「紫乃さ、朝ドラの原作書け」直木賞作家に無茶ぶりした中小貴族の野望とは?!

ゲストの桜木紫乃先生(ご本人了承の上、撮影…) ©STVラジオ

中小貴族を名乗る札幌の人気劇団「シークレット歌劇團0931」の夢組トップ・銀河祐と紅雅みすずが、そして娘役・音羽美雨がクセのあるお戯れトークを繰り広げるSTVラジオ『貴族の時間』。今回は新年恒例のスペシャル・ゲストとして、桜木紫乃が参戦!。「ホテルローヤル」で2013年に直木賞を受賞し、文壇界でも独自のポジションで活躍する江別市在住の現役バリバリの売れっ子作家がなぜ、中小貴族の番組に?!。

実は桜木は「オンドレ桜木」を名乗り、番組にしばしばメールを寄せたり、シークレット歌劇團0931の公演も欠かさず観劇しているバリバリの「平民」なのです。出で立ちを見ればお判りかと思いますが…。

(冒頭ジングル明けに…)銀河:ちょっと待って、ちょっと待って。なんで?聞いてないんだけど!

紅雅:すごいな!完璧な人が入ってきた。

銀河:不審者が入って来たぞ。

紅雅:エアモニ付けてるぞ。(編註:エアモニ=オンエア・モニター。スタジオで自分や他の出演者の声を聞くイヤホン)

銀河:心の準備は出来たの?

桜木:座った…。

銀河:いいよ、なに?

桜木:今年も来ちゃったっ♡。

一同:(大爆笑)

銀河:オンドレ桜木が、スタジオにふらふら入って来ましたね。

と言うことで、オンドレ桜木こと桜木紫乃を迎えて、賑やかなお戯れトークが始まりました。話はいつしか、中小貴族が「いかにして紅白に出るか」という壮大なる野望へと進んで行きます。

紅雅:私と銀河は「マツケンサンバ」で(紅白に)出させれもらうから。

銀河:そうだよ。あのキンキラキンのね。どこにでも出られるのよ、呼んでさえもらえれば。

紅雅:衣装は持ってるからな。

銀河:そうそう、衣装はね。紅組でも青組(?)でも…

紅雅:どっちでも大丈夫。

桜木:その時は(私は)これを被って(写真で被っているピンクの手ぬぐい)。

銀河:違う、違う。オンドレは、審査員さ。

紅雅:あ~!(バシッ!)

銀河:出来るんだよ、これ。やろうと思えば。審査員、狙っていこうよ!

何と、オンドレ桜木を中小貴族の刺客として、審査員で「紅白」に出場させようというプランが飛び出した模様です。

桜木:あとは、もう、大河(ドラマ)の原作を書くしかないですね。

銀河・紅雅・音羽:そうそう!!(拍手喝采)

銀河:大河の原作書いたらさ、どこでもいいから、銀河と紅雅、ちょっと「役」出して!

紅雅:町人、村人でも、なんでもいい。

桜木:いや、主役ですよ。

銀河:いやあ、主役かぁ。スケジュール、押さえなきゃな。

紅雅:そうだな。

音羽:私は、局(つぼね)で…。

銀河:局?将軍だよ。

紅雅:将軍!

音羽:将軍??(爆笑)

桜木:ちょっと待って。私、歴史モノ書いてないんですけど…。

紅雅:ああ、そうだった!

銀河:大河は歴史モノじゃないとダメなんじゃないの?。あ、わかった!「朝ドラ」にしよう!!。

音羽:そうしますか。

銀河:紫乃さ、朝ドラ(の原作)書けよ。

桜木:わかりましたぁ~。

銀河:そうしたら、出られるから。

紅雅:そうだ。

銀河:で、歌を歌おう!

紅雅:朝の?

銀河:朝の。オープニング。そしてオープニングを歌ってたら「紅白」出られるから!

紅雅:そして、けん玉と…

銀河:ヌンチャクやって…

紅雅:で、「マツケンサンバ」につながる。

銀河:そう!!

桜木:完璧じゃないですか!

銀河:できたぁ!

紅雅:今年の抱負!

桜木:今年は全員で「紅白」に行く。

この中小貴族の野望(妄想?)は、あまりにも完璧すぎて突っ込みの余地もありません。オンドレ桜木、いや桜木紫乃の筆が炸裂すれば、朝8時に某公共放送から「♪ジュ~ビ~レーション、ジュビレーション…」が流れてくる?!

さあ、貴族の時間を堪能せよ!

STVラジオ『貴族の時間』(毎週土曜 21:00~21:30) FM90.4 & AM1440

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貴族の時間
放送局:STVラジオ
放送日時:毎週土曜 21時00分~21時30分
出演者:銀河祐(ぎんがゆう)、紅雅みすず(こうがみすず)、音羽美雨(おとは・みう)、星輝柚瑠(せき・ゆずる)、観来灯足(みぎ・ひだり)、栄瑪ラルド(えめ・らるど)/「シークレット歌劇團0931」
番組ホームページ

twitterハッシュタグ:#貴族の時間

出演する銀河祐と紅雅みすずは、札幌を拠点に北海道各地で活動する「シークレット歌劇團0931(ゼロキュウサンイチ・オークサイ)」の夢組の2トップ。音羽美雨は娘役です。「シークレット歌劇團0931」は17年前に結成され、クセとアクが強烈ながらも、うなじを綿毛でくすぐるような唯一無二の高貴な世界観でじわじわと人気が広まり、いまでは公演チケットはプラチナチケット!(マジです)。「公演を東京で」との甘い誘いにも流されることなく、ひたすらに北海道の「平民」「ラジオ平民」のためにエンターテイメントを届け続ける、平和を愛する心優しき"中小貴族"です。

※該当回の聴取期間は終了しました。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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