宇多丸、『STAND BY ME ドラえもん2』を語る!【映画評書き起こし】

ライムスター宇多丸がお送りする、カルチャーキュレーション番組、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」。月~金曜18時より3時間の生放送。

『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は『STAND BY ME ドラえもん2』(2020年11月20日公開)です。


宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週扱うのは、11月20日から公開されているこの作品、『STAND BY ME ドラえもん2』。

(曲が流れる)

漫画家、藤子・F・不二雄原作の国民的漫画、そこからアニメ化もされました『ドラえもん』、初の3DCGアニメーション映画『STAND BY ME ドラえもん』の、6年ぶりの続編。原作漫画のエピソード「おばあちゃんのおもいで」を軸に、前作で描かれた「のび太の結婚前夜」から続く、結婚式当日に巻き起こる騒動……この結婚式当日のエピソードはオリジナルで付け足している、という感じでございます。

前作から引き続き、監督を八木竜一さん、脚本・共同監督を山崎貴さんが担当されております。声の出演には、水田わさびなど通常のアニメ版のキャストに加え、大人になったのび太役の妻夫木聡さん……妻夫木さんはCMでのび太役をやったりしてますからね。おばあちゃん役の宮本信子さんも参加しております。

ということで、この『STAND BY ME ドラえもん』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。まあ、『ドラえもん』人気っていうことなんですかね? 賛否の比率は、褒める意見が1割ちょっと。残り8割以上は否定的な意見でした。はっきり言って、めちゃくちゃ評判が悪い、という感じみたいです。

褒める意見としては、「結婚式やおばあちゃんの絡みのシーンでは泣いてしまった」「原作のエピソードをうまく1本の話をまとめている」などがございました。一方、否定的な意見としては、「今年ワースト。あまりの出来のひどさに本気で腹が立った」「大人になっても現実から逃げ続けるのび太がクズすぎる」「しずかさんが聖人君子のように描かれていて気持ちが悪い」「映画化にあたって原作エピソードを改変した結果、原作を持つメッセージも台無しになっている。タイムパラドックス物としてもめちゃくちゃ」などなどがございました。

■「他人の未来を変える行為に作り手は無頓着すぎる」byリスナー
代表的なところをご紹介しましょう。「エヌしまゴリラ君」さん。この方は評価は「一応、褒め」という方みたいですね。いろいろ書いていただきつつ、よかった部分。「特に結婚式の列席者が涙ぐむ表情の作り方は秀逸でしたし、ストーリーの起伏はたしかに少ないながらも、ドタバタ感と『おばあちゃんのおもいで』と『ぼくの生まれた日』というエピソードをうまく内包しながらも、一作品としてうまくまとめ上げていて、しっかり結婚式というエンディングに着地していたので自分も結婚式に列席をしたような疑似体験をさせてくれるような作品でした。また、入れかえロープの魂が入れ替えるアニメーションを3DCG化した意義や……」。たしかに、この魂同士が入れ替わるっていう、そういう描写がね、途中でドラマティックに扱われるという。「……また、忘れん棒にこの映画のストーリーの矛盾点をうまく回収する役割を持たせて、秘密道具を準主役にしてくれたところは原作『ドラえもん』を読んでる時の膝を打つ感覚を蘇らせてくれた気もします」という。ただ、この方は批判的な意見も結構書いていただいて、というような方で。どちらかといえば、一応褒め、というような感じでございます。

一方、ラジオネーム「Suggy-MO'(スギーモー)」さん。「師匠がガチャを当ててしまわれたのでウォッチメンに参加するべく見てみました。結論を申し上げます。今年ワーストの出来だったと思います。とにかくこの作品に出てくる何もかもが気持ち悪い。私は3D表現のドラえもんたちにそれほど嫌悪感はないのですが、とにかく脚本や構成が投げやりなんじゃないかと疑いたくなるほどひどいし、訴えかけてくるメッセージも気持ちが悪いです。さんざん他人の人生を改変しまくったのび太に、もはや聖人のようなしずかが『あなたはそのままでいいのよ』なんて言う展開には開いた口が塞がりませんでした」という。

「今回は映画オリジナルの展開でおばあちゃんの人生まで狂わせてしまいました」というようなご意見。「私の記憶では欲が出たおばあちゃんの『のび太の花嫁が見たいわね』っていうセリフはあのエピソードのオチだったはず。それを実現させることがサービス精神とでも思ってるのか知りませんが、他人の未来を変える行為に作り手は無頓着すぎます。ウェルカムボードをジャイ子が書いたという小ネタ。作り手は『気が利いてるでしょ?』と本気で思ってる可能性がありますが、よくよく考えたらのび太の本来の結婚相手はジャイ子だったはずです」。ジャイ子問題、これは本当に重大!

