異例ヒットのドキュメンタリー映画『鹿の国』の世界観は『もののけ姫』と共通

スタジオジブリのアニメ『もののけ姫』に登場する「シシ神」は、生と死をつかさどる精霊であり、シカのような外観をしている。現在ヒット中のドキュメンタリー映画『鹿の国』は、今でもシカを重視する「諏訪信仰」を題材に、太古から続く自然観や宗教観が現代日本にも残っていることを感じさせる内容だ。RKB毎日放送の神戸金史解説委員長は、3月11日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で『もののけ姫』との類似点を挙げながら、この映画の詳細を伝えた。
「目に映らないもの」を伝える
私たち放送業界には「テレビ屋は、撮ってなんぼ」などという言い方があります。「撮ってなんぼ」はもっともですが、「映像に映せないものはテレビでは伝えられないのか」と思うこともあります。編集で切り落としてしまったものは伝えていないことになるし、現場に行ってたまたま撮れなかったものが「なかったもの」になってしまうのでしょうか。
私は、ニュースやドキュメンタリーを作る際に「それじゃいかん」と思い、何かできないかと考えます。映像化していないものでも伝えられるのではないかと思っています。文字なら「行間を読む」と言うように、書いていなくても伝えられることがあります。それは映像でも努力次第でできるのではないでしょうか。観終わった人たちに残る「残像感みたいなもの」に、撮ったものだけではないものが残るようなことができないかと夢想しています。
映画『鹿の国』の世界
先日観たドキュメンタリー映画『鹿の国』には、目に映らない「精霊」、命のエネルギーの源のようなものが映っている気がしました。1月の公開直後から連日満席になる異例のヒットとなっており、福岡市でも3月7日からKBCシネマで上映が始まりました。

観ていて、スタジオジブリのアニメ『もののけ姫』(宮崎駿監督、1997年)を思い起こしました。神道よりもずっと古い、縄文に起源を持つ宗教観、自然観を描いていたからです。

列島に暮らした人の心を残す「諏訪信仰」
制作したのは、アジアや日本の歴史や人の営みを撮影してきた映像制作会社「ヴィジュアルフォークロア」(所在地:東京都新宿区)で、弘理子(ひろ・りこ)さんが監督しています。2012年から続くNHK『にっぽん百名山』も担当しているドキュメンタリーの制作者です。3月8日、KBCシネマで弘監督の舞台あいさつがありました。
弘理子さん:ヴィジュアルフォークロア プロデューサー・ディレクター。ネパールに留学し、ヒマラヤの山村に滞在しながらドキュメンタリー制作を開始。“自然と祈り”をテーマに作品を作り続ける。代表作に、神に捧げられる少女たちの運命を追った「ヒマラヤ・娼婦になった女神たち」、「少年と子ヤギの大冒険~ヒマラヤ越え300日・塩の道」、「ガンジス河口 世界最大のマングローブ林に命あふれる」など。

弘監督が追いかけるのは、長野県の諏訪湖の近くにある神社、諏訪大社のさまざまな神事です。諏訪大社は、全国に1万もある諏訪神社の総本社で、「おんばしら」の神事で知られています。「日本にある最古の神社の一つ」とも言われています。
長野県の諏訪地方は、諏訪湖のある盆地で、「諏訪信仰」と呼ばれる祈りの姿が残っていて、特別な宗教風土を持っています。日本の神道には、血を「ケガレ」と見なして忌む風習もありますが、諏訪大社の神事には、シカが供えられます。

映画の中に出てきますが、奉納されるのは、今は剥製にしたシカの頭とシカの肉。ですが、江戸時代には75頭のシカの生首がまな板に載せられ、神前に供えられていたという記録も残っています。

命を奪うことで、私たちは命をつないでいます。諏訪地方に今も残る神事や、人々の風俗の内側には、神道の形式が整う前の、日本列島に暮らしていた人々の宗教観、自然観が残っているように感じます。
(1)「諏訪信仰」の精霊ミシャグジ

映画『鹿の国』が描いているのは、諏訪大社の特殊な神事です。さらに、諏訪大社の周りにはもう残っていませんが、諏訪湖から流れる天竜川流域の地域には残っている「諏訪信仰」の名残りも描かれています。四季の美しさとともに、小さなほこらでの信仰が残っている祭礼の様子なども撮影されています。非常に美しい映像です。
その場面に出てきたのは、今も村の祈りの対象となっている岩に刻まれた、ヘビの模様です。ヘビは脱皮をするので、再生の象徴、生命力の象徴として位置づけられた時代が長く続きました。その石が信仰の対象になっています。

