどったような一方的な文化的搾取に抗う動きが活発化、シーンとジャンルに健全な自浄作用をもたらした……というような話。まさに劇中の時代、東京では、一部輸入レコード店に少量入荷する同誌をめぐり、静かな争奪戦が繰り広げられていたものです)。ということで、一番上に積まれてるのはスリック・リックが表紙の95年3月号なので、今週、僕は「94年、94年」って言っちゃいましたけども、おそらくはこのオープニングは、95年の2月~3月といったところでしょうね。

要するに、同時代の東京のヒップホップヘッズとも完全に同期する……要するに「『ザ・ソース』を読み込むような、“真面目なヒップホップファン ”感」なわけですね。特に彼の場合ですね、狂おしいほどにその文化に憧れ、染まりながらも、同時に後に明らかになるように、決してマッチョな荒くれ者タイプでは全くない。要は、いわゆる「ワナビー」でもあって……というこの距離感を含めて、本当にもう、ある意味当時の東京にいた僕たちそのものでもあるようなキャラクターでもあるかな、と思いました。

■劇中で使われているのは当時の「リアル」なHIPHOP
ともあれ、そんな兄の部屋の諸々をですね、憧れ混じりで興味津々に見て、探索しているスティーヴィー。さっき言ったね、そのCDの棚を見ながら、すごく熱心にメモなんかを取っている。「ファット・ジョー」とか書き込んでいて、うわっ、かわいい!っていう感じなんですけども。なにかと思ったら、それはお兄さんの誕生日プレゼントとして、彼がまだ持っていないであろうラップアルバムを選ぶためだった。なんていい子なんだ!って感じなんですけど。

しかしですね、レストランで、キャサリン・ウォーターストンさん演じるお母さんの前で渡した、そのプレゼント。お兄さんはロクに見もせずにですね、その包み紙をクシャクシャと丸めて、ポイっとそのCDの上に、こうやって捨てる。たぶんその、「弟が選んだCDなんて」っていうのと、「弟に自分が知らないものを教わるなんて」っていう、まあどっちにしろしょうもないかっこつけから出たものであろう、ということなんですけど。ちなみに、その一瞬だけ見えるCDの背中を見る限り、たぶんあれは、ファーサイドのセカンドアルバムなんですね。「全然いい(アルバムだ)よ、バカ!」っていう(笑)。

あのお兄さん、ポイッてやっていたけども、「それ、全然いいだろ!」っていう。ちなみにそのファーサイド、先ほどスパイク・ジョーンズっていう名前が出ましたけども、スパイク・ジョーンズがミュージックビデオを撮った「Drop」という曲が入っているアルバムです。『 Labcabincalifornia』っていうアルバムですけどもね。とにかく、このファーサイドをはじめ、先ほどもチラッと流しました、Souls Of Mischiefとか。あとはデル・ザ・ファンキー・ホモサピエン……途中で人生を語るホームレスが出てきますよね。あれが実はデル・ザ・ファンキー・ホモサピエンなんですね!

まあ、Souls Of Mischiefとデル・ザ・ファンキー・ホモサピエンは、ハイエログリフィックスというオークランドのクルーですし、ファーサイドは LAのグループですけど、そういうまあ、90年代西海岸ニュースクーラー、的なグループを中心に、ジェルー・ザ・ダマジャとかですね、ビッグ Lだとか、あとはア・トライブ・コールド・クエスト、グレイヴディガズ……ちなみにグレイヴディガズといえば、このパンフレットに載っているインタビューによると、途中で警備員が出てきますね? すごくコミカルに絡む警備員。あの警備員はプリンス・ポールかビズ・マーキーを最初は想定していた、とかって言っていて(笑)。本当にヒップホップ好きなんだな!っていう。

まあ、そのグレイヴディガズっていうプリンス・ポールがいたグループであるとか、あるいはサイプレス・ヒル、そしてね、GZA、ザ・ジニアスであるとか。まあウータン・クランの時代ですよね。あのファックシットが、ウータン・クランのTシャツなんかを着ていましたけども。とにかく、リアルタイムの東京ヘッズたちとも完全にシンクロする、ナイスかつリアルなヒップホップ選曲!ってことですね。これ、本当に実は『mid90s ミッドナインティーズ』の非常に大きなキモで。キネマ旬報で長谷川町蔵さんが書かれていた通り、「それまでスケーターを描いた作品は、外部の視点で捉えていたために、BGMにはロックが使われることが多かったが、当事者が撮ったことで、本来彼らが聴いていたヒップホップが中心になっていった」っていう。

これ、長谷川さんが書かれてますけど、まさに本当にその通りで。このあたりっていうのは、当時の日本の、たとえば多くの音楽ジャーナリズムが、リアルタイムでは大変軽視していた部分でもあるわけですけど。まあ90年代以降のストリートカルチャーの空気感、本当にとても的確に、誠実に捉えている、という風に思います。

