稲垣吾郎が地名50周年の出身地「高島平」を語る

編集長 稲垣吾郎

「高島平」の名前がついて50年

東洋一のマンモス団地とも言われる東京・板橋区の高島平団地。「高島平」という地名がついてから、きょう3月1日で50年を迎えた。高島平はもともと徳丸原(とくまるがはら)と呼ばれ、明治の頃には田んぼが広がっていたという。その後、高度成長期に大規模な住宅造成が行われ、1969年(昭和44年)3月1日、板橋区によって「高島平」という地名がつけられた。今週末、高島平団地では、地名50周年を記念した写真の展示や見学ツアーが行われる予定だ。

吾郎少年が恐かったもの

高島平団地出身の稲垣吾郎は、2月27日に放送された文化放送「編集長稲垣吾郎」でこのことについて言及。幼い頃の思い出などを語った。

稲垣:トラックターミナルが多いんですよ。新高島平駅とか西高島平駅のあたり。子どもの頃、自転車で走っていて怖かった。退廃的というか殺伐とした雰囲気で、日が暮れると人通りも少なくて薄気味悪くて。懐かしいですね。

以前、板橋区の観光ガイド本『板橋マニア』を番組で特集した際には掲載された団地の写真に興奮し、親指の形をしたオブジェのあるマンションや、友だちと行ったカレー店のエピソードを披露した稲垣だが、またも"高島平愛"の溢れる放送となった。

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編集長 稲垣吾郎
放送局:文化放送
放送日時:毎週水曜 21時30分~22時00分
出演者:稲垣吾郎
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