坂本冬美×杉作J太郎!決して交わることのなかった2人の大御所による生トークとは⁉

1月29日(金)サブカル界のトップランナー杉作J太郎がメインパーソナリティーを務める「電撃!杉作J太郎のドッキリないと5」に歌手・坂本冬美が電話生出演!

まず、杉作が「愛媛に来たことありますか?」と切り出すと、坂本はすかさず「何を言ってるんですか!愛媛は第2の故郷です」と切り返す。「これ、どの県でも言ってると思うでしょ?ちがうんです、どこでも言ってるわけじゃなくて本当に愛媛とは切っても切れない縁なの!」

その理由は松山市の離島・中島に人生で初めての歌碑が建ったからというもの。すると杉作もすかさず「坂本さんの地元和歌山の町長がやきもちを焼いて中島に歌碑の視察に来た」というエピソードを紹介し、2人の大御所のトークは熱を帯びてくる。

”毎日だれかが誕生日”というコンセプトのもと、杉作は毎日番組内で”きょう誕生日の人”をお祝いしている。
そこで突然「坂本さん、きょう誕生日の人のお祝いしてもらっていいですか?」と杉作がお願いすると、坂本は「1月29日誕生日の方、ハッピーバースデー!」と美声で応える。徐々に広がっていく”坂本×杉作ワールド”。

続いて、PVは160万回再生を超えた桑田佳祐氏作詞・作曲で坂本氏の話題曲「ブッダのように私は死んだ」のトークに。

杉作:土の中で死んでいるという設定は何かの比喩かと思っていましたが、聴けば聴くほど本当に死んでいると気づかされるんですよね。

坂本:レコーディングした当初は恨みの強い女性だと思っていましたが、実は恨み言はいっさい言っていないんです。女性の大きな愛を感じられます。でも、主人公はこの世にいないんですよ。

杉作:本当に新機軸の曲。何度聴いても聴き飽きないですよね。

坂本:レコーディングの時、イメージ通りの歌を歌えなかったらどうしようと恐る恐る歌った。感情を押さえながら言葉を置きに行ったんです。完成したCDで使われたのは感情的に歌ったテイクではなく、最初におさえておさえて言葉を置きにいったテイクでした。今も歌う時は感情が重くならないようにと心掛けています。

杉作が「ぜひCDで繰り返し聴いてほしいですよね」と呼びかけると、坂本は「こんな時代ですから私の口からは買ってと言いづらい…」

すると杉作は「あ、そうですか?じゃあ私の口から言います。『ぜひCDで聴いてください!』」

さらに杉作は「映像PVはYouTubeで見るといいんですかね?」と問うと、坂本氏は「実は映像付きのCDもあるんですが、私の口からは買ってと言いづらい…」と。

するとまた杉作は「あ、そうですか?じゃあ私の口から言います。『映像付きのCDを買ってください!』」

生出演の最後に、番組のテーマ「忍者」について坂本に突然問いかける場面などは”これぞ杉作ワールド”と唸るようなやりとりが展開される。「忍者って…ジャニーズの?」と面を食らいつつも真摯に答る坂本。杉作は「いや!ハットリくんとかそういった忍者!」と返すと、坂本は幼少期に一斗缶の蓋から手裏剣を作って野山で男子たちと投げ合っていた”強エピソード”を披露する。

決して交わることのなかっただろう2人の大御所による染み入るトークの数々。タイムフリー機能で聞き返せる内にあなたもぜひ聞いてみてはいかがでしょうか。

電撃!杉作J太郎のドッキリないと5
放送局:RNB南海放送
放送日時:毎週火曜~土曜 19時00分~21時00分
出演者:杉作J太郎、ひなた狼 ほか

※該当回の聴取期間は終了しました。

【西武】仁志敏久野手チーフ兼打撃コーチインタビュー 選手には「理論を立てて言えるような意思を持ってほしい」

1月16日放送のライオンズエクスプレスでは、埼玉西武ライオンズの仁志敏久野手チーフ兼打撃コーチにインタビューした模様を放送した。指導者としての信念、最も影響を受けた人について訊いた。

――仁志敏久さんは指導者としてどのような信念をお持ちでしょうか?
仁志「技術に関して言うと、僕の考えはフィジカルの上に技術が成り立っていると考えています。今後はさらにそういう考えが強くなっていくと思います。できない技術に手先を変えても変わるものではないです。例えばスイングをしてみてスイングの軌道がよくない時、軌道を直せばよくなるわけではない。いいスイングの軌道になるような身体の使い方は元々持っているので、身体の動き出しが原因なのか、それとも体のアライメント、元々の骨格の問題なのかとか、フィジカルの上に技術が成り立っていると思うところは色々あります。選手としては自分の考えや意思を持って行動、決定を大事にしてほしいかなと思うんですよね。自分勝手な意思ではいけませんけど、ちゃんと人に説明を順序よくできる、理論を立てて言えるような意思を持ってほしいなとは思います」

――仁志さんは過去に関わった恩師のなかで最も影響を受けた方を常総学院高校時代の木内幸男監督とおっしゃっていましたが、今はいかがですか?
仁志「今も変わらないですね。考えの根本は木内さんで、野球に対して考えるきっかけをくれた人ですね。木内さんと野球をやっていると、ひとつのサインが出ただけで『何でこのサインを出したのかな』と考えるようになるんですよね。『何でここでバントなんだろう』、『監督がエンドランを出すということはここでこうなってほしいんだろうな』とか。監督の考えに依存しすぎてはいけないですけど、野球は固定観念が根本にあるので、木内さんの野球というのは奇策みたいな風に言われるんですけど、固定観念を外せば別に奇策でもなかったりするので」

――外から見て奇策でも、木内監督のもとでやっている部員たちにとっては、あり得る、準備できていたということでしょうか?
仁志「特に昔の高校野球は0アウト、ランナー1塁の場面はバント、この場面だったらスクイズみたいな形式があったんですけど、木内さんは形式的にこだわらない。木内さんのなかでは常識的なんですよ。形式と常識の違いは、野球に関する常識はその人によって違い、形式は誰もが同じことをすること。だから木内さんのやることが分からない人は、形式にこだわっていればいるほど分からない」

――これだけ野球に携わってきた仁志敏久さんも野球の常識を自分なりに作られているんですね。
仁志「そうですね。色々考えて今があるんでしょうね」

――仁志さんの常識がライオンズに受け入れられたということですね。
仁志「そうですね」

※インタビュアー:文化放送・斉藤一美アナウンサー

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