KAN「鉄の心でスルーしてきた」秦基博と"謝罪会見"のいきさつを全暴露

謝罪会見を謝罪します… ©STVラジオ

シンガーソングライターで、偉大なメロディメーカー・KANが、音楽シーンをウィットたっぷりに語り通すSTVラジオ『KANのロックボンソワ』に、秦基博がゲスト出演。その秦基博とKANの2人が、4月23日にYouTubeの配信動画で「謝罪会見」を行いました。その内容は、KANの「キセキ」と、秦基博の「カサナル」は、別々の曲として発表されていたものの、実はこの2曲を合わせた時に「カサナルキセキ」という1つの楽曲として完成するように制作されたものだった、と言うもの。

先行して発表された秦基博の「カサナル」。その後にKANが「キセキ」を発表すると、コード進行が同一で曲の長さも同じであるこの2曲について、熱心なファンの間では「これって、おかしくない?」など、相当にザワついていたのだとか。それでもKANと秦は「謝罪会見」の日までは一切を語らず、グッと我慢をしてきたそうです。

ところが、秦が実は一度だけ秘密を守りきれなかった一件があったことを白状します。

KAN:(ファンがざわついていても)それでも私と秦くんは、それについて一切、何も触れず…

秦:触れてはいけない…

KAN:それこそ福岡のラジオのDJはねぇ…

秦:そうです、田代さん(田代奈々さん:福岡や佐賀で活躍するラジオパーソナリティ)。田代さんがねぇ、舌鋒鋭く追求されて「あのカサナルって曲は、KANさんのキセキと…」って言う話になった時、「うわ、やべえなぁ」と思って、まだ言えない時期だったんですが、なんか勢いに負けて、ほぼ言っちゃったんですよね…。

KAN:(笑うしかない)

秦:収録だったんですけど、その後ですぐ、事務所を通して「あそこはバッサリ、カットしてくれ」と。「KANさんに申し訳が立たないので」と。

KAN:「キセキ」と「カサナル」の部分はバッサリ、カットして下さいと。

秦:もう(自分は)オロオロ、オロオロしちゃって、もう全然、うまく対処できなくて、申し訳ないですけどって。

KAN:そう、僕らはちゃんと”謝罪会見”をして(キセキとカサナルの)合体版をみなさんに聴いてもらえるようになるまで一切、鉄の心でスルーしようと言う取り決めにしていたんですね。

秦:そうですよね。

KAN:それで、福岡で秦くんが、田代さんというDJの方に、ものスゴく詰められて…

秦:(苦笑しながら)ゲロっちゃったんです。

KAN:ねぇ。その後、結局「カットしてもらえました」ってメールを僕にくれたんですね。その数日後、僕が福岡でコンサートで「やべぇ、田代さん来ちゃう」って(笑)。

秦:(爆笑するしかない)

KAN:で、田代さんは、もう昔から応援してもらってるんで、ライブを見に来てくれて、終わった後、ごあいさつした時に「この前、秦さんの(カサナルを)聴いたんですけど、あれって同じ曲ですよね」って、ものスゴく言われて、「いや、プライベートは本人に任せてあります」って。

秦:本人なのに(笑)

KAN:「プライベートについては本人に任せてあります」って、それで逃げ切ったけど。

秦:すごいなぁ、鉄の心ですね。

KAN:とにかく、これは計画的に作られたものだったと言うことを”謝罪会見”して、PVまで作ったと。

秦:そうですね、「カサナルキセキ」。

カットされて事なきを得たとは言え、鉄の心を溶かして秦から「ひみつ」を聞き出した田代DJもスゴいですが、その一件を知りながらも「プライベートは本人に…」という芸能事務所の伝家の宝刀答弁で逃げ切ったKANは、お見事です。

番組内ではもちろん、その「カサナルキセキ」もオンエアしています。そして、秦か一度はゲロってしまった"謝罪会見"はYouTubeで動画配信されています。




 

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KANのロックボンソワ
放送局:STVラジオ
放送日時:毎週土曜 24時00分~25時00分
出演者:KAN
番組ホームページ

土曜の深夜、偉大なるメロディーメーカー・KANが音楽を語り尽くす1時間。それが『KANのロックボンソワ』です。

※該当回の聴取期間は終了しました。

みかんに魅せられた大学生、異郷の地で大挑戦「多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

暦の上では春になっても、まだまだ「こたつ」が恋しい時期です。こたつに入ると食べたくなるのが、やっぱり「みかん」。

ただ、どんな方がみかんを作っているのか、あまり知らない方も多いと思います。今回は、果物好きが高じてみかん農家になった、北国出身の若い男性のお話です。

赤山大吾さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

昔、東京と沼津の間を結ぶ電車を「湘南電車」と呼んでいた時代がありました。車両のオレンジと緑のカラーは「湘南色」、俗にみかん色とも云われてきました。今はだいぶ本数も減りましたが、東京駅のホームに、「沼津」と行先が表示されると、何となく、潮の香りと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくるような気分になります。

