アートファン必見!世界的建築家・磯崎新を北九州で堪能

現在北九州市立美術館で開催中の展覧会「磯崎新の原点 九州における1960-70年代の仕事」。本展は2022年に惜しくも91歳でお亡くなりになった世界的建築家・磯崎新さんのキャリアを決定づけた60-70年代九州での代表的なお仕事の数々、そしてその時期からずっと磯崎さんと影響を与え合った福岡のある一人の実業家との交流を見つめる展覧会だ。この展覧会は、いくつかの理由から福岡のアートファンの方は必見の展示だと、RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演したクリエイティブプロデューサーの三好剛平さんは語った。
世界的建築家・磯崎新の“原点”を辿る
まずは本展の一人目の主役である磯崎新さんについて。磯崎さんは1931年大分生まれの建築家です。1960年代から本格的に建築の仕事をスタートし、その後国内外で数多くの名建築を手がけるだけでなく、世界各地の建築展や美術展、シンポジウムなどでも要職を歴任。また自身の著書や発言を通して、建築にとどまらぬ思想や美術、デザイン、文化論、批評など多岐にわたる分野にも影響を与え続けてきた方でした。2019年には“建築界のノーベル賞”とも称されるプリツカー賞を受賞。2022年に91歳でお亡くなりになっています。
そんな日本を代表する世界的建築家・磯崎新さんですが、そのキャリアを決定づけたのは、彼の出身地である大分をはじめ、ここ福岡、そして北九州で60-70年代に発表していった建築の数々でした。本展前半ではその60-70年代の九州のお仕事を、3章にわたって大分、福岡、北九州と順番に見ていきます。
特に北九州には彼が手がけた建築が複数残っています。まさしく本展が開催されている北九州市立美術館(1974)をはじめ、北九州市立中央図書館(1974)、西日本総合展示場(1977)、北九州国際会議場(1990)といった大型建築群を、展示鑑賞後に、その足で現地へ実物を見に行けることも今回の展示の贅沢なポイントといえるでしょう。
そして今回の展示では、そのようにただ彼の建築を見ていくだけの内容になっていないのがポイントで、本展はもうひとりの主役として、ある人物にもフォーカスを当てていきます。その人物こそ、現・西日本シティ銀行、当時は福岡相互銀行と呼ばれていた銀行で長らく頭取を務められた四島司さんです。
四島さんは、まず1967年に福岡相互銀行 大分支店の建築を若き磯崎さんに託します。当時まだ駆け出しの建築家であった磯崎さんにとって、そのお仕事に始まる以降数十年の四島さんとの協働は、間違いなく後の「磯崎新」を決定づける重要なものとなっていきます。
今回の展示でも、その1967年の大分支店をはじめ、以降わずか数年のあいだに9店もの支店を手がけた福岡相互銀行との仕事の数々が紹介されます。驚かされるのは、その四島さんからの連続発注に対し、1店目の大分支店からずっと、同じ系列銀行の支店とは思えないほど一件ごとに違う建築スタイルを試しては、どの物件もおよそ銀行の支店とは信じがたいくらいに実験的な建物として、次々とかたちにしていっている磯崎さんの仕事です。
その最たるものこそが、1971年に博多駅前に現れた福岡相互銀行本店でした。惜しくも2020年に解体されてしまったこの建物ですが、これをお聞きのリスナーの皆さんも、博多駅を出てすぐに高さ50メートル幅80メートルにもなる赤褐色の壁のような圧倒的な建物を覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
本展の後半では、そうした磯崎新と四島司による、建築家とパトロンという関係を超えた、互いに建築そして美術、文化をともに愛した友人同士しての交歓が、現在の福岡に遺されたさまざまな文化資産へと繋がっていったことが明らかにされていきます。
伝説の応接室フロアと、驚くべき「四島コレクション」
なかでも今回の展示で僕にとって、大変有り難くまた感動してしまったのが、「建築と美術の交歓」と題された第5章の展示です。ここでは、先ほど触れた1971年竣工の福岡相互銀行本店で試された——現在では福岡アートシーンにおける伝説にもなっている——、ある応接室フロアが追体験できる展示となっています。
磯崎さんはこの銀行本店を設計するにあたり、四島さんへ銀行内に現役の美術家たちに依頼した作品を展示することを提案します。それはアーティストの作品をただ展示するに留まらず、なんと銀行内にアーティストとともに新たな美術空間を作り出す、ということにまで及んでいきます。「いや、ここ銀行ですから」と思わず突っ込みたくなるんですが(笑)、そこはさすが同じくアートを愛する四島さん。磯崎からのその提案を受け止めます。そして、そのことが後の四島さんの美術との関わりを決定的に変える大きな出来事にもなっていきます。
そのようにしてアーティストたちとともに作り上げたのが、銀行本店ビル6階の応接室フロアでした。手がけたのは磯崎さんご自身に加え、磯崎さんが提案した現代美術家の斎藤義重。そして九州出身の野見山暁治、地元で既に当時の銀行と活動を続けていた西島伊三雄の4名の作家で、それぞれが1室ずつ応接室づくりを担当しました。作家たちは壁面に展示する作品の制作だけでなく、椅子やテーブル、照明などの調度品にいたるまでディレクションを施し、1室1室まったく異なるコンセプトの応接室たちが完成します。
この“伝説の応接室フロア”は長らく僕自身も見てみたかったものでしたが、ついに2020年にはビルが解体されてしまい、ついにこの目で見ることができず仕舞いでした(僕と同じような福岡のアートファンはきっとたくさんいらっしゃると思います)。しかし今回この展示では、現地で展示されていた作品だけでなく、当時の各部屋の風景がほぼ実寸大に引き延ばされた写真とともに展示されており、まさしく伝説のフロアを自ら追体験できるような展示となっており、これはもう絶対に体験しておくべきものだと推薦します。
そしてもうひとつの必見ポイントは、この磯崎との冒険的な応接室フロア製作を通して、四島司さんが現代美術の面白さを確信し、以降パワフルに収集・形成されていった一大現代美術コレクション=「四島コレクション」を見ることができる第6章です。ヘンリー・ムーアやホックニー、クーニングやジャスパー・ジョーンズなど、今では世界的な重要作家の作品の数々を擁する「四島コレクション」は、四島さんが亡くなったあとにもその一部が福岡市美術館等に収蔵保管されるなど、今ではここ福岡の貴重な文化資産となっています。
以上を振り返ると、今回の展示は、まず磯崎新という一人の建築家の「原点」を求める旅を基調としながら、その旅路で出会った四島司とのかけがえのない交流が、やがて今の福岡の街のアート/カルチャーシーンにまで続いていくバトンとなっていく様を見届けるようなものになっていました。「街の文化」というと、私たちはつい行政や制度など何か大きな動きを連想しがちですが、実際には、たった一人と一人の人間が出会い、熱い交歓を交わしたというただそのことが、紛れも無く私たちの「街の文化」を作り上げていったのだという事実を目の当たりにする展示でもあったといえます。そういう意味からも、これを見た僕も、そしてこれを聞いているあなたも、ひとしく「この街の文化」を作り・変えていくプレイヤーであり得るのだ、ということを改めて強調したくなるような、熱い展示でもありました。
「磯崎新の原点 九州における1960-70年代の仕事」は北九州市立美術館で〜3/16日まで開催中です。「伝説の応接室フロア」体験も含め、本当に必見の展示ですよ。
ぜひご覧ください。
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