とーやま校長『SCHOOL OF LOCK!』最後の授業!「俺の10年は君の人生」

TOKYO FMをはじめとする全国38局ネットで放送中の人気番組『SCHOOL OF LOCK!』。

3月31(火)の放送をもって、2代目校長のとーやま校長が退任。10年間務めた「ラジオの中の学校」で、とーやま校長最後の授業が行われました。(TOKYO FM『SCHOOL OF LOCK!』3月31日(火)放送分)

とーやま校長が考える「校長のあるべき姿」

2010年4月、先代のやましげ校長の後を引き継ぎ、2代目校長に就任したとーやま校長。オープニングでは、校長を退任するタイミングを3年ぐらい前から考えていたことを明かし、退任の理由を語りました。

とーやま:おこがましいかもしれないけれども、俺はどこかで、『SCHOOL OF LOCK!』ってこういうものなのだな、というのをわかった。

生徒の君が探している未来の鍵がどこにあるのかわからない状態で一緒に探しにいくというものが、俺はこの学校の校長先生であるべき姿だと思っている。

たぶん、見えてしまったんだな。だったら俺じゃなくてがむしゃらな人、生徒と一緒に泥だらけになって涙を流しながら、鍵を一緒に探してくれる人が校長職に就いた方が『SCHOOL OF LOCK!』としては健全だし、あるべき姿だなと思って退任を決意しました。

とーやま校長最後の授業は「笑ってサヨナラ」。「最後に生徒のみんなが見る姿は、笑った顔として残したい」と率直な気持ちを明かし、最後の授業がスタートしました。

逆電でリスナーに質問!「俺ってどんな校長だった?」

とーやま校長が生徒と直接電話でやりとりするコーナーでは、女性リスナーに「自分がどんな校長だったか?」と質問する場面も。

とーやま:俺ってどんな校長だった?

リスナー:情熱的で、言葉の一つ一つを力強く届けてくれる、かっこいい存在です。

とーやま:かっこいいよね(笑)。俺、すごくかっこいいよね! あとどこがかっこいい?

リスナー:生徒一人一人と向き合ってくれるところとか、さらっとかっこいいことが言えちゃうところです。

とーやま:ははは(笑)。ちょっと3つ目まで迷ったねぇ。

リスナー:ちょっと、すみません(苦笑)。

とーやま:じゃあ、もう1個ちょうだい。最後に俺のかっこいいところ。

リスナー:おもしろいことが言えるところ。

とーやま:これだよね! そうだよね、第4位だもんな。俺のかっこいいところ、「おもしろいことが言えるところ」はうれしいねぇ。

とーやま校長、最後の言葉「俺の10年は君の人生」

番組はエンディングを迎え、とーやま先生が黒板に記した最後の言葉は「俺の10年は君の人生」。とーやま校長は生徒に向けて最後の言葉を贈りました。

とーやま:これを聴いている、まだまだ何者でもない君。本当に何でもいいと思うんだ。勉強でも部活でも恋でも、生きるということでもいいかもしれない。何かをちゃんと一つ、自分の納得がいくまでやりきってみる。

今日1日頑張って生きてみようって言って、1日を終えて「でも、自信つかねえな、まだ胸張れねえな」ってなったら、もう1日生きてみる。それでもまだ「自信つかねえな」てなったら、もう1日やってみる。俺の10年はそういう10年だった。いつか「俺やったぞ、俺すごいわ」「私すごいでしょ」って言えるような自分になってほしい。

最後はとーやま校長が学生時代に聴いた奥田民生さんの『イージュー★ライダー』をBGMに10年間の思い出を振り返り、3代目さかた校長、4代目こもり教頭にバトンを託しました。

とーやま:強烈な青春だったわ、俺にとって。死ぬまで絶対に忘れないと思うし、こんな30歳40歳になって刻まれることあるんだなってすごく思ったわ。『SCHOOL OF LOCK!』、ここまで見守ってくれてありがとうございました。明日からも続きます! さかた校長、こもり教頭、よろしくお願いします。

