大沢逸美が語る “不作の83年組”が切り開いた道
「おとなりさん」(文化放送)のゲストコーナー「10時のおとなりさん」の5月24日のゲストに、女優・大沢逸美さんが登場! アイドル不作の年と呼ばれた1983年デビュー組の苦労とは?
大沢逸美さんは、1982 年に第7回ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞し、翌年にデビュー。
鈴木おさむ「第7回ということですが、その前でいうとホリプロタレントスカウトキャラバンってどんな方が?」
大沢逸美「第1回は榊原郁恵さん、第4回が比企理恵さん、第6回が堀ちえみさんでした」
鈴木「第6回の堀ちえみさんは“花の82年組”といって、小泉今日子さん・中森明菜さん・石川秀美さん・早見優さん・松本伊代さん、あとシブがき隊もいましたね」
大沢「そうそうたるメンバーですね」
鈴木「すごい時代ですよね。それから翌年83年に(笑)」
大沢「なんで笑うんですか(笑) 笑うところじゃないですよ、華々しくですよ!」
鈴木「華々しかったですよね(笑) 83年には桑田靖子さん・小林千絵さん・徳丸純子さん・木元ゆうこさん・森尾由美さん・松本明子さん、そして大沢逸美さん」
大沢「覚えてますか?」
鈴木「もちろん覚えてるんですけど、“代表曲なんだっけ”みたいな……(笑)」
大沢「いまBGMでも流れてるじゃないですか!(笑) 私の代表曲『ジェームス・ディーンみたいな女の子』ですよ!」
鈴木「あっそうだ! 当時不良ブームもあったから。ツッパリとか横浜銀蝿の流れもありましたけど、83年のデビュー当時はすごい期待されてたんですか?」
大沢「すごかったですよ! 社運をかけてましたね。堀ちえみさんが大人気でしたから、それを引き継ぐということで会社の偉い方と一緒に色々なところに挨拶するんですけど、そのとき“うちは今回、このちえみを!”って言って、横で私が“逸美です……”って(笑)」
鈴木「会社の人が名前を間違えてるんだ(笑)」
大沢「ちえみがずーっと残っちゃってて(笑)」
鈴木「2~3年経ってくると、あれ? ってのは感じてくるんですか?」
大沢「年明けたらすぐです!1984年になった瞬間に、“なんか空気が薄いな~”って感じでした(笑)」
鈴木「でも逆に、アイドルとしての道が困難だったからこそ、みんなバラエティーとかドラマとか色んなところで頑張ったのはありますよね」
大沢「その踏ん張りはすごいと思います! みんなの話を聞いてると、みんな色んな壁にぶち当たって今日に至る。もう涙なくしては語れないですよ(笑)」
鈴木「みんながんばりましたよね。このあとに森口博子さんが出てきて“バラドル”という言葉が出来るんですけど、83年組が頑張ったからバラドルという道ができたと僕は思います」
【西武】仁志敏久野手チーフ兼打撃コーチインタビュー 選手には「理論を立てて言えるような意思を持ってほしい」
1月16日放送のライオンズエクスプレスでは、埼玉西武ライオンズの仁志敏久野手チーフ兼打撃コーチにインタビューした模様を放送した。指導者としての信念、最も影響を受けた人について訊いた。
――仁志敏久さんは指導者としてどのような信念をお持ちでしょうか?
仁志「技術に関して言うと、僕の考えはフィジカルの上に技術が成り立っていると考えています。今後はさらにそういう考えが強くなっていくと思います。できない技術に手先を変えても変わるものではないです。例えばスイングをしてみてスイングの軌道がよくない時、軌道を直せばよくなるわけではない。いいスイングの軌道になるような身体の使い方は元々持っているので、身体の動き出しが原因なのか、それとも体のアライメント、元々の骨格の問題なのかとか、フィジカルの上に技術が成り立っていると思うところは色々あります。選手としては自分の考えや意思を持って行動、決定を大事にしてほしいかなと思うんですよね。自分勝手な意思ではいけませんけど、ちゃんと人に説明を順序よくできる、理論を立てて言えるような意思を持ってほしいなとは思います」
――仁志さんは過去に関わった恩師のなかで最も影響を受けた方を常総学院高校時代の木内幸男監督とおっしゃっていましたが、今はいかがですか?
仁志「今も変わらないですね。考えの根本は木内さんで、野球に対して考えるきっかけをくれた人ですね。木内さんと野球をやっていると、ひとつのサインが出ただけで『何でこのサインを出したのかな』と考えるようになるんですよね。『何でここでバントなんだろう』、『監督がエンドランを出すということはここでこうなってほしいんだろうな』とか。監督の考えに依存しすぎてはいけないですけど、野球は固定観念が根本にあるので、木内さんの野球というのは奇策みたいな風に言われるんですけど、固定観念を外せば別に奇策でもなかったりするので」
――外から見て奇策でも、木内監督のもとでやっている部員たちにとっては、あり得る、準備できていたということでしょうか?
仁志「特に昔の高校野球は0アウト、ランナー1塁の場面はバント、この場面だったらスクイズみたいな形式があったんですけど、木内さんは形式的にこだわらない。木内さんのなかでは常識的なんですよ。形式と常識の違いは、野球に関する常識はその人によって違い、形式は誰もが同じことをすること。だから木内さんのやることが分からない人は、形式にこだわっていればいるほど分からない」
――これだけ野球に携わってきた仁志敏久さんも野球の常識を自分なりに作られているんですね。
仁志「そうですね。色々考えて今があるんでしょうね」
――仁志さんの常識がライオンズに受け入れられたということですね。
仁志「そうですね」
※インタビュアー:文化放送・斉藤一美アナウンサー