「と、まあのび太ファースト、のび太第一主義と言いますか、作り手はのび太が自己中心的な理由で他人に迷惑をかけまくってる件を不問にしすぎです」というようなご意見でございます。皆さんもいろいろ書いていただいて、ありがとうございました。

■山崎貴監督の考えるイイ話って……「いやいや、それ全然いい話じゃないですから!」
さあ、ということで『STAND BY ME ドラえもん2』。私もですね、TOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。

ということで、2014年の『STAND BY MEドラえもん』、前作ね、僕は同年の8月30日、『ウィークエンド・シャッフル』時代に評しました。それの続編ということですね。山崎貴さん。脚本を書かれて……全体のその大筋のビジョンも、やっぱり山崎さんのビジョンが大きい。八木竜一さんというね、CGクリエイターの方と組んではいますが、やっぱり山崎さん作品、という色が濃い作品と考えておりますが。

明らかに現在の日本映画界を代表するヒットメーカーでありつつ、少なくとも僕は過去、この映画時評コーナーで取り上げてきた作品に関しては、その『STAND BY ME』含め、基本かなり批判的な評をしてきたんですけども、昨年の『アルキメデスの大戦』に関しては、特にオープニングシーンと、そのまさに原作を1本の映画として着地させるためのとあるアイデアについて、すごく高く評価させていただいたりもしました。これ、公式書き起こし、こちらは読めますんでね、ぜひ参照していただきたいんですけど。

で、とにかく山崎貴さんはですね、こういう作家性なんだな、という風に僕、最近ちょっと割り切れてきたんですけど。山崎貴さんは、要は「僕の考えた○○」を、わりと臆面もなく、まんまやりたい人で。それこそ監督デビュー作、2000年の『ジュブナイル』という作品はですね、それこそもう本当に『STAND BY ME』+『ドラえもん』的な……「僕の考えた『STAND BY ME』+『ドラえもん』」的なことをやった一作で、という。まあ、それも『STAND BY ME』評の中で言いましたけど。

要は、そもそもその作り手としての志が、二次創作っぽい人っていうか。で、よく言えば原作とかモチーフに対して、その山崎貴流の解釈というのを毎回している、とも言える。で、その山崎流解釈が、『アルキメデスの大戦』ではうまくハマったパターン……というか、たぶんですね、その『アルキメデスの大戦』は、あれがいわゆる「イイ話」じゃなかった、いわゆるバッドエンド物だったからハマったんじゃないか?っていうのが、私の仮説ではあるんですけど。

というのもですね、この山崎貴さん流の解釈によって抽出されたお話がですね、いかにもイイ話風、美談風に提示されているんだけども、「いやいや、それ全然いい話じゃないですから!」みたいに、少なくとも僕には思えてしまうということが、これまでの作品では圧倒的に多かった、という感じですね。それこそ、その2019年の『アルキメデスの大戦』とほぼ同時期に公開され、本当に阿鼻叫喚の……特にドラクエファンから阿鼻叫喚の否定的反応を巻き起こした、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』もそうですけど。まあ、さっきから言ってるように、その山崎さんなりの原作、モチーフ解釈。

つまりこの場合は、『ドラゴンクエスト』というゲームをプレイしたことで各々が得た感動、経験とは何か?っていうのを、一応山崎さんなりに、その本質を考えたなりの、その後半の特にトリッキーな仕掛け、ということで。しかもまあ、それと同様の構造を持っていると言える、たとえば2014年の『LEGOムービー』とか、そういう成功例もあるので。ああいう仕掛け自体が悪いとは、一概には言えないんだけど。