また、「ミシャグジ」が降りてくる神事の映像もありました。諏訪信仰の「ミシャグジ」とは「訪れる精霊」のようなイメージで、もちろん撮ることはできません。「ミシャグジ」は、日本語が言葉として文字を持つ前の古代の言葉だと思います。「目に見えないカミのようなもの」を「ミシャグジ」と言っていて、それが諏訪信仰の中にあります。
(2)600年ぶりに再現した民俗芸能
さらに、600年以上前に中断してしまった風習「御室(みむろ)神事」を再現しています。その風習の中身は中世の古文書に詳しく書き残されていますが、それでも映像化するのは非常に大変なことです。

当時の舞台、衣装、歌や踊りも再現していますが、建物なら考古学者、衣装を研究している郷土史家、民俗芸能の研究者、実際に踊るパフォーマーなど、さまざまな人たちの知見を寄せて「こうだったのではないか」と考え得る限り再現しています。

神事では獣の肉を食べながら、太鼓や笛に合わせて歌い踊り、笑うのです。これがまたすごい。記録から、ここが一番近いのではないかということで、建物は実際に残っている半地下の穴蔵を使っています。衣装も、みんなで作っています。

もちろんリズムや踊りは、当時に行われたものとはさすがに違うと思いますが、その場の「空気感みたいなもの」はこんな感じだったのではないかと思わせるものになっています。空気感って映せないでしょう? それが、この映画では撮れているということにも驚きました。
(3)シカと稲に共通する「生命のサイクル」
シカは、諏訪信仰の中で非常に重要な役割を果たしています。中世の古文書には「鹿なくてハ御神事ハすべからず」と書かれています。生贄として、シカやカエルなどの生き物をささげる風習が残っています。弘理子監督は舞台あいさつで「シカの角の成長と、稲の生長のサイクルが合致するからではないか」と話していました。

雄ジカの角は4歳にもなると、秋には枝分かれして1メートル近くになります。角は冬の終わりにポロリと落ち、春になると植物のように再び伸び始めるのです。

弘監督は「初夏に田植えをし、冬に入る前に収穫する稲の生育のサイクルそのものではないだろうか」と指摘します。シカを捧げるのは農耕の豊穣をもたらすことを祈る神事にふさわしいと、古代の人が考えたのではないか。そして、生があり、死があり、食べたら自分の肉になる。また生まれて、命が巡環する。

このサイクルが、自動的に動いているとは思わなかった古代の諏訪の人々は「この世界を司っている何かがいる」と考えました。それを「ミシャグジ」と呼んだのではないだろうか、と弘監督は考えています。

考えてみると、アニメ『もののけ姫』に出てくるシシ神は、シカのような姿をしていて、生と死を司ります。森の中で、夜になるとデイダラボッチ(巨人)になり、朝になるとまたシシ神に生まれ変わります。ここも、映画『鹿の国』と似ているなと思いました。
(4)明治以前の豊饒な宗教環境

現代の諏訪大社でも、神事に備える贄(にえ)としてカエルやシカの肉が使われますが、映画の冒頭には動物愛護団体の「諏訪大社よ〇動物を殺すな」という大きな横断幕が映ります。それについての論評や団体の主張については映画で触れていませんが、初めにその映像が出てハッとしました。それが頭の中に残っていて、鑑賞者はその後に贄が供えられると「これは許されるのかどうか」などと思いながら観ていくことになるのです。

「動物愛護」という感覚は古代の人にはありませんでした。しかし一方で、生物の存在がなければ自分たちも存在していないということ、それに対する感謝の神事でもあるはずです。現在でもさまざまな批判はありますが、縄文時代から1万年以上、この列島の歴史は続いています。そのころには神社も寺もなく、「日本」という国の名前も、「天皇」という存在もなかったのです。太古の昔から、循環する命への祈りはずっとあったはずです。それがおそらく、諏訪信仰の中には残っているのです。
『鹿の国』というドキュメンタリー映画は、現在の諏訪信仰を丹念に追う中で、当時の人々の「祈り」「憧れ」「畏れ」というような、つまり「撮れないもの」を描こうとしています。これは、なかなかすごいことだと思いました。

僕はちょっと保守的な人間なので、明治の官僚が作った近代天皇制より、古代からのこういったものにすごく魅力を感じます。靖国神社もそうですが、明治以降に制度化されたものを「日本の伝統」と呼ぶのは、どうも腑に落ちません。「列島に暮らす者」の末裔として、人の祈りや心をすごく意識しています。この『鹿の国』の中にはそういうものが描かれていて、かなりおすすめです。

◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。学生時代は日本史学を専攻(社会思想史、ファシズム史など)。毎日新聞入社直後に雲仙噴火災害に遭遇。東京社会部での勤務後、RKBに転職。やまゆり園事件やヘイトスピーチを題材にしたドキュメンタリー映画『リリアンの揺りかご』(2024年)は各種プラットフォームでレンタル視聴可。ドキュメンタリーの最新作『一緒に住んだら、もう家族~「子どもの村」の一軒家~』(2025年、ラジオ)は、ポッドキャストで無料公開中。
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