「金額、言うんじゃないよ」意外と稼いでる?若手お笑いを鈴木拓と馬場園梓が語る

お笑い芸人の大竹まことが同世代や全世代の男女に向けてお送りしているラジオ番組『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送・毎週月〜金曜11:30~15:00)。9月18日の放送は大竹まことがお休み。ゲストに馬場園梓さんを招き、ピンチヒッターの鈴木拓さん、パートナーの松丸友紀さんとともに話を聞いた。

松丸「今日のお客様はこの方です」

馬場園「どうも、馬場園ゼタジョーンズです。よろしくお願いします。お世話になります」

鈴木「あれ、吉本はやめてないですよね?」

馬場園「やめてないですよ。あれ? どこで? どんなに? どうだった?」

スタジオ(笑)

鈴木「なんか吉本は多いじゃないですか、休みの方」

馬場園「確かに。最近ネットニュースなんか見てても、すごくたくさん解散とか、いっぱいニュース見ますもんね」

鈴木「芸能界がちょっと変わってきてますから。だから、事務所なくてもイケる方々がたくさん」

松丸「個人で」

馬場園「頭いい人とか有能な人は頼らなくてもできるんですよね(笑)」

鈴木「馬場園さん、入ってますよね」

馬場園「私はちょっと無能なんで。何もできないんで」

鈴木「そんなことないです、すごい才能ですけど。だから、うちの事務所は1人も抜けてないですもんね。解散はありますけど、ほぼ解散みたいな芸人もいるけど別にしてないですし。やっぱ、なんかあるんですかね」

馬場園「多分、あれもあるんじゃないですか。賞レースやいろんな大会あるじゃないですか。それを目処にしちゃって、これに優勝できないからやめちゃおうみたいな。まあ、いいことでもあると思うんですよね。切磋琢磨できるし」

鈴木「もともとM-1がそういう趣旨で始まりましたもんね。いつまでも続けてないで、10年やって売れなかったらやめろっていう。なんつうんですか、三行半つける大会というかね。それで始まったんですけどね。だから今はそれに則ってだから解散するとか」

馬場園「確かに」

鈴木「でも、SNSで、ユーチューバー、ねえ」

松丸「コンテンツがいっぱい」

鈴木「ほんで、そっちのほうが人気あるし、金も稼げるし」

馬場園「今、若手でも4~50万ぐらい稼いでる人いっぱいいるらしいですよ。怖いわ、と思って」

鈴木「(笑)金額、言うんじゃないよ」

馬場園(笑)

鈴木「本当に食えない人は、今まで芸人とか売れない俳優とか売れないバンドマンとか、みんなそうだったけど。最近はYouTubeからバンバン出れるようになって有名になるから」

馬場園「だってバイト掛け持ちしてましたよ、若手の時」

タグ

金融マンと寿司職人の“二刀流” 50歳を過ぎて寿司職人の学校へ入学した男性

11月は新米のシーズンということもあるのでしょうか。1日が「すしの日」、22日は「回転寿司記念日」と寿司にまつわる記念日が続きます。寿司ロボットの技術は見事ですが、やはり、職人さんが握った寿司はたまりませんね。

画像提供:小川浩司さん

今回は、金融マンの傍ら、“出張寿司職人”としても活躍されている男性のお話です。

大きな観音様が駅を見守る、神奈川県の大船。この大船ご出身で、いまも鎌倉・腰越にお住まいの小川浩司さんは、昭和44年生まれの57歳。普段は、都内の会社で金融関係の仕事をされています。

実は小川さん、もう一つの顔があります。週末を中心に首都圏各地で開かれるホームパーティーに出向いたり、お店を間借りして、手際よく寿司を握っている“出張寿司職人”なんです。だいたい、ひと月に3回、この3年半でおよそ120回の“出張”を重ねてきました。

若い頃の小川さんは、「スタミナが第一!」と、魚よりも肉でした。なかでも焼肉が大好きで、地元・神奈川に多い精肉スーパーの超常連。さらに本場・韓国、ソウルの明洞に足しげく通っていたこともあって、友達からは“ヨン様”ならぬ“ミョン様”とニックネームを付けられたほどだったんです。

そんな小川さんが寿司に目覚めたのは、コロナの時期でした。在宅勤務の空き時間、ぼんやりとインターネット動画を眺めていると、あるインフルエンサーの方が、寿司をテーマにしゃべっていたことをきっかけに、「寿司職人」という仕事が気になり始めます。

小川さんはその時、50歳を超えたばかり。仕事・家庭・趣味も充実していましたが、定年後のことを考えると、経済的なことや社会とのつながりに少し不安もありました。

「もしも、寿司を握ることが出来れば、定年後にすし屋さんのパートでも働けるし、たとえ、自給自足の生活になっても、魚をさばければ生活できるはずだ!」

色々と考えた小川さん、まずは寿司職人への道を一歩踏み出すことにしました。

小川さんは、寿司職人を養成する専門学校の門を叩きます。1クラスには20人くらいいましたが、見渡すと周りは、海外に寿司屋さんを出して一旗揚げようという若い人たちばかり。でも、何人かは、同じように手に職をつけたいと考えた中高年の方の姿も見えました。

最初のステップは、寿司のにぎり方を徹底的に学びます。にぎり寿司に合ったシャリの量と重さを、サッと手に取った指先の感覚で憶えていかなければなりませんが、小川さんはさっそく苦戦。シャリの形を整えていくのもままなりません。

続いて、小川さんの前に立ちはだかったのは、様々な魚たちでした。アジを三枚におろしていくのも、なかなかきれいに出来ません。穴子が出てくると骨の多さに大苦戦。真鯛はウロコの多さに、もう圧倒されてしまいます。一方、脂がのったブリに至っては、どこから包丁を入れていいのか迷うばかり。でも、小川さんは諦めませんでした。

「せっかく始めた以上は、何とかして形にしたい!」

その思いを胸に練習に練習を重ねた小川さん、いつしか魚の筋肉の繊維をサッと見極め、迷わずスッと包丁を入れ、身と骨が分かれるように捌くことが出来るようになります。

晴れて2022年春、小川さんは、無事に専門学校を卒業。お勤めになっている会社の上司の方に、寿司職人としても活動したいと申し出ると、まるで目が点になったように驚かれました。それでも寿司職人への熱い思いを伝えると、副業として認めてくれることになりました。

今ではお店を間借りして営業する機会やリピーターのお客さんも増えてきた小川さん。少し前にはお子さんの高校合格のご褒美に、“人生初めての回らないカウンター寿司”を食べさせてほしいという依頼も受けたそうです。

「子供が元気よくお寿司を食べてくれたり、カウンター越しにお客様から直接美味しいとおっしゃっていただけると、やってよかったという気持ちになりますね」

一方、寿司を握り始めたことで、本業のお仕事にもいい影響が出てきたといいます。

「副業が出来たことで、思い切りがよくなりました。たとえ本業でヘマをしたとしても、副業があるからと気持ちがラクになったんです。これから、もっと年齢を重ねてもチャレンジは続けていきたいと思っています」

金融マンと寿司職人、小川さんの“二刀流”への挑戦は、新たな人生を切り開いています。

Facebook

ページトップへ