ビリギャルのモデル小林さやか「ビリギャルは私じゃなくお母さんが主人公」

写真左から田中里奈、小林さやか ©InterFM897

青文字系ファッション誌を中心に活躍中のモデルの田中里奈が、InterFM897で土曜の夜にお届けする『Feel the moment』。9月28日は、「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大に現役合格した話」(坪田信貴著)のモデルになった、「ビリギャル」こと小林さやかさんをゲストにお迎えしました。

ビリギャルの本当の主人公は私じゃなくて、私の母

田中:小林さんは「ビリギャル」のモデルなわけですが。2013年に書籍化されて、「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大に現役合格した話」、通称ビリギャルとして映画化もしたんですよね。

小林さやか(以下・小林):もう6年前になるんですね。当時の高校生とかも社会人になってる頃。

田中:本を読んだり映画見たりして、人生変わったって人いっぱいいるんじゃないかな。

小林:講演会とかに行かせてもらうようになったんですけど、「ビリギャルのおかげで人生変わった!」って泣きながら保護者の方とかが言ってくれるのを聞いて、私って色んな人の人生を変えることに関わってるんだなって。そんな6年でした。

田中:意図せず自分がそういう形で独り歩きするってどういう気持ちなの?

小林:そもそも本が出た時25歳だったの、私。もし(著者の)坪田先生がこのギャルを使ってガッポリ儲けてやるぞって思ってたんだとしたらもっと早く書いてたはず。大学受験終わって7年も経っている、このタイムラグがなぜあったかというと、私だけじゃなく弟と妹もめちゃくちゃ出来が悪くて(笑)。当時私のお母さんがめちゃくちゃ責められてて。長女の私は学年ビリで素行も悪くて、弟はヤンキーのパシリになったんだよね。そんで妹は不登校だったの(笑)。どんな子育てしてたんだってめちゃくちゃ責められて。でもビリギャルの本当の主人公は私のお母さんなんだよってよく話すんですけど、うちのお母さん、子どもたちがどんな状況でも『こんないい子たちいない』って育ててくれたの。強い芯を持った人で。私が慶応に行って弟がお父さんになって家庭を持って、妹が上智に入って、母がそのタイミングで坪田先生に手紙を送ったの。坪田先生だけがお母さんの子育てをずっと支持してくれてたから。で、その手紙の返信の代わりに書き始めたのが「ビリギャル」の最初の原稿で。本当はお母さんにだけ送るつもりが、わりと上手くかけたからネットに載せてみるって載せたらバズって、出版社から出版しませんかってきたという。そういう経緯で。坪田先生が当時、「さやかちゃんみたいな子が慶応行ったら、映画みたいにロマンチックだと思う」って言ってて、「え~」ってニヤニヤしてたんだけど(笑)。本当に先生の言ったとおりになったなって感じ。

田中:すごいな~。私も本を読ませてもらって、私自身も親に塾行かせてもらったり勉強したり、受験に対して「こんなことで悩んでたな」とかそのまま忘却の彼方に消えてたようなことが呼び覚まされた(笑)。忘れてたことだけど、引っ張り出して向き合うきっかけになって、改めて成仏させられたって。どんな世代の人が読んでも共感ポイントがあるなって思った。私、さやかちゃんも坪田先生もそれぞれ知ってるけど、この2人の組み合わせは神のイタズラとしか思えない!(笑)。会うべくして会った2人だなって。

小林:今考えるとあの小さな塾で坪田先生を独り占めできてたって、いくらかかったのかなって(笑)。超ラッキー。運だけはいいんだよね、私。運と愛嬌(きょう)だけで生きてきた(笑)。

田中:でも、それってほぼ全てじゃん!(笑)。

ビリギャルの本当のメッセージを伝えたくて大学院に入った

小林:大学院も4月に入ったばっかりで。

田中:何を勉強しているの?

小林:聖心女子大学ってところの大学院で、学習科学っていう分野を勉強していて。なんでそこに入ったかというと、「ビリギャル」っていうとみんな「でも元々頭良かったんでしょ」って必ず言うんですよね。ネットで検索するとワッとそういう情報が出てくるくらい。こんなうまい話あるもんかって思う人は、一定数いるんですよ。でもビリギャルってそこを伝えたいわけではないし、私の自慢話をしたいわけでもない。誰にでも置き換えられて自分にも出来るかもしれないと思うからこそ価値があると思うんです。なので私が伝えたいのは、私がすごかったんじゃなくてうちのお母さんと坪田先生がすごかったんだよってことで。環境が私を変えたんだよってことを私が伝えないとダメだなと思ったの。学習科学っていうのは、まさにそこを科学的に解明したいっていう分野で。どうやったら人は学べるのかっていう本質をデータを取って研究している歴史の浅い学問なんだけど。

田中:面白い!

小林:それをビリギャルの私が伝えれば、伝えたいところはそこなんだ!って、本当のメッセージが伝わりやすくなるかなと思って、理論武装している段階なんだよね。

田中:なるほどー!私も教育畑に行ってて先生になろうと思ってたから、勉強との向き合い方って人生と隣り合わせというか。そういう話聞くと面白い。

小林:大人が思っている以上に子どもって「何のためにこれ覚えてるんだろう」とか考えるよね。日本史の年号にしても暗記だととらえるからテストのために覚えなきゃって思うじゃん。でもうちは大学が上についてたから勉強の意味がなかったの。死んだ侍のことなんてどうでもいいし、だから覚えるのやめて、学年ビリになった。でも今は歴史を学ぶ意味が分かるから、興味が湧いて色んな本を読んだりする。子どもたちも意味とか意義を知りたいと思うんだよね。「勉強しろ!」だけじゃ伝わらない。

田中:本当にそうだよね。

小林:知識がもっとあればもっと幸せになれるし、それを伝えるべきだと。あなたがもし子どもができた時に大切な人を守る土台になるのが知識なんだよってことを伝えないと、勉強する意味わからないですよって講演会なんかでも保護者に伝えてるんだ。

ーーお話の後半は、10月5日のInterFM897『Feel the moment』で放送します。

Feel the moment
放送局:interfm
放送日時:毎週土曜 24時00分~24時30分
出演者:田中里奈
番組ホームページ

ハッシュタグ:#feel897
メール:feel897@interfm.jp

※該当回の聴取期間は終了しました。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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