SCHOOL OF LOCK!
放送局:TOKYO FM
放送日時:毎週火曜 22時00分~23時55分
出演者:とーやま校長
番組ホームページ
公式X

twitterハッシュタグは「#SOL」

※放送情報は変更となる場合があります。

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永井美奈子アナ 苦労続きだった新人時代 救われた小池裕美子アナの言葉「“永井、助走が長い飛行機は長く飛べるよ”って言ってくれたんです」

TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。フジテレビに入社した1985年以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引してきた制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を語ります。

6月24日(火)、7月8日(火)の配信では、フリーアナウンサーの永井美奈子さんがゲストに登場。ここでは24日の模様をお届け。 “局の顔”になるまで苦労の連続だった道のりや、先輩アナウンサーからの忘れられない言葉の思い出を語ってくれました。


(左から)パーソナリティの長野智子、永井美奈子さん



◆“局の顔”になるまで苦労の連続

永井美奈子さんは1965年生まれ、東京都出身。大学卒業後、1988年に日本テレビにアナウンサーとして入社します。「ジパングあさ6」の初代キャスターをはじめ、「マジカル頭脳パワー!!」「24 時間テレビ」など日本テレビを代表する番組を担当したのち、1996年にフリーへ転身。現在はフリーアナウンサーのほか、成城大学文芸学部で非常勤講師を務めています。

長野:フジテレビの三人娘って入ったときからすごかったんですよ。だけど、永井美奈子さんは意外と、とんとん拍子に局の顔になったわけではないって話を聞いたことがある。

永井:そうですね。1年目は宣伝番組でしたし、2年目に入ってからは報道に抜擢されたんです。木村優子さんとダブルで。これがひどかった(笑)!

長野:ひどいって(笑)。

永井:「NNNニュースプラス1」(日本テレビ系)っていう徳光和夫さんのニュース番組だったんですけど、最初は関谷亜矢子ちゃんとスポーツコーナーをやっていたんです。そのあとニュースの読み手に抜擢されたんですけども、これがひどかった。

長野:出来が悪かったってこと?

永井:めちゃくちゃ下手でした(笑)。

長野:緊張する並びだもんねえ。

永井:曜日ごとに木村優子さんの日と私の日があって、雲泥の差なわけですよ。

長野:当時から木村優子さんってすごかったからなあ。でも、そのバランスを狙っていたんじゃない?

永井:いやいや、報道ですから誤魔化しがきかないんですよね。

長野:永井アナみたいな子が観たいっていう視聴者も報道に取り入れたいって思ったんじゃないかな?

永井:そういう意図もあったんでしょうけど、アナウンスメントとしてはひどかった! そのあとはレギュラーが1本しかなくて、それが「THE・サンデー」(日本テレビ系)です。

そのなかで日本各地の絶景を中継するコーナーを担当したんですけど、ほぼ東京にいない生活を送りましたから(笑)。

長野:そうだったの。

永井:もう、暇で暇で。アナウンス部にいて電話番をしていたんですけど、部屋には各局のモニターが並んでいて、それを毎日ずーっと見ていました。

長野:阿部知代さんも同じことを言っていましたね。当時、寺田理恵子さんが大活躍されていて、露木さんに「やっぱり女性アナウンサーって寺田理恵子さんみたいな方がふさわしいですよね?」と言ったらしいんです。

永井:へぇ~!

長野:そうしたら露木さんは「阿部知代、寺田理恵子は2人いらないんだ」と。

永井:カッコいい~! アナウンサーの先輩ってね、そういう名言が多いんですよ! そういう話で言うと、小池先輩(小池裕美子)がおっしゃってくれた言葉があるんですよ。仕事がなくて、ただモニターを見ているだけの私に「永井、助走が長い飛行機は長く飛べるよ」って言ってくれたんです。

長野:く~!

永井:「助走が長すぎますけど、長く飛べるように頑張ります!」と思いました。

長野:いいことをおっしゃいますねえ。

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音声版「長野智子のテレビなラジオ」
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<番組情報>
番組名:長野智子のテレビなラジオ
配信日時:隔週火曜・10時配信
パーソナリティ:長野智子


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