「苦しまずに死ねるよう祈れ」原発事故当時中学生の男性が法廷で証言

東日本大震災が起きた2011年3月11日から、まもなく14年。東京電力福島第一原発の爆発事故で故郷を離れざるを得なかった人たちが国の責任を求める損害賠償請求訴訟が、全国で続いている。福岡高裁では、当時13歳で中学生だった原告が法廷で証言した。中学生はどんな気持ちで福岡に避難してきたのか。裁判を取材した、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長が、3月4日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で伝えた。
国の責任を追及する訴訟が全国各地で
福島第一原発の事故から、14年が経とうとしています。2011年3月11日に東日本大震災が発生、翌12日に福島第一原発で爆発が起きました。原発取材をライフワークとしてきたジャーナリスト、青木美希さんが書いた新書『なぜ日本は原発を止められないのか?』によると、2023年8月段階で、少なくとも3万人が避難を続けているというデータが出ていました(82ページ)。戻れている人は少ないですから、あまり変わっていないと思います。
『なぜ日本は原発を止められないのか?』(文春新書、2023年、税別1100円)
「原発を続けるということは、事故が起きる可能性を抱え続けることを意味する。福島第一原発では、その影響の大きさを私たちは思い知った。事故をひとたび起こせば取り返しのない事態を招くにもかかわらず、原発はなぜこうも優先されるのか。その理由を解き明かすには、歴史を俯瞰し、考えてみなければならない。原子力ムラの実態とエネルギー政策の構造的問題を衝く!官・政・業・学・メディアはいかにして「原発安全神話」を作ってきたのか?
原発事故がなければ避難することはなかったとして、損害賠償を国と東京電力に対して求める裁判が全国各地で起こされています。九州の原告は2014年に提訴、福岡地裁は2020年に、国の責任を否定し、東電に損害賠償を命じる判決を出しましたが、弁護団は「国の責任を認めず、救済の範囲・程度も極めて不十分」として、福岡高裁に控訴しています。
当時の中学生(13歳)が証言台に
福岡高裁の控訴審で2月6日、第10回口頭弁論が開かれました。私が傍聴に行ったのは、事故当時は中学生で今は福岡市で会社員をしている金本暁(あきら)さん(27歳)が、中学1年生だった当時のことを語るため証言台に立ったからです。控訴審は5月に結審する予定ですが、未成年だった当事者が法廷に立つのは初めて。「最終局面での最大のヤマ場」だったので、取材に行きました。裁判が始まる前の集会で、弁護団の近藤恭典弁護士と金本暁さんがマイクを握りました。
近藤恭典・弁護団幹事長:原発の被害は様々な形でみなさん受けていますが、とりわけ未成年の方々、人生で一度しかない大切な時期に人生を変えられ、奪われてきたことは、大人が代わりに話しても伝わらないものではないかと思っています。金本さんが入念な準備もしていただいていますので、みなさんにもぜひお聴きいただきたいと思います。
金本暁さん:本人尋問は当然初めてやるので、どうなるか分からないですけど、弁護士の先生に教えていただいたので、あまり緊張しすぎないように、当時どういう思いだったのか、自分の気持ち、今の考え、正直に伝えられたらいいのかな、と思います。今日はよろしくお願いします。
牧師の父「苦しまずに死ねるよう祈りなさい」
法廷では、金本暁さんが、池永修弁護士からの質問に答えました。法廷では録音はできないので、私は一生懸命にメモを取りました。
・私は3人兄弟の真ん中で、福島県いわき市で暮らしていました。住んでいたのは、父が牧師をしていた教会兼自宅でした。当時中学1年生だった私は、吹奏楽部に所属していました。発災当日は卒業式で演奏のため学校に行き、帰宅して昼ご飯を食べてゆっくりしていました。家には父と兄と私の3人がいて、私はテレビゲームをしていました。
・地震が起きた時、最初はよくある地震かと思ったのですが、揺れはどんどん強くなる一方でした。父が1階に降りてきて、「今すぐ外に出なさい」と言いましたので、外の道路の上に出ました。ものすごく揺れが大きくて、道に座って収まるのを待っていました。家の中はぐちゃぐちゃで、片づけに追われました。断水し、ガスも止まりました。自衛隊の給水車が来るようになると、兄とともにバケツを持ってその前に並んだり、用水路にトイレの水を汲みに行ったりしました。
・3月12日に、福島第一原発が爆発する事故が起きました。父に「事故があったらしい」と聞いて知りました。父は焦っているようで、ただただ「大変なことが起きているらしい」と思いました。その時に印象的だった言葉があります。父から、「命の危険もあるんじゃないか、とテレビでも言っている。3人兄妹、もし死ぬなら苦しまずに死ねるよう祈りなさい」と言われたのです。私は、原発がどのくらい危ないか知りませんでした。そんなに大変な危険なことなんだ、と漠然と感じました。
