佐久間P、3月末でのテレビ東京退社を報告「執拗な引き止めがあると思った。全然無い(笑)」

テレビ東京のプロデューサー・佐久間宣行さんがパーソナリティを務める、ニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』。

3月3日(水)の放送ではテレビ東京を3月末で退職する事を報告し、退職に至るまでの経緯や業界関係者の反応などを語りました。(ニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』3月3日(水)放送分)

佐久間P、テレ東退職報道の真相は?

数日前、佐久間さんが所属先のテレビ東京を3月末で退職するといった報道が出た事により、業界関係者やネットでも話題となる中で迎えた今回の放送。オープニングから佐久間さんが退職報道について語ります。

佐久間:「実際どうなの? 本当なの?」っていうのも、そこもあるでしょ? いろんなマネージャーからも電話かかってきましたよ。今ドラマを撮ってる事務所の人たちからも、後輩のプロデューサーのところにガンガン電話かかってきましたよ。

あの〜……本当です。はははは(笑)。本当なんですよ〜(笑)。本当だけど、正直こんなに早く出るとは思わなかったっていうのが正直なところなんだが。

報道内容を認め、3月末をもってテレビ東京を退職する事を明らかにした佐久間さん。今後もテレビ東京と契約した上で担当中の番組は継続する事や、制作現場が希望である事などを説明し、会社側の反応についても触れました。

佐久間:これがですね……全然揉めなかった。はははは(笑)。うーん。あのねえ、もっとねえ、執拗な引き止めがあると思った。全然無い(笑)。まず自分の上司とか編成部長に言ったわけ。年始早々出社してた。「そっか〜」って言って。「まあ、でも俺としてはねえ、番組続けてほしいからねえ。会社に言うけど」って。"あ、そっか"って思って。引き留めらんねえんだって思って(笑)。

そして、いろんな人に話したんだけど、みんながっかりはするのよ。「うわ〜、そっか。寂しくなるなあ」って言って。「でも番組やってくれるんでしょ?」って言って。「じゃあ変わんないよね?」って言って誰も引き留めないんだよ。……もっと引き留めてほしかったです(笑)。むしろ応援に近い。

だから、昔の人力舎(プロダクション人力舎)。ある程度売れるとマネジメントが分からないから独立してくれっていう。だからテレビ東京、人力舎と一緒(笑)。みんな誰も止めないっていう(笑)。

テレ東関係者の反応は…

放送日の前日、会長と社長に退職の挨拶を済ませた佐久間さんが会長から言われた事とは……?

佐久間:「(会長)佐久間に、俺がニッポン放送でラジオの仕事やっていいよって言った時から俺は分かってた」って言って。「そうやって、どんどんやりたい事が増えていって、いつかこの日を迎えるのを3年前に俺がラジオを許可した時に分かってた」って会長が言ってくれたの。……それはさすがに嘘だと思うんだよ。はははは(笑)。「ありがとうございます!」って言ったけど(笑)。

『あちこちオードリー〜春日の店あいてますよ?〜』(テレビ東京)の収録後、佐久間さんは自らの退職に関する話題が部会で話題になった事を後輩から聞いたそうです。

佐久間:「(部長)みんな"何でだろう"とか思うだろう、いろいろな事もあると思う。でもリモートだし、俺は最近佐久間に会ってないから、分からない」と。「だから、みんなに一言言う事があるとすれば、今日みんなでラジオ聴こう」って言ったんですよ。はははは(笑)。部長が、部会で(笑)。「(後輩)佐久間さんのラジオ、みんなで聴こうっていう部会の結論でした」って言ってて、どういう部会だよって(笑)。「みんなで聴こう、ラジオ! ラジオ聴いたらわかるから。たぶん話すだろ今日」って。「ニュースになっちゃったんだから」って言ってたらしいよ、部会で。俺のいる部でも。だから、たぶん部員が聴いてるっていう(笑)。

だからちょうど、オリラジ(オリエンタルラジオ)とか西野(亮廣)とかが吉本退社のニュースを触れた時に、今までの俺だったら「いやあ、俺がテレビ東京辞めたらこうなるなあ」とか言ってたじゃん。触れなかったでしょ? ……そういう事ですよ。はははは(笑)。真っ只中だったから(笑)。揉めてはないけど、会社と話してる真っ只中だったんですよ。

