外国人増加どうなる? ドイツ人が明かすリアルな問題「そこから悪循環が始まってしまう」

フリーライターの武田砂鉄が生放送でお送りする朝のラジオ番組、『武田砂鉄 ラジオマガジン』。8月31日は、月曜レギュラーでドイツ出身の翻訳家・エッセイストのマライ・メントライン氏とトークを繰り広げた。

マライ「今日は外国人と学校がテーマです。今、日本の外国人人口は全人口の約3.3%まで増えてるんですよね。しかも40年後、2067年には外国人比率が10%を超えるのではないかという推計を政府が出してるんです。これをめぐって世論がヒートアップしている印象があります。移民の増加に関しては、賛成反対、様々な意見があるんですけど、リアルな問題については、あまり語られていない気がするんです。それは教育がどうなるのかということなんです。受け入れ政策が中途半端だと、母国語も移民先の言葉も中途半端にしか話せない子どもが増えてしまいます。そこでまず、ドイツの話をしたいと思います。ドイツは経済成長期に外国人労働者、いわゆるガストアルバイター――ガストはゲスト、アルバイターは仕事をする人という意味ですね――を呼んだんですね。最初はイタリア人、その後スペイン人、ギリシャ人、トルコ人、ポルトガル人、そしてユーゴスラビア人を呼んだんですね。最初は、今の日本が狙ってるような感じで、外国人を移民としてではなく、期間限定とか、そんな感じの労働者として招きました。契約期間が終われば母国に帰って、また別の労働者が来るという、循環スタイルを目指してたんです」

武田「ここに定着せずに、ある一定期間で戻ってもらうという、そういうやり方」

マライ「そう。元の国――例えばスペインだったり、ギリシャ――でも戻ってきてほしい、という理由もあったかもしれません。ですけど、いろいろ訓練して、仕事を覚えて、いい労働者になるわけです。そんな労働者に、3年後、5年後に帰ってほしいかというと経済界はノーですよね。むしろ、ずっといて欲しいということになって、滞在期間がどんどん延長され、最終的に家族の帯同も許されたんです。そこからいろんな問題が発生しました。その労働者は自分の家でドイツ語は話さないんですよね。働いている労働者は別にドイツ語はそんなにいらないんです。工場の作業だったので、勉強する機会もないし必要もない。すると、子どもがいた場合、子どもにもドイツ語を教えることもできないですよね。すると、その子どもはドイツ語を話す機会が全然ないまま、急に学校に入ってしまうことになるんです」

武田「家にいる時は、話さずに済んでたというか困難はなかったわけですもんね」

マライ「そうなんですよ。そこで、いろんな問題があったんです。まず、ドイツは移民国家ではないという建前だったので、外国人住民に対する特別な支援も行わない。移民はドイツの文化に合わせる必要があるから外国人の側で頑張ってもらうっていう、これは自己責任論みたいな話ですよね。あと、子どもたちは言葉を学ぶのが早かったりするじゃないですか。だから学校に入ったらなんか話せるようになるんじゃないのって感じだったんです」

武田「まあ、吸収は早いでしょうけれども、そんなにすぐにってわけにいかないですからね」

マライ「早いんですけどね。ただ、例えば1年かかったとするじゃないですか。その1年間は学校の授業についていけてないわけですからね」

武田「そうですよね」

マライ「基礎を学べてないことになっちゃうので、そこはやっぱり問題になるんですね。あと、労働者系の外国人家庭の子どもたちほど、保育園や幼稚園に通ってないんですよね。すると、2~3歳から積み重なってきた言語の差は、6歳で学校に入ってから埋めようとしても、もう遅かったりするんです。そこで初めてドイツ語に直面すると、やっぱり難しいんです。ついていけなくなってくる。しかも、親がドイツ語をあまり話せなかったりすると、勉強のサポートもできないわけですよね。そこから悪循環が始まってしまうんです。そして、ドイツ語が苦手になってくると、本来は大学進学できるんだけど、勉強についていけないからそういうタイプの学校に進学してしまう。これは本当に大問題で、そういう進学を目指さないタイプの学校には、いろんな社会的な問題も集中しやすくなってるんですよね。ドイツ人の、大学を卒業してない親だったりとか、低い賃金やあるいは無職だったりとか、要するに子どもの支援ができないからこそ、子どもはそういう学校に通ってくるので、すごく状況が複雑化して大変になってくるんですよね。で、先生側の支援も大変なわけなんです。そうするとドイツの社会にも自分の母国にも馴染めない、居場所のない社会的なグループが発生します。ギャング化するみたいなことも、あるわけなんですよね。だから本当は、彼らを支援する必要があるんですけれども、果たしてどうすればいいのかという問題があったんですけど、当時は解決策がなくて放置していたんです」

