星野源、米津玄師『春雷』の魅力を語る!「Aメロを魅力的に書ける人って本物だな」

ニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』に、米津玄師さんがスペシャルゲストで登場! 星野源さんとドラマ『MIU404』主題歌『感電』の制作エピソードや、お互いの作品で好きな楽曲について盛り上がりました。(ニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』9月1日(火)放送分)

深夜ラジオ『星野源のオールナイトニッポン』7年目突入! 個性的なコーナーやスタッフとの掛け合いも魅力

スペシャルゲスト・米津玄師登場!

今回の『星野源のオールナイトニッポン』は、スペシャルゲスト・米津玄師さんが出演。ラジオでの共演は初めてとなる二人は、昨年末に菅田将暉さんと交えて3人で会った時の出来事を振り返りました。

星野:菅田くんから「今、何してますか? 米津くんと一緒にいるんですけど」みたいな連絡があって、「ああ、行く行く」って言って。楽しかったなあ。スポッチャ(※「ラウンドワン」のスポーツアトラクション施設)に行く話っていつ出たんだっけ? 忘れてて。

米津:ラジオですねえ。何で俺の名前が出たのかっていうのはちょっとアレなんですけど、でも「スポッチャ」っていうワードが強すぎて(笑)。それをなんか未だに俺はちょっと面白いなって。

星野:そう、面白いよね(笑)。俺、スポッチャ行った事なくて。

米津:俺もないです。

星野:ははは……(笑)。二人ともないけど、行こうって言ってるんだよね。

その後、リスナーからスポッチャに関するメールが続々と寄せられ、メールを読む度に驚きの声を上げる二人でした。

星野源主演ドラマ「MIU404」主題歌「感電」制作秘話

米津さんは、星野さんと綾野剛さんが主演を務めるドラマ『MIU404』(TBS系)のために書き下ろした楽曲「感電」について語りました。

星野:この曲って、脚本を読んで書いたんだよね?

米津:そうですね。2話分だけ。

星野:それで、詞の世界もやっぱり『MIU404』の中からインスパイアされて書いたものなの?

米津:そうですねえ。本当、そこに全部のしかかるというか、「どうしたもんかなあ」と思いながら。でも、やっぱり一番最初に目に付いたのは、伊吹(綾野剛さん)と志摩(星野さん)の凸凹コンビというか、そのバディ感みたいなのがすごく美しかったので、それを一曲通して自分なりに表現できないかなあっていうのから、ああいう曲になりましたねえ。

「感電」の仮タイトルが「いぬのおまわりさん」だった事や、タイトル変更の理由が明かされる中、星野さんは自身の楽曲『ドラえもん』のタイトルの由来について語りました。

星野:『ドラえもん』も全部アルファベットにするか、元々の「ドラ」がカタカナで(残りを)ひらがなにするかをすごく迷って。でも、どうせだったらそのままにっていうのが1番痛快だなって思って。

米津の出演に嫉妬? 菅田将暉の本音

『菅田将暉のオールナイトニッポン』に不定期でゲスト出演している米津さんは、「俺の番組だけに来てくれるんじゃなかったのか」と嫉妬している菅田さんへの意思表示のため、今回『菅田将暉のオールナイトニッポン』のオフィシャルパジャマを着て出演。『MIU404』で菅田さんと共演中の星野さんは、撮影現場で交わしたやりとりを明かしました。

星野:『MIU404』の撮影でずっと一緒なんだけど、(菅田さんが)「俺は嬉しい」って言ってた。ラジオ的にはそう言うけど、オフの俺には「米津くんがそうやっていろんな所に出ていくのを見ているのが本当に嬉しい」って(笑)。

米津:ええ、そんな事言ってたんですか(笑)。

星野:「ワクワクする」、「嬉しい」って言ってて。たぶん、それを菅田くんはラジオ的にあんまり言ってほしくないかもしれないけど、俺は人の印象に奥行きを付けるのが好きで。だから、菅田くんも喜んでた。

米津:俺も、菅田将暉は最近いろんな歌を歌ってて、いろんな人とコラボをいっぱいするようになったじゃないですか。それが俺もそれなりに嬉しいですね。

星野:いろんな人とやってるのが。

米津:もしかしたら、それの一助になれたのかなあなんていう感じは。わからないですけどね。

星野:いいねえ。菅田くん、今聴いてるかなあ。聴いてたら連絡ちょうだい(笑)。

星野源、お気に入りの1曲は?

番組中盤は、お互いの作品で好きな1曲をかける形で進行し、星野さんは米津さんの4枚目のアルバム『BOOTLEG』に収録されている『春雷』を挙げました。

星野:何が好きかっていうと、イントロからのAメロがすごく好きで。僕はAメロを魅力的に書ける人って本物だなと思っていて。Aメロをいわゆるサビみたいに作るとか、メロディアスにするとかって、究極努力をすれば誰でもできる方向なんだけど、AメロをAメロとして魅力的に聴かせる。

Aメロってやっぱり聴いた瞬間に1番最初に入ってくる歌だったりするから、その発目でガーって掴まれる曲って、大体名曲だなあと思ってて。米津くんの曲でそういう曲いっぱいあるけど、特に印象に残っているのはこの「春雷」っていう曲で。

そして星野さんは、当時あまり見られなかったアルバムからのミュージックビデオ制作についても触れ、米津さんにミュージックビデオ制作の理由について訊きました。

米津:本当に気に入ってたんですよねえ。

星野:ああ、やっぱりそうなんだ。

米津:結構、クリティカルに良いものができたなあっていう感覚がすごくあって。表題曲ではないから人から聴かれる、人の目に触れにくいところにあるっていうのが、ちょっとこれはもったいないっていうとアレですけど。

