日向坂46がANN0に登場! ドラマ「DASADA」撮影裏話を語る

スペシャルなパーソナリティが週替わりで登場する『オールナイトニッポン0(ZERO)』。今週は新曲の4thシングル「ソンナコトナイヨ」のリリースを記念して、 日向坂46がパーソナリティを担当。番組には齊藤京子さん、東村芽依さん、丹生明里さん、渡邉美穂さんら4人が登場しました。

新曲「ソンナコトナイヨ」の魅力や日向坂46として初の主演ドラマ「DASADA」(日本テレビ系)の撮影裏話など、放送でしか聴けない彼女たちのトークをぜひお楽しみください!(ニッポン放送『日向坂46のオールナイトニッ ポン0(ZERO)』。2月22日(土)放送分)

渡邉美穂が『オードリーANN』を聴かない理由

「日向坂で会いましょう」(テレビ東京)で日向坂46と共演中のオードリーが担当する『オードリーのオールナイトニッポン』(毎週土曜25時~)の後に放送された今回。

日向坂メンバーの間でも、『オードリーのオールナイトニッポン』の話題がよく出るそうですが…。

齊藤:みんなはオードリーさんのラジオ聴いてる?

一同:...(笑)。

渡邉:私はたまーに聴いたりとか。でも、あえてあんまり聴かないようにしてて。好きになっちゃうじゃないですか。愛が出てきちゃうと、バラエティがやりづらくなっちゃうなと思って、私はあえて聴かないんです。でも好きです、ちゃんと。何言ってんだろう私(笑)。

続けて4人は、最近の春日さんに対する印象を語り合いました。

渡邉:日向愛にあふれてません?

丹生:ちょっと、おひさま(ファンの総称)化を感じますかね。

齊藤:「日向坂で会いましょう」で、ちょっとニヤニヤみが深いっていうか。

東村:優しい顔になってる。

渡邉:親みたいな顔しません? なに言っても笑顔で受け入れてくださるから。

齊藤:おひさまになってくださると嬉しいなあ。

丹生:すごく嬉しいです。

メンバーが思う、新曲「ソンナコトナイヨ」の印象は?

放送では、2月19日(水)に発売された4thシングル「ソンナコトナイヨ」について、メンバーが抱いた楽曲の印象や魅力的な歌詞をそれぞれ挙げました。

渡邉:「ソンナコトナイヨ」は、ミュージックビデオとかもあるので観てほしいとは思いますけど、(この曲を)初めて聴いたときとか、みなさんはどうですか?

齊藤:イントロがちょっと昭和歌謡っぽくて、魅力的だなって思いました。あと、今までとジャンルが全然違うじゃん。「キュン」や「ドレミ」はかわいい感じの曲で、「こんなに好きになっちゃっていいの?」は大人っぽい曲で、今回の「ソンナコトナイヨ」はさらに違うジャンルで、新しい一面が見せられたらなってすごく思った。

丹生:私は、1サビが終わった後の「ソンナコトナイヨ」ってみんなで叫ぶシーンがすごく新鮮だなって思って。ライブとかできっと入るんだろうなって思って、すごく嬉しかったです。

渡邉:めいめいさんはどうですか? 好きですか?

東村:好き〜。

全員:(笑)。

スタッフの愛を感じる「DASADA」の撮影裏話

日向坂46が初の主演を務めるドラマ「DASADA」。ドラマ本編では制作スタッフの手によって、撮影セットや小道具にメンバーの個性を活かした細かいこだわりが散りばめれられているそうです。

齊藤:(ドラマでは)スクールバッグをみんな持っているんだけど、美穂だったらバスケットボールとか、私が「にいまる」(齋藤さん発案のオリジナルキャラ)とかで。全員、本来のキャラクターで好きなものがスクールバッグに付いてて、あれは本当にかわいかったね。

渡邉:本当にスタッフさんの愛を感じるよね。教室の後ろの方に、緑色のアフロのカツラとうさちゃんの顔がプリントされているピンクのボールが置いてあって(笑)。私(ボールにカツラを)ガチャンとはめて、そのまま置きっぱなしにしてたら、オンエアそのまま使われているから、ゆりあ(小坂菜緒さん)とかが集中して話しているのに、教室の後ろ側の黒板に、緑色のカツラがバンってはめられている謎の物体が置いてあって(笑)。私、それに気づいちゃって、「うわあ、いるっ!!」って思って(笑)。

齊藤:「ひらがな推し」(テレビ東京)のときに、"書き出し王選手権"やったの覚えてる? 2年A組の1番後ろのところに、6人ぐらいの作品を抜粋した本が置いてあったの。(背表紙に)「ピンクベスト殺人事件 渡邉美穂」って書いて置いてある。あそこだけ映るってことはないけど、本当に私たちの本来のキャラクターが随時あるんですよ。

日向坂46のオールナイトニッポン0(ZERO)
放送局:ニッポン放送
放送日時:2020年2月22日 土曜日 27時00分~28時30分
出演者:日向坂46(齊藤京子、東村芽依、丹生明里、渡邉美穂)
番組ホームページ
公式X

twitterハッシュタグは「#日向坂46ANN」

※放送情報は変更となる場合があります。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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