さだまさしからのメッセージを毎日紹介!TOKAI RADIO『GrooVE929』

TOKAI RADIO『GRooVE929(グルーヴ ナイントウナイン)』(月~金6:30~9:00 DJデイル)8時35分頃からは、1週間を通して1組のアーティストからのメッセージを紹介している。今週(4月1日~4月5日)は、さだまさしが登場。まずは4月1日(月)のトークから。

「今年、レコードデビュー51年目に入る。そして、5月22日に新しいCDが出る。それも唯のCDじゃありませんよ。歌じゃないんですよ。トークのCD。私が企画したんじゃありません。スタッフが勝手にやったものです。その名も、トークアルバム『歌ってはいけないCD さだばなし 迷作集 令和六年版』これは、買わないように、みなさんに、お願いしております」

「歌手ですから、歌を是非とも、聴いていただきたいと、こう、思うわけですね。歌のほうも、4月10日に、昨年やりましたコンサートのライブ映像集が、何と、出るんですね。コンサートの模様を、CDでも聴いていただけますし、DVD、ブルーレイでも、聴いて、ご覧いただけます。こちらのほうを、宜しくお願いしたいと思います」

続く2日目は、朝の番組に因んだトークから。「朝と言えば、何と言っても朝食。私は、ご飯がいいですね。ご飯とシャケ。唯のシャケではダメ。やっぱり塩ジャケ。しかも『このシャケはダメだから、塩にでも漬けておけ』というシャケはダメ。『世が世であれば、私は塩ジャケなどに身を落としてはおらん』という貴族のようなシャケが、なぜか塩ジャケにされているという、そういう由緒正しい塩ジャケ」

「それと、納豆と海苔。あとは、味噌汁、御香香(おこうこ)があれば十分。それに卵焼きがあれば、さらにうれしい。私の朝食は以上です。これが、朝昼晩でもいい。これでいけます。たまに納豆のかわりに豆腐も入れてほしい。御香香も、甘いものからショッパイものまで、全部大丈夫。」とのこと。

そして、最後に、TOKAI RADIOから全国17局ネットの自身の番組『さだまさし 1時の鬼の魔酔い』(月18:00~19:00)公開イベントを告知した。65th TOKAI RADIO 公開ラジオ『さだまさし 1時の鬼の魔酔い』は、5月11日(土)15:00~ 中日ホール(名古屋市中区 中日ビル6F)で開催される。招待者600名は、TOKAI RADIO webサイトなどで募集中(~4月15日)。

GRooVE929
放送局:TOKAI RADIO
放送日時:毎週月曜~金曜 6時30分~9時00分
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※該当回の聴取期間は終了しました。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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