ただですね、この『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』に関してはやっぱり、その最終的な解釈の先に出てくる「善きこと」の押し付け感、美談感の押し付けがですね、一種その普通のゲームプレイヤーからすれば、本当に言わずもがなの説教をされてるようにも響いてしまっていた、という。これはやっぱり嫌われる。気持ちはわかるけど、これは嫌われるだろう、っていう感じはやっぱりありましたよね。

ということで、とにかく山崎さんの「僕の考えた○○」の中のですね、特にその「僕の考えるイイ話」という部分……つまり、「どういうものが “イイ話”なのか?」という、根本的な価値観、世界観に関わる部分で、僕は正直山崎さんとはたぶん、はっきり言って考え方の相違がある。っていうのも、『STAND BY ME』評で言及しましたが。つまり僕は、彼が「美談」として提示するものに、わりとはっきりした倫理的違和感を抱くことが多い、ということですね。で、『ユア・ストーリー』ではそれが、より多くの人にね、僕のこの感じが共有された。まあ「バレた」って感じだと思いますけど。

■前作のかろうじて良かった部分さえ否定するようなことをやってしまっている続編
で、ですね。その意味で、今回の『STAND BY ME ドラえもん2』ですけども。僕がその前作、一作目に感じていた、山崎流「『ドラえもん』のイイ話なところ」解釈の問題点が、半ば無理やりその続きを展開してしまったがゆえに、より拡大され、お話としてもキャラクターとしても、完全に破綻した、文字通り本当に……なかなかここまで言うことは少ないですけども、本当に、どうしようもない作品になってしまったと、まずは言わせていただきます。

前作はですね、『ドラえもん』という、一見その「終わりなき日常」が永遠に続くタイプのシリーズに見えるけども、実はそうじゃなくて、そののび太という主人公の人生をどう立て直すか……この「どう立て直すか」の解釈がちょっとまた分かれるところですけども、どう立て直すかっていう、はっきりした目的がうっすらと全編を貫いている、そういういわば「のび太成長譚」としてのストーリーでもある、という、その『ドラえもん』という作品の本質を、無数のエピソードから抽出し、1本の完結する話として凝縮してみせた話。

もちろん、その1本の話として無理やり凝縮した結果、いろんな問題点も出てきてはいるんだけど、まあそういう作品だった。で、特に僕は個人的には、のび太の成長のそのゴールとして、ヒロインというかな、その中で一番かわいくていい子とされている、しずかちゃんとの結婚というのをですね、あまりにも確定的なゴールとして置くのは、いろんな意味で、実はあんまり感じが良くない話だなと……これは前から僕は、もう子供の時から思っていて。

これ、詳しく話しだすとこれ自体でもう2時間、3時間は行っちゃうので。まあ「ジャイ子問題」「セワシ問題」、いろいろあるわけですね。僕はいつも思うのは、「そもそも、大人になってから立てた会社の、火事を防ぐのが先では?」っていう風に、まずはいつも思うんですけども(笑)。で、それはいいんだけどもね。とにかくシリーズを重ねていくあまり、その「しずかちゃんとの結婚」というゴールが、重要視……なんなら絶対視されるようになっていく。

で、だんだんそれに従って、しずかちゃんというキャラクターも、どんどんどんどん、現実離れしたいい子、現実離れした「聖女」になっていくという。これがいかにもですね、昔の少年向け漫画の限界、という風に、それも僕はやっぱり以前から思っていたので。2014年にですね、改めてこの話を語り直すという際に、そこに意識的なアップデートを加えていないのは何だかな……という風に思ったりもしたわけです。

で、「さようなら、ドラえもん」というね、その『ドラえもん』の中で公式に3つある最終回のうちの、最後の話。非常に素晴らしい名作だと、僕も思います。「さようなら、ドラえもん」で終わっていれば、オープンなエンディング……「結婚」というところがかならずしもゴールではなかったんだけど。そこにさらに「ウソ800」というね、これは連載時にもあった流れを、忠実という名の無批判さで踏襲した結果、そののび太の成長、つまりドラえもんからの自立を、先送りにするっていうことが“イイ話”なんだ、っていうところに終わっちゃってたのが、『STAND BY ME ドラえもん』で。まあ「これ、いい話だよね」って本当に思ってるんだろうけど、僕はちょっとそれはうなずききれないな、っていうような感じの作品だったわけです。

