【西武】甲斐野央投手インタビュー 悩まされていた右肘の状態を語る

9月11日放送のライオンズナイターでは、京セラドーム大阪のオリックス―西武24回戦の試合前に、埼玉西武ライオンズの甲斐野央投手にインタビューした模様を放送した。20セーブ、20ホールドを達成した心境、悩まされていた右肘の状態について訊いた。

――プロ野球史上3人目、20セーブ、20ホールドの達成おめでとうございます。
甲斐野「ありがとうございます」

――今シーズンここまで積み上げてきた成績をどう捉えていますか?
甲斐野「起用していただいている西口(文也)監督や豊田(清)コーチ、いつも身体を元気な状態に整えてくれているトレーナーさんのおかげなので、本当に感謝したいです」

――「昨年と今年は少しずつチームの力になれている。これを続けていけるのが一流選手」とおっしゃっていましたが、その意味を改めて教えてください。
甲斐野「長く野球をされている、数字を残し続けている方というのは一流選手と呼ばれていますし、僕はまだまだですけどケガなく毎年パフォーマンスを続けていけたらなと思います」

――悩まされていた右肘の痛み、今年は万全なのでしょうか?
甲斐野「今年は大きなエラーはなく、何度かほかの患部の痛みや小さなエラーはありましたが、大きなケガがないというのはトレーナーさんたちのおかげなので感謝しています」

――今年は今までと違うケアをしていたのでしょうか?
甲斐野「特に変えていないのですが、投げたあとのリカバリーの時間を多く取ったり、食事やサプリメントをもう一度見つめ直して、ただ摂取するだけでなくクリニックや病院に行き、血液検査などを取り入れたらだいぶ変わりました」

――どんなサプリを飲んだら健康になれると思いますか?
甲斐野「僕も最初は亜鉛やビタミンなどと思っていましたが、その人の身体によって吸収の仕方が違うらしくて、人それぞれの吸収できやすい栄養素があるので、僕に聞くのではなくて斉藤(一美)さんも一度は血液検査に行ってみて、自分はどういう身体なのかという特徴が分かれば、『このサプリは必要なかったんだな』となるので」

――今日はオリックス4連戦の締めくくりとなる試合になります。決意の一言をお願いします。
甲斐野「最後もしっかり勝っていい状態で所沢に帰りたいので、今日もみんながやってくれると思います。僕も応援しています」

――最後に締めくくりの言葉をお願いします。
甲斐野「ライオンズファンのみなさん、ラジオを聴いているリスナーのみなさん、甲斐野央です。こんにちは。優勝できるようにご声援をよろしくお願いします」

※インタビュアー:文化放送・斉藤一美アナウンサー

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金融マンと寿司職人の“二刀流” 50歳を過ぎて寿司職人の学校へ入学した男性

11月は新米のシーズンということもあるのでしょうか。1日が「すしの日」、22日は「回転寿司記念日」と寿司にまつわる記念日が続きます。寿司ロボットの技術は見事ですが、やはり、職人さんが握った寿司はたまりませんね。

画像提供:小川浩司さん

今回は、金融マンの傍ら、“出張寿司職人”としても活躍されている男性のお話です。

大きな観音様が駅を見守る、神奈川県の大船。この大船ご出身で、いまも鎌倉・腰越にお住まいの小川浩司さんは、昭和44年生まれの57歳。普段は、都内の会社で金融関係の仕事をされています。

実は小川さん、もう一つの顔があります。週末を中心に首都圏各地で開かれるホームパーティーに出向いたり、お店を間借りして、手際よく寿司を握っている“出張寿司職人”なんです。だいたい、ひと月に3回、この3年半でおよそ120回の“出張”を重ねてきました。

若い頃の小川さんは、「スタミナが第一!」と、魚よりも肉でした。なかでも焼肉が大好きで、地元・神奈川に多い精肉スーパーの超常連。さらに本場・韓国、ソウルの明洞に足しげく通っていたこともあって、友達からは“ヨン様”ならぬ“ミョン様”とニックネームを付けられたほどだったんです。

そんな小川さんが寿司に目覚めたのは、コロナの時期でした。在宅勤務の空き時間、ぼんやりとインターネット動画を眺めていると、あるインフルエンサーの方が、寿司をテーマにしゃべっていたことをきっかけに、「寿司職人」という仕事が気になり始めます。

小川さんはその時、50歳を超えたばかり。仕事・家庭・趣味も充実していましたが、定年後のことを考えると、経済的なことや社会とのつながりに少し不安もありました。

「もしも、寿司を握ることが出来れば、定年後にすし屋さんのパートでも働けるし、たとえ、自給自足の生活になっても、魚をさばければ生活できるはずだ!」

色々と考えた小川さん、まずは寿司職人への道を一歩踏み出すことにしました。

小川さんは、寿司職人を養成する専門学校の門を叩きます。1クラスには20人くらいいましたが、見渡すと周りは、海外に寿司屋さんを出して一旗揚げようという若い人たちばかり。でも、何人かは、同じように手に職をつけたいと考えた中高年の方の姿も見えました。

最初のステップは、寿司のにぎり方を徹底的に学びます。にぎり寿司に合ったシャリの量と重さを、サッと手に取った指先の感覚で憶えていかなければなりませんが、小川さんはさっそく苦戦。シャリの形を整えていくのもままなりません。

続いて、小川さんの前に立ちはだかったのは、様々な魚たちでした。アジを三枚におろしていくのも、なかなかきれいに出来ません。穴子が出てくると骨の多さに大苦戦。真鯛はウロコの多さに、もう圧倒されてしまいます。一方、脂がのったブリに至っては、どこから包丁を入れていいのか迷うばかり。でも、小川さんは諦めませんでした。

「せっかく始めた以上は、何とかして形にしたい!」

その思いを胸に練習に練習を重ねた小川さん、いつしか魚の筋肉の繊維をサッと見極め、迷わずスッと包丁を入れ、身と骨が分かれるように捌くことが出来るようになります。

晴れて2022年春、小川さんは、無事に専門学校を卒業。お勤めになっている会社の上司の方に、寿司職人としても活動したいと申し出ると、まるで目が点になったように驚かれました。それでも寿司職人への熱い思いを伝えると、副業として認めてくれることになりました。

今ではお店を間借りして営業する機会やリピーターのお客さんも増えてきた小川さん。少し前にはお子さんの高校合格のご褒美に、“人生初めての回らないカウンター寿司”を食べさせてほしいという依頼も受けたそうです。

「子供が元気よくお寿司を食べてくれたり、カウンター越しにお客様から直接美味しいとおっしゃっていただけると、やってよかったという気持ちになりますね」

一方、寿司を握り始めたことで、本業のお仕事にもいい影響が出てきたといいます。

「副業が出来たことで、思い切りがよくなりました。たとえ本業でヘマをしたとしても、副業があるからと気持ちがラクになったんです。これから、もっと年齢を重ねてもチャレンジは続けていきたいと思っています」

金融マンと寿司職人、小川さんの“二刀流”への挑戦は、新たな人生を切り開いています。

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