星野:分かる、そういうの分かる……。

米津:俺、本当はアルバムの曲、全部映像つけたいんですよ。

星野:分かる! それも分かる。

米津:曲を作る度に「これはちょっと映像を付けよう」みたいな、「これシングルの曲だなあ」とか思ったりするんですけど。でもまあ、現実的に無理であるっていうのはねえ、歯がゆいですねえ。

星野源のオールナイトニッポン
放送局:ニッポン放送
放送日時:毎週火曜 25時00分~27時00分
出演者:星野源、ゲスト:米津玄師
番組ホームページ

Twitterハッシュタグは「#星野源ANN」

※放送情報は変更となる場合があります。

この記事を書いた人

radiko編集部

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みかんに魅せられた大学生、異郷の地で大挑戦「多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

暦の上では春になっても、まだまだ「こたつ」が恋しい時期です。こたつに入ると食べたくなるのが、やっぱり「みかん」。

ただ、どんな方がみかんを作っているのか、あまり知らない方も多いと思います。今回は、果物好きが高じてみかん農家になった、北国出身の若い男性のお話です。

赤山大吾さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

昔、東京と沼津の間を結ぶ電車を「湘南電車」と呼んでいた時代がありました。車両のオレンジと緑のカラーは「湘南色」、俗にみかん色とも云われてきました。今はだいぶ本数も減りましたが、東京駅のホームに、「沼津」と行先が表示されると、何となく、潮の香りと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくるような気分になります。

その静岡県沼津市・西浦地区は、駿河湾の最も奥まった所にあって、海越しの富士山を望むことが出来る、風光明媚なみかんの産地として知られています。看板品種は、寿という字に太郎と書いて、「寿太郎」。この「寿太郎」を、今シーズン初めて作り上げて、出荷した男性がいます。

赤山大吾さんは、2000年生まれの24歳。赤山さんは、北海道・札幌のご出身で、小さい頃から果物が大好きでした。土地柄、みかんはあまり出回らないため、りんごを2個、まるかじりするのが日課。残すのは、わずかに芯の部分だけでした。

赤山さんは新潟の大学に進学しましたが、コロナ禍のために授業はリモートが中心。学ぶ内容も想像していたものと違って、あまり納得がいきませんでした。悶々とした日々を送る中で、赤山さんはたまたま近所のスーパーで「沼津・西浦みかん 寿太郎」と、ラベルが貼られた袋を手に取ります。

『寿太郎? 沼津ってドコ?』

赤山さんは、そう不思議に思いながら、家に帰って、さっそく皮をむいて、みかんの小さな袋を一つ、口のなかに入れると、いままでにない食感に感激しました。

『甘い! でも、甘いだけじゃない、甘みと酸味のバランスが絶妙だ!』

赤山さんは、「寿太郎」を食べて、食べて、食べまくりました。そのおいしさに満たされるうちに、自分でもみかんを作りたい気持ちが芽生えます。

沼津市西浦地区のみかん山(画像提供:JAふじ伊豆)

赤山さんは、居ても立ってもいられずに、寿太郎を出荷している沼津のJAに、直接電話をかけました。

「あの……、みかん作りに興味があるんです。教えてもらうことは出来ますか?」

2022年2月、赤山さんは大学を休学して、沼津にみかん作りの研修にやって来ました。地元の農家の皆さんも、北海道出身の赤山さんの挑戦に驚いたといいます。

その初顔合わせ、農家の皆さんは赤山さんの手を見るなり、思わず目を見張りました。

『おお、彼は本物だ! これだけみかんが好きなら、きっとやってくれる!』

そう、赤山さんの手は、みかんをいっぱい食べた、あの黄色い手になっていたんです。赤山さんは、西浦地区でもとくにおいしいみかんを作ると定評のある、御年80歳の大ベテランの農家の方に付いて、みかん作りを学び始めました。

「いいか、農家というものは、人に言われてじゃなくて、自分から動かないとやれないぞ」

「みかんは手間をかければかけるほど、ちゃんと応えてくれる。手間を惜しむな」

赤山さんは、師匠がかけてくれる言葉を一つ一つ噛みしめながら、その背中を追いかけていきます。厳しい言葉の後には、夕飯のおかずをおすそ分けしてくれたり、地元の皆さんの人柄の温かさも、故郷を離れた赤山さんには大きな励みになりました。

赤山大吾さん

籍を置いていた大学にも退学届を出して、退路を断った赤山さんは、2年間の修業を経て、2024年1月、晴れて独立を果たします。高齢でみかん作りが難しくなった方のみかん山・およそ1.5ヘクタールを借り受けて、自分の力が試される時がやって来ました。

いざ作り始めてみると、農家はみかんを作っていればいいわけではなく、事務手続きや生産計画作り、害虫や猛暑対策、アルバイトの雇用などを、全部1人でこなします。

それでも去年は概ね天候に恵まれ、周りの皆さんのサポートにも支えられながら、およそ1万キロの「寿太郎」が無事に実って、収穫することが出来ました。その出来栄えに、赤山さんも手ごたえは十分! 早速、地元の方に食べてもらうと、「おいしい!」と、味に太鼓判を押してくれました。

自分で収穫したみかんが出荷されていく様子を見て、赤山さんは胸が高鳴りました。

『自分で作ったみかんが誰かの手に渡っていく。ようやく自分で稼ぐことが出来たんだ!』

でも、赤山さんに収穫の喜びに浸っている暇はありません。まだ、みかんの管理に甘い点があったこと。そして、この冬は、越冬しているカメムシが多いため、今年は天敵への抜かりない対策が求められそうなことなど、しっかり気を引き締めています。

「もっとおいしいと言ってもらいたい! 多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

その思いを胸に、赤山さんは2年目のみかん山に登ります。

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