■HIPHOP以外の曲も効果的に使われている
と、同時にですね、ここぞ!というところでは、非ヒップホップ曲がすごく効果的にも使われている。それこそ、ノスタルジックにかかるママス&パパスであるとか。

あとはあの、少年たちが将来への不安を振り切るように再びスケートを始める、っていうところではね、カニエ・ウェストが「New Slaves」という曲でサンプリングをしたことで知られる、オメガというハンガリーのグループの、タイトルがよく読めないあれ(「Gyöngyhajú  Lány」)とか(笑)。あと、パーティーシーンではこれ、メールでもいただいた通りですね、スパイク・ジョーンズの、96年のスケートのビデオ『Mouse』っていうのでも使われている、それのオマージュでもある、ハービー・ハンコック「Watermelon Man」が流れて……これはまあ、ヒップホップのサンプリングの元ネタとしても有名、という部分も当然あるわけですけどね。

あとは、ドキドキ体験の始まりはニルヴァーナ、とか。それから後半、疑似的な理想の兄弟関係が成り立ったようにも見える、あの美しいスケートのシーンでかかるのはモリッシーだ、とか。要は、特にエモーションをストレートに盛り上げるようなところでは、非ヒップホップ/ラップがかかる、効果的にチョイスされてる、っていう感じの映画でもありますね。ただし、やっぱりラストのラスト、一番大事なところで流される曲は……やっぱりファーサイド!っていうね。ファースト(アルバム)からあのクラシック!っていうことですね。

ジョナ・ヒルさんは本当に、「あなた、FGにいました?」っていう感じのチョイスで(笑)、本当にね、親近感を感じてしまうわけですが。まあ、ついつい音楽の話っていうか、ラップ~ヒップホップの話、ついついディテールの話が長くなってしまったんですが。まあ、それらはあくまで、作品全体を豊かにしているディテールであって。知らずに見てももちろん、何の問題もないようにちゃんと作ってある映画ですので。それはご安心ください。

■突き放すでもなく、懐かしがるでもなく、「男らしさ」の時代を見つめる
メインテーマはやはりですね、先ほども言ったように、そしてメールでもそれを書かれてる方が多かったですが、暴力性や乱暴さ、無軌道さを含む「男らしさ」がかっこいいとされる世界、それを体現するようになるのが大人の男であり、1人前になること……という風に思い込んでしまっている、主人公スティーヴィーをはじめとした少年たち、その危うさ、というところ。で、同時にそれは、特に10代、背伸びをして、街で見かけるイケてるお兄さんたちを真似したり、後ろをついて回ったり、それでちょっと認められるとこの上なく嬉しかったり……というような、そういう記憶を持つすべての人にですね、「あの時」の気持ちを思い出させる何かでもあるわけですね。

それは裏返せば、さっき言ったように、なんと危なっかしい、なんと危うい季節だったのだろう、という風に……いま思えば、本当に背筋がちょっと寒くなるような思いもかき立てられる、そんなエピソードの連なりでもあるわけです。たとえば、仲間に入れてほしい、認めてほしい一心で、まずはその単なるパシリとして……なんなら、要はそれまでグループの一番下っ端だったやつが、「ようやく上に立って威張れるやつが来た!」ってことで、ここぞとばかりに威張って搾取しているだけ、っていうのが実情だったりするんだけど、それすらも嬉しい、っていうその感じ。嬉しい、誇らしい、っていう感じとか。

なんだけど、だんだん慣れてくると、最初はあれほど輝いて見えたその彼らというのも、実はたとえば、「こいつ、単に強がっているだけじゃん」とか、「単にふらふらしてて無軌道なだけじゃん。バカじゃん、こいつら」みたいに、段々と色あせて見えてくる、っていうようなあの感じ。まあ青春映画だとね、『さらば青春の光』とかそういう、輝いて見えた先輩が色あせて見える、って描写はありますけど。そういうリアルな感じであるとか。

味わい深いのは、たとえばさっき言ったね、一番下っ端で、最初にスティーヴィーくんと仲良くなるんだけども、後に嫉妬をして……っていうあのルーベンくん。あれ、要するにあのグループの中では最も裕福らしいそのファックシットくんに車で家に送られて、アパートの階段を登っていくんだけど、後ろにいるスティーヴィーくんが振り返ると、その後そのアパートには帰らないで、一旦下りて、またスケートで表に出ていっちゃう。

要するに彼、ルーベンくんは、「お母さんが寝るまで俺は家に帰らないぜ」って言って、最初は単にそれ、悪ぶって、「ああ、かっこいいな。お母さんが寝るまで帰らないんだって!」なんて思っていたんだけど、それはどういうことなのか?っていうのが、後に後半、要は真に兄貴分的なレイという……これを演じているのは、本当にシュプリームのプロスケーターのナケル・スミスさんという、まあオッド・フューチャー初期とも絡んでいた、みたいなことらしいですけど。彼との会話から、だんだん明らかになってくる、ということですね。

