ついに対面!!アイドルグループ「ポジティブモンスター」がKBCラジオ『ポジティブモンスター=ポジモン!』に生出演

「世界をハッピーに侵略ッ!ポジティブモンスターです。ゴー!」 そんなポジティブな挨拶とともに
KBCラジオ「ポジモン!」のスタジオに現れたのは、
アイドルグループ「ポジティブモンスター」のリーダー・佐伯夏海さん(ポジティブピンク💗)と、副リーダー・春宮さくらさん(ポジティブレッド❤)です!

番組では、SNSのハッシュタグ「#ポジモン」をめぐって、以前から「本家アイドルと名前が被っている…!」と密かに話題になっていました。

ついに実現!西のポジモン(番組)と本家ポジモン(アイドル)が対面

冒頭、ハッシュタグでのエゴサ中に「急にバキバキの政治的な感想(番組への投稿)が流れてきて驚いた」と笑いながら明かしてくれたお二人。
番組側からの「名前を被せてしまってすみません!」という謝罪にも、
「私たちラジオやってたっけ?となりました(笑)」と、まさにポジティブすぎる神対応でスタジオを包み込んでくれました。

大ピンチを乗り越えた「ポジティブの奇跡」

実はこの日の朝、東京近郊ではJRの停電による大規模なダイヤの乱れが発生。
リスナーさんからも「無事に福岡にたどり着けるのか!?」と心配の声が届いていましたが、
そこはさすがポジモン。間一髪で飛行機に飛び乗り、生放送に間に合うという「奇跡のテイクオフ」を見せてくれました!

長岡アナの朝のSNS投稿を見て「私も頑張ろう!」と元気をもらったという、健気なエピソードも。

福岡の「透明なイカ」に興味津々!

北海道・函館出身の春宮さんは、福岡の美味しいものに興味津々。
佐伯さんは「福岡のイカは透明」という噂を聞きつけ、「食べてみたい!」と目を輝かせていました。
「刺身で食べた後、お皿をスッと下げられて、別の姿(天ぷらや塩焼き)に変身して戻ってくるんですよ」という福岡ならではの"イカシステム"の解説には、お二人とも「すごーい!」と驚きの声を上げていました。

現役看護学生リーダーと、熱いライブへの想い

リーダーの佐伯さんは、なんと現役の看護学生としても奮闘中! 「#佐伯にナースコール」というハッシュタグもあるほど、学業とアイドルの二刀流で頑張る姿に、スタジオの熱量もさらにアップ。

そんな彼女たちが、この週末、福岡でハッピーな旋風を巻き起こします!

1月17日(土): 親不孝通りのライブハウス「888」にてイベント出演。

1月18日(日): 同じく「888」にて、全国ツアー『Positive PARIPI Circus Tour 2025-2026』の地方最終公演!

「私たちの魅力、本家の魅力を目一杯伝えていきたい!」と力強く語ってくれたお二人。
激しい振り付けと、メンバーの弾ける笑顔で、会場全体をハッピーに侵略してくれること間違いなしです。

最後は、本家から「これからも(番組が)ポジモンを名乗ってもいいですよ!」と公認もいただき、
大盛り上がりのうちに終えました。
佐伯さん、春宮さん、福岡にお越しの際はまた「ポジモン!」コラボをぜひ!!

ポジモン!
放送局:KBCラジオ
放送日時:毎週金曜 6時30分~12時00分
番組ホームページ

※放送情報は変更となる場合があります。

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戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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