その静岡県沼津市・西浦地区は、駿河湾の最も奥まった所にあって、海越しの富士山を望むことが出来る、風光明媚なみかんの産地として知られています。看板品種は、寿という字に太郎と書いて、「寿太郎」。この「寿太郎」を、今シーズン初めて作り上げて、出荷した男性がいます。

赤山大吾さんは、2000年生まれの24歳。赤山さんは、北海道・札幌のご出身で、小さい頃から果物が大好きでした。土地柄、みかんはあまり出回らないため、りんごを2個、まるかじりするのが日課。残すのは、わずかに芯の部分だけでした。

赤山さんは新潟の大学に進学しましたが、コロナ禍のために授業はリモートが中心。学ぶ内容も想像していたものと違って、あまり納得がいきませんでした。悶々とした日々を送る中で、赤山さんはたまたま近所のスーパーで「沼津・西浦みかん 寿太郎」と、ラベルが貼られた袋を手に取ります。

『寿太郎? 沼津ってドコ?』

赤山さんは、そう不思議に思いながら、家に帰って、さっそく皮をむいて、みかんの小さな袋を一つ、口のなかに入れると、いままでにない食感に感激しました。

『甘い! でも、甘いだけじゃない、甘みと酸味のバランスが絶妙だ!』

赤山さんは、「寿太郎」を食べて、食べて、食べまくりました。そのおいしさに満たされるうちに、自分でもみかんを作りたい気持ちが芽生えます。

沼津市西浦地区のみかん山(画像提供:JAふじ伊豆)

赤山さんは、居ても立ってもいられずに、寿太郎を出荷している沼津のJAに、直接電話をかけました。

「あの……、みかん作りに興味があるんです。教えてもらうことは出来ますか?」

2022年2月、赤山さんは大学を休学して、沼津にみかん作りの研修にやって来ました。地元の農家の皆さんも、北海道出身の赤山さんの挑戦に驚いたといいます。

その初顔合わせ、農家の皆さんは赤山さんの手を見るなり、思わず目を見張りました。

『おお、彼は本物だ! これだけみかんが好きなら、きっとやってくれる!』

そう、赤山さんの手は、みかんをいっぱい食べた、あの黄色い手になっていたんです。赤山さんは、西浦地区でもとくにおいしいみかんを作ると定評のある、御年80歳の大ベテランの農家の方に付いて、みかん作りを学び始めました。

「いいか、農家というものは、人に言われてじゃなくて、自分から動かないとやれないぞ」

「みかんは手間をかければかけるほど、ちゃんと応えてくれる。手間を惜しむな」

赤山さんは、師匠がかけてくれる言葉を一つ一つ噛みしめながら、その背中を追いかけていきます。厳しい言葉の後には、夕飯のおかずをおすそ分けしてくれたり、地元の皆さんの人柄の温かさも、故郷を離れた赤山さんには大きな励みになりました。

赤山大吾さん

籍を置いていた大学にも退学届を出して、退路を断った赤山さんは、2年間の修業を経て、2024年1月、晴れて独立を果たします。高齢でみかん作りが難しくなった方のみかん山・およそ1.5ヘクタールを借り受けて、自分の力が試される時がやって来ました。

いざ作り始めてみると、農家はみかんを作っていればいいわけではなく、事務手続きや生産計画作り、害虫や猛暑対策、アルバイトの雇用などを、全部1人でこなします。

それでも去年は概ね天候に恵まれ、周りの皆さんのサポートにも支えられながら、およそ1万キロの「寿太郎」が無事に実って、収穫することが出来ました。その出来栄えに、赤山さんも手ごたえは十分! 早速、地元の方に食べてもらうと、「おいしい!」と、味に太鼓判を押してくれました。

自分で収穫したみかんが出荷されていく様子を見て、赤山さんは胸が高鳴りました。

『自分で作ったみかんが誰かの手に渡っていく。ようやく自分で稼ぐことが出来たんだ!』

でも、赤山さんに収穫の喜びに浸っている暇はありません。まだ、みかんの管理に甘い点があったこと。そして、この冬は、越冬しているカメムシが多いため、今年は天敵への抜かりない対策が求められそうなことなど、しっかり気を引き締めています。

「もっとおいしいと言ってもらいたい! 多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

その思いを胸に、赤山さんは2年目のみかん山に登ります。

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