ここでのその、要するにレイとの会話から、スティーヴィーは初めて、目先のかっこよさを追うだけではない、言ってみれば人生を俯瞰する視点、っていうのを持つに至るわけですけど。こんな感じで、その少年たちの、本当にどうしようもない馬鹿話をしてる中から、彼らの社会階層の違い、あるいはその人種の差による視点の違い、みたいなものが、すごく自然に浮かび上がってくるという。これもすごく上手い作りだなと思いました。

で、彼らを見つめる作者、ジョナ・ヒルの視線というのは、決して上から目線で突き放した……たとえばラリー・クラークの『KIDS/キッズ』みたいな、ああいう突き放した感じでもないし。でも決して、単純に寄り添うという……好感を持って、「懐かしいね」って描くわけでもない。これもメールにあった通り。たとえば、スティーヴィーの初めての性体験のくだり。彼は要するにあの、パーティーで話したあのエスティーという、ちょっとお姉さんの女の子に、「君は他の連中と違う。自然に優しいし」って。

「僕も、そういう誰か女の子と何かあったことを言いふらしたりなんかしないよ」なんて言って。そこをこそ見初められていたはずなのに……まあ当然のように初々しい初体験未遂のシーンはともかく、その後に彼は、仲間達の間に入っていくと、やっぱりはやされて、まさにその、さっき言ってた他の連中と同じような振る舞いを見せてしまう。ここでスティーヴィーくん、あんなにかわいい子なのに、ここだけはやっぱり、「てめえ、このくそ野郎が」って顔に見えますし。

ただ、お相手のエスティーさんはその頃、そのガールズトークで、あけっぴろげに話してるわけで。まあ、いかにも女の子たちの会話と比べると、やっぱり男たちは、幼い。幼稚なわけですね。要は、1対1ならイイ子……要するに、2人でいる時はとてもイイ子だったのに、他の男の子の前だと、別人のような強がりが始まっちゃう、っていうのはこれ、男文化あるあるで。その病理というのを、非常に淡々と示しているくだりだな、という風に思ったりしました。僕も本当に「うわっ!」って思いましたね。自分のことも振り返ってね。

■「大人」というロールモデルなき時代のティーンエイジムービー。
はい。まあジョナ・ヒルの初監督ぶり。本当にことごとく正統派、オーソドックスで。スケートシーンも、あえてトリッキーなことはしないで、本当にそこにあるものをそのまま、あえて撮り続けている、というような引きのフィックス。なんだけど、それはもちろん、ラストのラストに流れる「あの映像」とも対比になってる……まあ90年代スパイク・ジョーンズオマージュと言ってもよかろう、ああいう映像との対比にもなっている。「魚眼レンズこそ90年代だ!」とも思いましたけどね(笑)。まあ、そんな風に描く。

なんだけど、その一方で、会話の中での感情の揺れ動きなどは、丁寧にアップで、わかりやすく拾い上げていく。ドキュメンタリー的な本当っぽさと、感情を追っていくドラマの部分のバランスが、本当に自然で。演出家として、やはりとても上手いな、という風に思いました。あるいはですね、背伸びした少年たちが、異常にデカいプラスチックボトルというか、まあ「タンク」ですね。それで水を飲むという、ここは本当にアメリカ的なスタイル。ひいてはそれが、クライマックスの手前の、あるカタストロフの直前では、ついにそれが、モルトリカーの瓶になっちゃう。モルトリカー、本当に体に悪いんで。

デカいタンクで水を飲む。デカい瓶でモルトリカーを飲む、っていう風に変化していったそれが、お兄さんとの最後、無言の和解を示すあのシーンでは、どのような大きさの、何を飲む容器になっているのか……あの、「ポケットから2つ取り出す」っていうあれの、静かなおかしみもすごくよかったですね。要するに一種のフード演出として、そういう部分が秀逸だったりもする、というあたりだと思います。で、興味深いのは、少年たちが明快な成長を遂げる、大人になる、っていう、青春映画の王道的な着地では、しかしないんですね。

むしろ……キャサリン・ウォーターストン演じるお母さんの目線に、最後になります。そこに映った……あれだけこの息子を、悪の道に引きずり込んだあの悪ガキたち。彼女の、お母さんの目に映った彼らは、しかしまさに、「(彼らもまた)まだ、子供だった」っていうところに着地するところに、この作品の妙味がある。そして、「まだ、子供だった」って見る彼女自身が、若くして長男を産んだけど、でもすぐに大人になりきれたわけではない、っていう人だというところも、ここで味わいがある。

