岡本知高の”恋におぼれ、酒におぼれた留学時代”

TBSラジオ『要 潤のMagic Hour』毎週土曜17時から放送中!

ゲストは先週に引き続き、ソプラニスタの岡本知高さん。

最上階10階にあり、 東京湾の一望できる『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』でお話伺います。

パリでの留学では『恋に溺れ、酒に溺れて...』?!

岡本さんは20代前半で、男性ソプラノやアルトの歴史があり、古いクラシックオペラを学ぶことができる、フランス・パリに留学されていました。

その当時を、人生で1番自由に生きていた時で、”危険な恋に溺れ、酒にも溺れていた” と振り返られました。

要「お酒は、喉に影響なかったんですか?」

岡本「僕は、高知の男なので、20歳超えてからすごくお酒飲んでいて...。フランスでは、ワインを飲んでいましたね。向こうでの生活は、毎日パーティーで...危険な恋に敗れた時は、朝、目が覚めると部屋にワインの空き瓶が7本あったこともありました(笑)そうなると、やっぱり声に影響があるんですよ!」

要「ですよね(笑)」

岡本「声の低い歌手の方々は、お酒を飲んでから本番に臨む方もいたんですけど...。僕みたいな高い声だと、短距離走のような瞬発力が必要なので、声帯が充血しちゃうと、声に影響が出てしまうんですよね。日本に帰国してから、自分にしか分からない失敗ですけど失敗をしまして。『これは昨日の酒のせいだ』という公演で、そこから、お酒は断ちました!」

近藤「え!もう禁酒ですか?」

岡本「一生分飲んだな、と(笑)『はい!(お酒は)終わり!』って自分に魔法をかけたみたいにしたら、欲さなくなりました。」

そんな自由な生活、危険な恋、お酒に溺れた経験、さらには、日常の些細な選択全てが ”表現のエッセンス” に変わり、現在の歌声につながっている、と感じているとのこと。

実は、日本の音楽大学のレベルは高く、パリで学ぶテクニックは、ほとんどが日本で学んだことのあるものだったそう。

岡本「でも、フランスオペラやシャンソンなどの文化が生まれた場所で暮らし、外国人として過ごす、という生活自体が、留学をした理由だったんじゃないかな、と思うくらい。エッセンスを肌で感じるというのが、一番吸収できた事かな、と思いますね。」

要「現地でコンサートや歌を聞いて、刺激ももらいましたか?」

岡本「そうですね。1週間の半分くらいは、オペラに行ってました。1番安い席は、当時600円くらいだったんですよ!貧乏学生の僕が、毎晩のようにオペラに通えてました」

近藤「オペラというと、日本では敷居が高いイメージあります」

岡本「歌舞伎は、オペラと同じ時代に誕生した文化ですけど、日本人に近くて、遺伝子に組み込まれているような感じですよね。僕は、”外国人として、オペラを歌わせて頂いている”という気持ちです。留学して、外国人の立場になって、初めてそう気付かされました。」

パリの師からの教え『歌えるものは、全て歌いなさい』

2002年に、パリのプーランク音楽院を首席で卒業。
帰国後すぐ、テレビ番組への出演をきっかけとして、日本での活動をスタートされました。

現在では、コンサートやミュージカル公演などに活躍の幅を広げていらっしゃいます。

岡本「留学したことで、自分の進みたい道が開けましたね。というのも、『古い音楽ばかりじゃなくて、あなたが歌えるモノは、全て歌いなさい』とパリの先生方に教えていただきました。僕は、田原俊彦さんや中森明菜さん、美空ひばりさんとか、そういう音楽に囲まれて育ったので、『自分のオペラの声で、色んなジャンルの曲を歌ったらどんなに素敵か』と!そこで、オペラの道1本ではなく、芸能界の力をお借りして、自分のやりたいパフォーマンスをできる道を選びました。」

近藤「そういった岡本さんのご活躍で、オペラを少し身近に感じられます」

岡本「嬉しいです!最初は、衣装もすべて自己欲求だったのが、お客様に拍手をいただくことで、段々と、どうやったら喜んでいただけるのか、というエンターテイメントの出役の気持ちに変わっていきました!」

日常の延長としてコンサートを考えている岡本さんは、歌でストレスを溜めながらも、歌でストレスを発散している、とのこと。

大学時代から行う、学校訪問コンサート

幅広く活躍される岡本さんですが、大学時代から、全国各地の学校訪問コンサートをライフワークとされています。

訪問を始めたきっかけは、最初に声楽を教えてくれたという恩師からの誘いでした。

その時に行った初めてのソロコンサートは、自己欲求のまま、学校で習っているオペラ歌曲やクラシックを披露...子供たちの心は掴めず、大失敗に終わったのだとか。

岡本「色んな気づきを与えてもらったのが、学校訪問コンサートなので、僕にとっては原点なんです。今では、アニメソングや、その学校で習っている楽曲を歌っています。」

近藤「その公演を見た学生と再会、ということはありましたか?」

岡本「あるんですよ!この前、歌番組の舞台袖で、舞台に出る直前に若いスタッフの方が『岡本さんがうちの学校で公演してくださって、いつか舞台裏でスタッフとして、ご一緒したいと思ってたんです』って。もうね、泣けちゃって!歌う直前に言うなよ~って(笑)音大の先生になった子までいて!覚えててくださるのは本当嬉しいですし、そういう声を聞くと、みんな大きくなってるな~って元気になります!」

来週も、岡本さんと優雅な夕暮れ時を過ごします。
お楽しみに!

OA楽曲
Boléro IV ~New Breath~/岡本知高(アルバム『Anthem』より)

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オーディオブーム支えたオンキヨーが自己破産 アナログ文化の再燃も「頑張りきれませんでした」

経営再建中のオンキヨーホームエンターテイメントが大阪地裁に自己破産を申請した、と読売新聞などが報じた。5月16日の「おはよう寺ちゃん」(文化放送)は、このニュースについて月曜コメンテーターである経済評論家・上念司氏と寺島尚正アナウンサーが議論を展開した。

オンキヨーは5月13日付で破産手続きの開始決定を受けた。負債総額はおよそ31億円にのぼる。かつては高級音響機器を手掛け、オーディオブームを支えたが、スマートフォンの普及による音楽市場の変化に対応しきれなかった。

オンキヨーは1946年、松下電器産業の技術者らが独立して創業。音質にこだわったスピーカー、ミニコンポを市場に送り出し、日本を代表するブランドに成長。海外でも高い知名度を誇っていた。しかし2000年代に入ると、スマートフォンで音楽や動画を楽しむ人が増え、業績が悪化。2021年3月期には2期連続の債務超過に陥り、同年8月に上場廃止となっていた。

「時代ですね。大きいコンポで、家で音楽を聴くというよりは、もうみんなBluetoothスピーカーみたいな小さいものを持ち運んで、いろいろなところで聴くという時代になっちゃったので、それに対応できなかったから潰れてしまったということですね。もうちょっと頑張れば、またハードウエアの時代が来ると私は思っているのですが、ちょっと頑張りきれませんでした」と、上念氏は残念そう。

「一時、アナログ系は廃れましたけど、また見直されている部分がありますもんね」と寺島アナが発言すると、上念氏は「やっぱりレコードのほうが実際には音がいいんですよね。デジタルではカットされちゃう、人間には聴こえない音が出てるんですよ。それが影響を与えるとも言われてますけどね」と付け加えた。

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