ただしですね、これ『STAND BY ME ドラえもん』、前作のちょっとフォローをしますけど。前作は、しずかちゃんとの結婚を翌日に控えた青年のび太が、少年のび太から、ドラえもん、あそこにいるから会う?って言われた時、はっきりとそれを、拒否するんですね。「ドラえもんは、君の……僕の子供の頃の友達だから」っていう。これはすごく良いセリフだと思います。つまり、このセリフがあることで、そののび太の自立、いつかドラえもんと別れて自立していくであろう、という成長の可能性は、否定してないんですよ。一作目は。

なので、一作目だけで完結するんだったらまだ、あれはあれでまあ、ありかな、なしではないのかな、ぐらいの言い方はできたと思っています。しかし、なんと今回の『2』はですね、僕が今言った、その素晴らしい青年のび太のセリフを、完全に台無しに……さかのぼってつまり、前作のかろうじて良かった部分さえ否定するようなことをやってしまっている、という。もう途轍もないことになってます! 以下、『STAND BY ME ドラえもん2』に関して、かなりネタバレを含む評をしますので。非常に楽しみにしていらっしゃる方、いっぱいいらっしゃると思いますので。ぜひぜひ劇場でウォッチしてくださいね! 本当にね。

■その場ではよくわからない出来事を描き、あとから「実はこうでした」と明かすのは伏線回収とは言わない
はい! ここからネタバレします。ちなみに山崎貴さん、今回の『2』のノベライズ版あとがきで、こんなことを仰っています。まず一作目に関して。「『STAND BY ME ドラえもん』は、名作と呼ばれているいくつかのエピソードを並べてみたら、ラブストーリーとして1本の物語になっているではないか、という発見だけで始めた企画です」。「コンピレーションアルバムのようなもの」とまで言っちゃってるわけですね。まあ、だいたいそのぐらいの志で作ってる、という。

「しかし、パート2ともなると、だいぶ自分でも物語を作っていかなくてはならなくなります」「一作目の時に入れたくてもどうにも入れられなかった『おばあちゃんのおもいで』を中心にさせてもらうということは瞬時に決めましたが、お話を膨らませるにはどうしたらいいのか?」。そこで、おばあちゃんの「あんたのお嫁さんをひと目、見たいねえ」という、ここを深堀りできることに気づいた。そして脚本打ち合わせに集まってくれたメンバーの、「そして結婚式に行ってみたら、大人ののび太は自信がなくなって逃げてたりしてね」というこの言葉。これによって、すぐに新しい物語の流れが出来上がりました、というようなことを言っている。

つまりですね、元々こんな「辻褄合わせ」から発想しているお話なので。支離滅裂なのもまあ、当然と言えば当然なのかもしれないんだけど ……という。ただそれに、お金を払って96分間付き合わされる側はたまったものではない、という。ちなみに、前作と対照的に、今回の『2』はですね、完全に、要するに『ドラえもん』の何たるか、『ドラえもん』のキャラクターたちの何たるかを知ってないと、全くわからないタイプの話になっています。一見さんお断りの作りになってます。

今、「辻褄合わせ」って言いましたけどね、たとえば序盤。のび太の部屋で、ドラえもんと2人でやり取りしてるんですけど。そこに、ポロポロポロポロと、不自然極まりない、その場ではよくわからない出来事が、提示されては、スルーされていくわけです。当然それはですね、後ほど「実はこういうことでした」という風に明かされていくんだけど……ええと、こういうのは、「伏線回収」とは言いません! というのはね、繰り返し私はね、言ってるあたりでございますので。

「伏線」というのは、元は別のものとして機能していたものが、後ろで違うものとしてまた別に機能する、ということであって。最初に意味がわからないディテールをばらまいておいて、「実はこうでした」なんていうのは、伏線ではない、というね。山崎貴さん、今回の映画に合わせた『ドラえもんまんがセレクション』という本の中のインタビューで、「『TENET テネット』も特殊なタイムトラベル物で楽しかったですが、やってることは我々の映画と共通しています」というね、非常に「豪語」と言うにふさわしい言葉を仰っているんですけど……うん、あの『TENET テネット』のツッコミどころの部分、『TENET テネット』のダメな部分が、たしかに共通してるかな、と思いますね。さすがですね。