彼女もわかるわけですよ。「まだ、子供だったんだよね」っていう。それゆえの危うさ。つまりこれは、「大人」というロールモデルなき時代の、青春映画、ティーンエイジムービー。ゆえの、ある種の宙づり感があるエンディング、ということだという風に僕は解釈しています。ジョナ・ヒルにとって、『mid90s ミッドナインティーズ』はまだ続いている……ということなのだとしたら、僕もそうだ、と答えるしかないですし。そしてそれは、どの時代の誰にとっても、今や青春期とは、そういうものになりつつあるのかもしれない、ということかもしれません。

あとは、最後に、ずっと仲間が記録してた映像というのがエンディングになりますけど、「自分の青春を映像に残す世代」という意味では、今の時代に連なる最初の時代、それが『mid90s ミッドナインティーズ』なのかもしれない。まあ、その後の彼らがどうなっていくかに関しては、むしろドキュメンタリー『行き止まりの世界に生まれて』……これ、(火曜パートナーの)宇垣さんが思い出させてくれました。宇垣美里さん、ありがとうございます。それと合わせて見ると、さらにいいんじゃないでしょうか。

といったあたりで、またまたこのジャンルに、新たな、新時代を告げるマスターピースが出てきたんじゃないでしょうか。スケートボード、90年代ストリートカルチャーを描いた作品としても、突出してリアルだし、誠実だと思います。ジョナ・ヒル、やっぱり俺の友達だった?

ということで(笑)、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。


(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『マティアス&マキシム』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

 

 

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「自然」と人間が共生する“持続可能な分譲地”を目指して…東京セキスイハイムが展開する“分譲住宅ブランド”とは?

“一歩先を行く手の届く贅沢”をテーマにした情報紙「ビズスタ」から、社会で活躍するビジネスパーソンのウェルネスなライフスタイルに役に立つ最新情報をお届けするTOKYO FMのラジオ番組「ビズスタ THE REAL WELLNESS」(毎週土曜7:25~7:30)。「ビズスタ」編集長・佐原雅之がパーソナリティをつとめます。5月18日(土)の放送は、東京セキスイハイム株式会社 ハイムデザインオフィス分譲推進部・部長 原田興太郎さんをお迎えして、THE DESIGNER'S HEIM(ザ・デザイナーズハイム)都内第1弾となる「スマートハイムプレイス小金井本町」について、お話を伺いました。


原田興太郎さん


佐原:5月18日(土)から、セキスイハイムのハイクラス分譲住宅「スマートハイムプレイス小金井本町」の販売受付が開始されています。そこで今回は、東京セキスイハイムの原田さんにお越しいただき、どのような住宅なのかを伺います。

原田:東京セキスイハイムは、THE DESIGNER'S HEIM(ザ・デザイナーズハイム)都内第1弾となる「スマートハイムプレイス小金井本町」を販売いたします。ザ・デザイナーズハイムとは、弊社の商品と性能を熟知し、“ハイムデザインの達人”ともいうべき選び抜かれたデザイナーが所属する「HEIM DESIGN OFFICE(ハイムデザインオフィス)」が監修した分譲住宅ブランドです。

セキスイハイムの際立つ性能であるスマート&レジリエンス機能を満たした住まいを、ライフデザインの視点で住まう人の未来まで見据えたプランニング、デザインをしています。


「ザ・デザイナーズハイム」


このザ・デザイナーズハイムを9区画すべてに採用し、まち全体でデザイン性を高めて誕生したのが、東京初展開となる「スマートハイムプレイス小金井本町」です。「その邸宅、森に棲む。」を全体のコンセプトとし、邸宅の集まる街区が、まるで1つの森となる美しいランドスケープが特徴です。数多くの実績があるセキスイハイムグループのエクステリア&ガーデンブランド「ザ・シーズン」のスタッフが外構デザインを担当しています。まさに都心のオアシスとなる分譲地です。

緑豊かで美しい景観は、国が推進している「グリーンインフラ」の考えを取り入れ、いろいろな効果も狙っています。緑が太陽の光を遮り、植物が体内から水分を発散する蒸散によって温度の上昇を抑えることが期待できる“緑化計画”によるヒートアイランド対策や、生物環境の保全、水の自然浸透による雨水流出量の抑制など、自然と人間が共生する持続可能な分譲地を目指しています。そのほかにも特徴がたくさんありますので、詳しくはWebサイトをご覧ください。

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5月18日放送分より(radiko.jpのタイムフリー)
聴取期限 2024年5月26日(日)AM 4:59 まで
※放送エリア外の方は、プレミアム会員の登録でご利用いただけます。

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<番組概要>
番組名:ビズスタ THE REAL WELLNESS
パーソナリティ:佐原雅之(ビズスタ編集長)
放送日時:毎週土曜7:25~7:30

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