・両親の説明では、最初は一時避難という感じで、「とりあえず違う所に移動しよう」ということでした。私は「4月の新学期にはいわきに帰ってくるのだろう」と思いましたが、実際はそうではありませんでした。
なぜ自分がこんな環境に
続いて、九州に来てからの証言です。こちらでも教会の牧師となったお父さんの決断を、どうしても認められない時期もあったそうです。
・福岡県では久留米市の県営住宅を開放してくれ、すぐに入れてもらいました。両親が外出から帰って、突然「こっちで生活することにしたから」と言い、そこで初めて「いわきに戻れないんだ」と分かりました。ただただショックでしたが、反論することはありませんでした。高校3年生になる兄は「自分だけでも戻りたい」と強く反発しました。妹はシクシクと泣いていました。私は小学生から吹奏楽部に入っていて、同じ仲間と行きたい高校がありましたが、それができなくなってしまいました。
・久留米では、吹奏楽はしませんでした。同じ仲間とずっとやってきたので、一から頑張るモチベーションがなくて、入部できませんでした。中学校にはあまり馴染めませんでした。鳥栖の高校では吹奏楽部を半年で辞めてしまいました。「なんで自分だけ知らないところでやっているのだろう」と考えていたので、団員や先生ともあまりうまくいきませんでした。
・甲状腺検査で、嚢胞(のうほう)ができている、と言われました。大きくなっているものもあったそうです。兄妹や親には結果だけは言いましたが、踏み込んだ話はしてきませんでした。
・(両親の決断に対して)当時は子供だったので、「なんで自分だけ」と思っていました。しかし父は、究極の選択をしなければならない状況だったので、福岡を選択したのです。福島には信者がいます。教会を去る厳しさ、辛さは、大人になった今ではよく分かります。
・(家族のきずなが引き裂かれて、東電への思いは)原発事故がなければ、両親が苦しい決断を迫られることもなかったのです。二度と事故は起こしてはならないです。福島では、事故が起きてしまって、苦しい判断を迫られた人がいるということを覚えていてほしいと思います。
子供の時に避難を体験して、どんなことを考えたのか、を思い出しながら率直に話をしたと思います。この種の裁判で、国の責任が認められないケースが増えています。しかし、避難した人の責任ではないですよね。では、東電だけの責任か。そうとも私は思えなくて訴えには十分根拠があるのではないか、と証言を聞きながら思っていました。
改めて「当時すごいショックだったな」
暁さんは今27歳、福岡市内で会社員をしています。避難してきたこと、福岡の人たちと出会ったこと自体は、今となってみたら、よかったかもしれない。しかし、自分のやりたいことは全部否定されてしまった違和感、憤りは今も強く持っていました。
本人尋問が終わった後の報告集会では、質問をした池永修弁護士と暁さんが、ほっとした表情で感想を述べました。
池永修弁護士:一番僕が描きたかったのは、これだけ大きな葛藤とあつれきを抱えながら、この14年間、金本さんご一家が存在していたのだということと、もしお互いの意見を鮮烈に突き合わせていた場合、多くの日本中のご家族・ご夫婦がそうであるように、不幸に分裂してしまう。そうならないよう、どれだけお互いを思いやりながら配慮しながら、折り合いをつけて、この14年を過ごしてきたのか。この事故によって金本家が背負わされてしまったものを、どうすれば理解していただけるのだろうと、この間準備をしてきたところです。見事に暁さんが証言をしてくれたと思います。ありがとうございました。
金本暁さん:今日はものすごく緊張して、でも本番に強かったんで、よかったかなあと。改めてやっぱり、「当時すごいショックだったな」というのを感じました。端的に言うと楽しくなかったです。兄妹の話も出ましたけど、これ(証言)を兄にやらせたいか、妹にやらせたいかと言われたら、やってほしくはないなあとは思います。ものすごく楽しくなかったです。
子供世代を代表して証言台に立つ。振り絞るようにしゃべっている感じでした。原発事故から14年。中学1年生が27歳の青年になった、それだけの長い時間です。事故によって変わってしまった人生を受け容れるために必要な時間だったかもしれません。子供にそういう思いをさせてしまったことは、やはり大人に責任があると私は思います。九州訴訟の控訴審は5月22日に結審して、判決を迎えることになります。皆さんの思いが届くかどうか、注目しています。

神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。1991年、毎日新聞入社直後に雲仙噴火災害に遭遇。2005年にRKBに転職。2009〜2012年、報道部長。やまゆり園事件やヘイトスピーチを題材にした映画『リリアンの揺りかご』(2024年)は、各種プラットフォームでレンタル視聴可。ドキュメンタリー最新作のラジオ『一緒に住んだら、もう家族〜「子どもの村」の一軒家〜』(2025年)は、ポッドキャストで無料公開中。
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