■序盤の「伏線」が辻褄合わせ的に回収されていくだけの愚鈍な展開がノロノロと続く
とにかくまずはですね、「おばあちゃんのおもいで」エピソード。よちよち歩くおばあちゃんっていうのは正直、不憫かわいくて、涙腺を刺激する部分があるのはたしかにわかる。ただですね……その小学生ののび太を、受け入れるわけですね。「疑いませんよ」「わあん!」っていう。これはじゃあ感動的だとしましょう。で、そこからさっき言った「お嫁さんを見たい」発言をおばあちゃんがするんですけども。漫画なら、コマの流れとか、あるいは作品全体の尺感、あるいはそもそも、これはさっきのメールにもあった通り、ギャグ的なオチなので、オチとしての機能というところから、この話も自然に読めるわけなんですね。

なんだけど、映画の時間感覚でこれを……流れでそのセリフが急にまた出てきちゃうと、いかにも不自然というか、「おばあちゃん、早いな!」「おばあちゃん、もう新たな要求?」という風にしか思えない流れになっちゃってるんですね。事程左様にですね、藤子・F・不二雄先生が、当然「漫画ならでは」の方向で突き詰めた演出、感情表現……本当にそれは藤子先生、見事です。それをですね、要は「忠実」という名の下に、そのまま映像に置き換えても、変になるだけ、みたいなところが本当に多いんです。これは前作でもいっぱいありましたけど。というか、そんなところばっかりなんですよね。

たとえばですね、驚いたり焦ったりした時に、あの、白の中にさらに黒い丸がある目の玉表現というのが出てくるんですけど。あれ、動いてるキャラに付けると、「イッちゃってる人」にしか見えない、みたいなのがあったりするわけです。あと、動きもまあ、オーバーアクト感をやるだけで、ちっとも気持ちが入ってるようには見えない感じだったりしてね。とにかくですね、前述の通り、そののび太としずかの結婚式当日に行くわけです。おばあちゃんが「お嫁さんを見たい」って言うから。

そうすると、のび太が来ていない。代わりにその子供ののび太が青年のび太になりすまして……というドタバタ劇が続くんですけども。ここも、たとえばですね、その「新郎のあいさつをしてください」と言われて、子供だから「あいさつを……」って言われて「こんにちは!」って言って、一同がガクッ!となるっていうんですけども。これ、普通は「こんにちは!」って言ったらみんな、その後になにか話が続くのかな?って思うだけで、「こんにちは!」って言ったからガクッ!とするなんて、これはいかにも「頭で考えた」ギャグっていうか、まあ、ギャグになっていないギャグですよね。

とにかく、普通につまんないんですね。ということで、青年のび太を探そうとするんだけども、さっき言ったその序盤の不自然きわまりないその「伏線」の数々が、まあ辻褄合わせ的に回収されていくだけの、本当に面白くもなんともない、だけではなく、どんどん本来の物語の目的がぼやけていって、何の話だかよくわからなくなってくだけの……本当にこの言葉を使わせてください、愚鈍な展開が、ノロノロと続いていく。

あとね、これは山崎作品に多いなと思うんだけど、何かが起こる。で、そこからのリアクション、という……何かが起こるのとリアクションの間に、いちいちワンクッションがあるんですよ。これがウザい!っていうね。

■最後はのび太がとにかく無制限に甘やかされ続けるだけにしか見えない着地へ
で、いろいろとあって。ノロノロノロノロと続いて。で、青年のび太は、実は子供ののび太たちの乗ってきたタイムマシンに勝手に乗り込んで、子供時代に戻っていた。はっきり言ってこれ、二重三重に無責任かつ身勝手な、かなりひどい行為ですよね。この青年のび太の行為は。で、よっぽどの理由があるかと思いきやですね、要はまあ、またぞろその「しずかちゃんを幸せにする自信がない」程度のことを繰り返してるわけです。

あの、いいけどそれ、結婚式当日に言うこと?っていう。そしてこの時点で、もう既に一作目のね、あのセリフが完全に台無しになってますね。もう無! ですよね。これね。で、僕はその「しずかちゃんを幸せにする自信がない」みたいなことを言い出したところで、このあたりではっきりと、映画館の中で……すいません。マナー違反ですけど、大きめの舌打ちが始まってしまいました。「チッ!」「チッ!」ってね。