武田「そうすると、そういう人たちが増えるのを嫌がる人たちが出てくるわけですよね」

マライ「そうなんですよ。イメージが悪くなるんですよね」

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「転校先で生まれたあだ名「ちゃんちゃん」友達がくれた居場所の思い出」 #ノスタルジックモアストーリー

柏原収史

転校先で生まれたあだ名「ちゃんちゃん」友達がくれた居場所の思い出

小学校4年生で転校した「ちゃんちゃん」さん。新しいクラスで出会った一人の女の子がつけてくれたあだ名は、やがてクラスメートとのつながりを生み、自分の居場所を感じるきっかけになりました。

『パナホーム山梨 presents Nostalgic More Story』では、柏原収史が、ラジオネーム「ちゃんちゃん」さんから届いた小学生時代のエピソードを紹介。友達が駆け寄ってきてくれた、忘れられない一日を振り返ります。

転校先で生まれた「あんちゃん」と「ちゃんちゃん」

「ちゃんちゃん」さんは、小学3年生まではとても大人しい子どもで、休み時間に話したり遊んだりする友達もいなかったといいます。

そんな日々が変わったのは、小学4年生で引っ越しをして転校したことがきっかけでした。新しいクラスで一人の女の子と仲良くなり、なぜか相手を「あんちゃん」と呼ぶようになったそうです。

すると、その女の子から返ってきたのは、「なんであんちゃんやねん。そしたらあんたは、ちゃんちゃんや!」という言葉。

こうして二人は「あんちゃん」「ちゃんちゃん」と呼び合うようになり、クラスの友達からも「ちゃんちゃん」と呼ばれるようになりました。一人の友達との何気ないやり取りが、クラスの輪へとつながっていったのです。

グラウンドで友達が駆け寄ってきた日

忘れられない出来事が起きたのは、秋の体育祭に向けてダンスの練習をしていた日のこと。風邪をひいた「ちゃんちゃん」さんは、病院に行ったあと、お母さんと一緒にクラスメートたちが練習しているグラウンドへ向かいました。

そこで自分に気づいた女子たちが、「あ、ちゃんちゃんだ!」と声を上げ、次々に駆け寄ってきてくれたといいます。

思いがけない歓迎に、「私ってこんなに人気あったっけ?」と驚きながらも、とてもうれしかったという「ちゃんちゃん」さん。お母さんも、その光景に少し驚いていたそうです。

柏原収史は、このエピソードを通じて、一つのあだ名が「自分の居場所」をつくってくれたことに思いを寄せます。本人が気づかないうちに仲間の輪に入り、いつしか自然に受け入れられていた。その温かなつながりが伝わるエピソードです。

名前を呼んでくれた友達の声は、思い出の中に

番組では、原田知世の「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ~」や、Mary Hopkinの「Those Were the Days」など、懐かしい記憶に寄り添う楽曲もオンエアされました。

大人になると、子どもの頃の友達と会う機会は少なくなるかもしれません。それでも、名前を呼んでくれた声や、みんなで笑った時間、秋のグラウンドの風景は、ふとした瞬間によみがえるもの。

「ちゃんちゃん」と呼ばれたあの日。その名前は、ただのあだ名ではなく、友達がくれた居場所だったのかもしれません。

柏原収史が届ける懐かしい物語と音楽を、ぜひradikoのタイムフリーでお楽しみください。

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