お祭りの「お面」値上げに驚き!元・露天商の春風亭一蔵が明かす屋台のお金事情…“粉もん”は抜き放題?

今日10月6日から、毎週金曜日の「くにまる食堂」11時台には、春風亭一蔵師匠がレギュラーとして登場。第一回目の放送では、近頃の値上げをテーマに意外なエピソードを伺った。

邦丸「ここからは最近 世間を賑わせている話題に、一蔵さんならではの目線で切り込んでいただきましょう。10月に入っても続く「値上げラッシュ」をどう見てますか?」

一蔵「僕、トラックの運転手さんをやってたって言ったじゃないですか。その前は露天商をしてたんですよ。お祭りで「たこ焼き」焼いたり、「焼きそば」焼いたり、「金魚すくい」とか、そういうアルバイトをずっとやってて。で、今年はコロナ禍を抜けて4年ぶりに、盆踊りとか始まったじゃないですか。僕も噺家なんで、町内会にご祝儀持って「おめでとうございます」とか顔出しに行くんですけど、その時、露店の値段が、ほぼ倍とか1.5倍になってんのにかなり驚いた!」

邦丸「え、そんなに上がったの?」

一蔵「めちゃめちゃ上がってるんです。例えば「焼きそば」。僕が売ってた時って400円だったんですけど、今600円以上です。「かき氷」、僕が売ってた時って200円だったんですけど、今350円から400円。一番驚いたのが「セル面」、お面。僕が売ってた時500円だったのが、今1000円なんです。」

邦丸「セルロイドで出来たお面でしょ?戦隊ものとかの。」

一蔵「そう。「セル面」にはちょっと思い出がありまして、露天商のアルバイトってすごい辛くて大変なのに1日働いて1万円なんですよ。ですから暗黙の了解で、“ちょっと抜いてもいい”。」

邦丸「(笑)それはナニ、売上から?」

一蔵「売上から。それが「粉もん」だと抜き放題。例えば「たこ焼き」行ったら、まあ給料の3倍。」

邦丸「(笑)抜きすぎだろ、それ!」

一蔵「いや全然OKなんです。親方もそれを分かってて「お前こっちな」って仕事を振るんです。でも、やりすぎると不信に思われて、そこで「お前、今日セル面な」って言われるんですよ。「お面」は数を数えているから抜いたらバレるんです。」

邦丸「抜きようがないもんな。」

一蔵「今までは、500円玉だったから「落としましたと」とか言って、ちょこっとずつ誤魔化せたのが、1000円になったら、より分かりやすくなっちゃったんじゃないかな。今これを聞いてる方は、お祭りに行ったら「お面」を売ってる子は疑われてるんだと思っていただければよろしいかと思います。」

邦丸「(笑)あいつは抜きすぎるから「セル面」担当になったんだってね。」

一蔵「よく「粉もん」でもパックを数えればいいとか言われるんですけど、パックごとまとめて捨てちゃって「すみません、落としました」って言う方々が非常に多かった。僕が働いてた頃はね、今は違うと思いますよ。ただ「セル面」だけは商品だから捨てるわけにいかない。だから1000円になって、抜きづれえだろうなって思いましたね。」

他局の番組に出ている兄弟子へのライバル意識を激しく燃やす一蔵師匠のトークはこの後も続く! 気になる方はradikoのタイムフリー機能でご確認ください。

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京都のラジオスター、山崎弘士が登場! 大ベテランなのにイジられ放題!?

10月6日の「おとなりさん」(文化放送)、午前9時台『教えて!全国☆ラジオスター』のコーナーにKBS京都「山崎弘士のGOGOリクエスト」(毎週土曜午後1時~4時)から、山崎弘士(やまざき ひろし)さんが登場した。山崎さんはアナウンサー、ラジオパーソナリティとしておよそ55年のキャリアを持つ大ベテランである。

坂口愛美「プロフィールを紹介しましょう。山崎弘士さんは岡山県津山市のご出身で、現在77歳。1968年に当時の近畿放送(現・京都放送、KBS京都)に入社され、アナウンサーとして大活躍。京都放送常務取締役を歴任され、いまも現役バリバリ。軽妙な語り口と親しみやすいキャラクター、そして特徴のある髪型で人気を集めていらっしゃいます」

山根良顕「髪型のことは触れてもいいんでしょうか(笑)」

山崎弘士「かまいませんよ(笑)。こちらの方(リスナー)はよくご存じですから。でもお二人は見たらビックリされたでしょうね、なんじゃこのおじいさんって」

山根「1:9ヘアという……」

坂口「調べて心構えはしていました(笑)」

山崎「最初は7:3だったんです。それが8:2になり、1:9になり、もう前髪がなく……こんな髪型になりました(笑)」

山根「常務取締役とかになると、みんな触らぬ神にじゃないですけど…(笑)山崎さんはそうなっていないですね。それがすごい!」

山崎「まったくなっておりません(笑)」

「山崎弘士のGOGOリクエスト」リスナーからの推薦メールも紹介した。番組ではおなじみだという、1:9ヘアを活かして災いを吹き飛ばすフレーズ「PPF(ピッカリパワーフラッシュ)」も披露してくれた。山根も「これを大ベテラン、常務取締役がやるんだからおもしろい(笑)」と称えた。アナウンサーになる前からラジオパーソナリティは志していたのだという。

山根「常務取締役も歴任されたとのことですが、もともとラジオパーソナリティをされていたというか、アナウンサーとして入社されたんですね?」

山崎「入社してニュースを読んだり、真面目な番組をやったりしていました」

山根「そこからラジオパーソナリティになった経緯というのは?」

山崎「ワイド番組のラジオカーで街の中をあちこち行って、いろんな情報を届けるというのがありました。若いころ、ラジオカーに乗って街の情報を伝えていて『あいつおもしろいこと言うてるな』『今度ラジオの番組やらそうか』ということで最初のワイド番組をやらせていただきました」

山根「ラジオに触れていた、やりたかった、というのはあるんでしょうか?」

山崎「はい。子供のころから大好きでした。テレビが出てきて、ラジオはもう終わるんじゃないか、みたいなことを世間が言っていたようですけど、なんのなんの。私はラジオが大好きで。勉強している振りしながら、いろんな番組を聴いていたんですよ。将来ラジオをやりたいな、と思っていたとき、当時の近畿放送で『アナウンサー、若干名募集』と。運よく採用された、ということだったんですね。そこからラジオを一生懸命、勉強しました」

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