ただね、そんな「自信がない」とか言ってるわりに、「いや、でも自信がついたらタイムマシンで元の時間に戻ればいいんだ」とかケロッと言いやがったりするわけですよ。はあ、自信がついたら、ですか……ええと、それをいま言い出すって本当にお前マジでサイコだし、こんなやつとは何びとも結婚すべきではないと思うけど、まあじゃあ100歩譲って、どうやって自信をつけるっていうか、機嫌を直して未来に帰っていただけるんですか? と思って見ているとですね、ここは「45年後…」っていう原作の漫画にもあるエピソード要素が入って。

「入れかえロープ」で、のび太は少年期気分を満喫しだすんですけど……「あれ? ちょっとなんか話、変わってない?」っていう。そもそも、「子供時代の僕がもっとちゃんとやってればよかったんだ!」っていう風に言った時に、そしたらドラえもんが「それなら簡単だよ」って言って、入れかえロープを出すんですよ。「えっ、話、違くない? 違くない、これ?」っていう。で、そんなことが始まって……入れかえロープだけ、序盤の非常に不自然な中で、これだけが新製品として出てくる。っていうところで、まあ「不良品でした」とか言って、タイムサスペンスっていうか……な物語障壁を無理やり作り出して、っていうのも本当になんだかな、なんですが。

で、その無理やりな物語障壁を作っていると言えば、この場面、最終的にその大人の心が入ったえのび太が、中学生3人に追われることになるわけです。ここもまあ、きっかけははっきりと自業自得ですし。あと、バイクに音声認識がないことに戸惑うくだりとかもうさ、おかしいだろう? 未来しか知らないっていうわけじゃなくて、昔時代を満喫しに来ているやつがこの(リアクションをするのは不自然すぎる)……もう本当に頭で考えた「ギャグ風」ね。クソ面白くもねえ! で、そこからまたそのバイク暴走が始まってですね、唐突にアクションシーン的な盛り上げがある。

まあ、これでもないとこの話、映画全体が盛り上がる場所がないから、無理やり作るんだけども……このアクションは本筋と関係のない、自業自得トラブルなんで。正直、その青年のび太へのムカつきだけが増していく。で、土手からバイクごとボーン!って出て。そしたらそのバイクがボーン!っていったまま、そのバイクの着地音もなにもない、という非常にずさんな作りから、中学生3人との対決になっていくんですけど。

これ、要はそれを助けてくれようとするしずかちゃん、さらにはジャイアンとスネ夫も加勢する、っていうんだけども……ここでジャイアンとスネ夫が、「のび太をぶん殴っていいのは、俺たちだけなんだー!」って言うのをですね、なんのギャグ的なツッコミもなく、いいセリフ風に響かせる、というこの無神経さ。で、なんとかその中学生を撃退して。まあその、「さようなら、ドラえもん」でのジャイアンとの対決の拡大版、みたいなことなんでしょうけども。

そこでそののび太がですね、「僕、しずかちゃんを守れたかな?」って言う。それでうなずくしずか。「いや、お前……『守る』もなにも、そもそもしずかちゃんはお前の作ったトラブルに巻き込まれただけなんだけど?」みたいな。で、根本の問題として、その暴力的な事態に対して、体を張って……つまり自分も暴力を振るうことを辞さず「守る」のが、男性として一人前になること、みたいな。この図式自体が、今時は全然 ”イイ話”じゃねえから!っていう。少なくともいま作られる作品としては、ここだけは見直すべきところだよ、むしろ。

で、とにかくそんなのがあって。しずかちゃんを「守り」、なんか「ぼくの生まれた日」エピソードでその両親の愛を確認したことで、結婚式に戻ってきた青年のび太がですね、スピーチを……本当の結婚式でよく聞く、本当に型通りの“イイ話”スピーチで。もう本当にね、あれは一番酒を飲みたい時間帯ですけど。で、そこにですね、遅刻、中座、失態をしたそののび太を、怒りもせず……あと、替え玉だったことも分かった上で受け入れる、という、まさにのび太にとっての「聖女」となっている大人しずか。