退職届ができるまで

テレビ東京との交渉もまとまり、制作局長から辞表を書くように言われた佐久間さんは、何度か失敗を重ねながらも書き上げた辞表を奥さんにチェックしてもらったようですが……。

佐久間:(辞表を)書いたよって見せたら、「(佐久間夫人)ちょっと待ってよ。これ、コピー用紙じゃん」って言って。"え、コピー用紙ダメなの? 白い紙使ったよ"。「コピー用紙に辞表を書いて出すやつなんかいないから!」。"えっ!? きれいな白だよ?"って言ったんだけど(笑)。「違うのよ! コピー用紙つるつるじゃん!」って言って。「こういうのじゃなくて、白い便箋なの」。うちの奥さん、人事畑だから。

その後も印鑑のズレや名前の書き損じを経て、辞表づくりは書類を白い封筒に入れる段階まで進みました。

佐久間:そしたら奥さんが(部屋を)ノックして、「(佐久間夫人)書けた?」って心配になって俺の部屋に来たの。"書きました。白い封筒に入れました"って言ったの。「ちょっと待ってよ〜」って言うから、"またかよ〜!"って思って、"何なんだよ〜! ちゃんと書けてるじゃん!"って。

「封筒」って言って。「それ、テレ東の封筒じゃん」って言って(笑)。「どこの世界に、自分の辞める会社のロゴがでかでかと入ったところに"退職願"って書いて持ってくやついる? 請求書じゃないんだから!」って言われて、"えっ、ダメなの!? 白い封筒これしか無かったよ、家に"って言ったら、「だからって、テレ東のロゴ入ってるのに"退職願"って書いて出しに……それ一生のもんなんだからね!」って言われて。

"わかりました。じゃあどうすればいいんですか?"。"どうすればいいんですか、めんどくさいですよ〜"みたいな顔でね(笑)。そしたら奥さんが「辞めるって言ったのあんたじゃん!!」って(笑)。

ようやく辞表を用意できた佐久間さんは後日、テレビ東京の社内で制作局長に辞表を渡します。辞表に目を通した制作局長は周囲にバレないよう、携帯で佐久間さんに内容確認を行います。

佐久間:「(制作局長)佐久間さ、お前さあ、お前のいる部署って"クリエイティブビジネス制作チーム"って言うんだけど、お前、部署名間違えてるよ」って言われて。「"クリエイティブビジネス部"って書いてる。"クリエイティブビジネス制作チーム"って言うの」。"ああ、それぐらいの違いですか"って言ったの。「いや、でもダメだろこれ。お前、だってこの世に無い部署から辞めようとしてるから」って言われて。はははは(笑)。

指摘された内容に納得するものの、何度も失敗してきた事もあってか「面倒くさい」と言ってしまった佐久間さんは、辞表を提出できないか説得を試みます。

佐久間:今の制作局長、めちゃくちゃ優しいのよ。俺がもう本当、ぶーって顔で"ダメっすか?”みたいな事を言ったら、制作局長が俺の顔を見ながら、「え、(一生)残るんだよ?」って言って。"わかりますけど"って言って。「面倒くさいの?」って。"面倒くさいです"って言って。「じゃあ、ワンチャン人事に持ってってみるかよ!」って言って。はははは(笑)。

佐久間さんの気持ちを汲んだ(?)制作局長は、そのまま辞表を人事部へと提出しに行きます。その結果は……。

佐久間:すぐに電話がかかってきたの。どっちだかわかんないの、すぐに電話かかってきたから。パッて電話を取ったら、「(制作局長)めちゃくちゃ怒られたよ! 突き返されたよ!」って言われて(笑)。で、制作局長が大人が怒られた時の顔で戻って来て、俺が座ってるから、これは謝りに行かないとダメだなと思って、制作局長のところまで行って「すいません」って言って。

佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)
放送局:ニッポン放送
放送日時:毎週水曜 27時00分~28時30分
出演者:佐久間宣行
番組ホームページ
公式X

Twitterハッシュタグは「#佐久間宣行ANN0」

※放送情報は変更となる場合があります。

ラジコをスマートフォンで聴く

ラジコをパソコンで聴く

ラジコプレミアムに登録して
全国のラジオを時間制限なし
で聴く!

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

Facebook

ページトップへ