まず、しずかがドラえもんの関与も分かった上で、「あなたはそのままでいいのよ」とかまず言うわけですね。つまりこれは……もちろんそういうテーマの話があってもいいけど、少なくとも「のび太成長譚としての『ドラえもん』」っていうのを、完全に否定して有耶無耶にするようなことを、しずかが言ってしまうわけ。その上で、のび太はこんなことを言う。「僕は、僕が幸せになるために戻ってきた。それがきっとしずかさんを幸せにすることだから」って……俺、そこではっきり声出して、「はあ?」って言っちゃった。「えっ、なに言ってるか、よくわかんないんだけど」って思ったら、それに対してしずかさんが、「よくできました!」って……「えっ? あ、ええっ!? な……あんたら、なに? なにが『よくできた』なの? しずかちゃんは、なにを認めたの?」っていう。のび太がとにかく無制限に甘やかされ続けるだけにしか見えない着地になっていく。

■これ、”イイ話”なんですか?
皆さんに聞きたいのは……これ、”イイ話”なんですか? 僕、神経的に全くこれ、理解できないです。ということで、本作の青年のび太はですね、感情の流れ、行動が本当に変すぎて……なぜなら辻褄合わせでお話を作ってるから! なんですが、キャラクターとして完全に破綻してるし、それに合わせて周囲のキャラクター……特に大人しずかは、さらにやっぱり破綻したようなというか、ちょっともうおかしなことになっちゃってる、っていうことだと思います。

普通にアニメとしてもですね、たとえば子供時代が昭和40年代なのに対して、その25年後のあの未来感というのは全く意味不明、とか。アニメとして演出的に面白くない、とかいろいろあるんですが。あと、とにかくやっぱり『2』を作るなら、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的に、じゃあその『1』の批評的な見直しをするとか、そういうこともないですし。

とにかく、一作目を5億歩譲って認めたとして、っていうか、だからこそ、それすらも破壊してしまった……本当に救いがたい、蛇足にして駄作中の駄作。ドラえもーん! 時間、返してーっ!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『燃ゆる女の肖像』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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16万人が熱狂した、伝説のイベント!「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」公演を記念した書籍が7月18日に発売決定!

2024年2月18日に開催され、5万3千人のリスナーが集い、ライブビューイングと配信を含めると合計16万人が熱狂したイベント「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」。この伝説のイベントを記念した書籍『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム 公式余韻本』(著者・オードリー)が、イベントからちょうど5か月後となる2024年7月18日(木)に、新潮社より刊行されることが決定した。

『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム 公式余韻本』

イベント当日、朝から終演後までオードリーのふたりに密着した様子、本番中の全コーナーを捉えた250点以上の写真と1万4千字のレポートを収録予定。「公式余韻本」の名の通り、まさに、イベントの感動の“余韻にひたれる”豪華カラーページになっている。

さらに、この本だけの特別企画も満載!

イベントでの共演を振り返る、春日×フワちゃん、若林×星野源の対談/オードリーがリスナーの質問に答えるインタビュー/イベント当日のゲストへのインタビュー【ビトタケシ、ニッチロー、TAIGA、ダブルネーム・ジョー、松本明子、フワちゃん】/2.18目撃者インタビュー【はなわ、谷口大輔、千葉雄大】/人気漫画『1日外出録ハンチョウ』特別コラボ漫画/高田文夫エッセイ/石井玄(製作総指揮)×安島隆(総合演出)の対談……などなど。

イベントをご覧になっていてもいなくても、リトルトゥース(リスナー)のみなさんに間違いなく楽しんでいただける内容です。

■書籍内容紹介
<16万人が熱狂した、伝説のラジオモンスター。最高にトゥースな、2.18東京ドーム公演!>
250点以上の写真と1万4千字の密着レポート、若林×星野源の対談、春日×フワちゃん、オードリーがリスナーの質問メールに答える企画も収録。オープニング、トークゾーン、ひろしのコーナー、プロレス、DJプレイ、ラップ、死んやめ、エンディング、漫才……。全コーナーの興奮と感動の余韻に浸ってください!

『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム 公式余韻本』

■書籍データ
【タイトル】『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム 公式余韻本』
【著者名】オードリー
【発売日】2024年7月18日(電子書籍版も同時発売)
【造本】B5判・ソフトカバー・104ページ
【定価】2200円(本体価格)、2420円(税込み)
【ISBN】978-4-10-355432-5
【URL】https://www.shinchosha.co.jp/book/355432/
全国の書店・ネット書店で随時予約受付スタート!

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