織田哲郎のあの曲が中国でも大ヒット!

TBSラジオ『ナイツのちゃきちゃき大放送』毎週土曜あさ9時から放送中!

今週は「夏休みの録音スペシャル」をお送りしました。いつもの生放送とはどことなく雰囲気が違っていたような、いないような・・・。お聴きいただきありがとうございました!

11時台のゲストコーナー「TOKYOよもやま話」

今回のゲストは、シンガーソングライターの織田哲郎さん。

1986年にTUBEに提供した「シーズン・イン・ザ・サン」で作曲家としても注目されると、90年には作曲した「おどるポンポコリン」でレコード大賞を受賞。ご自身が歌った「いつまでも変わらぬ愛を」をはじめ、「負けないで」(ZARD)、「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS)、「このまま君だけを奪い去りたい」(DEEN)、「夢見る少女じゃいられない」(相川七瀬)などヒット曲を連発。90年代のヒットチャートは織田さんの曲で彩られました。その一方で、バラエティ番組などにはほとんど出演しなかったので、今回出演していただくことが決まってナイツの2人も驚きを隠せない様子でした。

まさかの登場に戸惑うナイツ!

織田:どうも、よろしくお願いします!

一同:よろしくお願いいたします!

塙:マジで初めましてで。織田さんが来られたときサンダルでラフな格好で、TBSにいる大道具さんみたいな感じで。

出水:こら!

土屋:はははは! そんなわけないだろ。笑

塙:すごい腕とかも筋肉があるから。上背も大きくて、ちょっとイメージが・・・。

出水:そうそう、鍛えてらっしゃる。

土屋:もう全く、お会いすることなんか想像してなかったので。

織田:なんで俺を呼んでくれたんですか。笑

一同:あははは!

土屋:いや、なんで来てくれたんですか。笑

塙:なんで来てるんですか! 織田哲郎さんですよ?!

ミリオンヒットを量産する前のほうが超多忙

テレビやラジオで流れる歌、流れる歌、ほとんどが織田さんの曲といっても過言ではなかった90年代。きっと曲作りに追われて寝る間もなかったのではと思いきや、それより前のほうがもっと大変だったとか、、、

塙:もう90年代ずっと流れてたから、織田さん以外の曲って出たのかなって。

織田:そんなことはねえッス。笑

塙:あとWANDSとかいろいろあったじゃないですか。そこらへんがもう全部織田さんなんですか?

織田:いや全部じゃないです。笑

土屋:それぐらい相当ヒット曲を手がけてるから。すごいですよね。だから本当に忙しかったときって、どれくらいのペースで曲を作らなきゃいけないとかあったんですか?

織田:みなさんによく、90年代にいろんな曲がいちばん売れてるときが忙しかったと思われがちなんですけど、実は違うんですよ。80年代、89年、88年ぐらい。要するに、忙しいのは曲を作ることよりもアレンジを全部することなんですよ。曲ってうまくいけばパッとできるわけですよ。だけどアレンジっていうのは最低、スタジオで何十時間取られるっていうのがあるから。本当にその年だけは、あとで考えると「どう考えてもこれ1人の人間ができる仕事じゃないじゃないぞ」っていうだけの仕事を受けちゃったんですよ。

一同:はあ~。

織田:だからもうその1年はスケジュールを24時間で区切った紙を作って、とにかく24時間でどこにでも仕事を入れるっていう1年。

土屋:寝る時間はどうするんですか?

織田:もう寝られなかったら寝られなかったでしょうがない。

土屋:えーっ!

織田:でもね、スタジオで作業してるのが楽しくてしょうがなかったっていうのとタフだったっていうのが両方あって、本当に平均で2~3時間しか寝てないです。

塙:思考能力は・・・?

織田:ボケてます! 全然ボケてました。だからあとで考えると何やってんだこれっていうことをいっぱいやってるんです。やってるんだけど、もうしょうがないんですよ。笑

一同:へえー!

織田:あんまり音楽家ではそういう生活をした人の話を聞いたことないけど、昭和の漫画家さんとかはやっぱりそういう話を聞くので、ああ、これこれってよく思います。

土屋:床に寝てたとか、気づいたら気絶してたみたいな。

織田:そうそうそう。

塙:なんか作曲のほうが生みの苦しみで・・・。

土屋:作曲してる曲の数ですごいのかなと思うんですけど。

織田:そうじゃないんですよお。笑

「世界が終わるまでは・・・」に中国も熱狂、感涙!

今回の放送当日の8月5日、織田さんは中国・上海で「YOUTH NEVER GONE 2023」という大規模なライブに出演するそうです。実は織田さんが手がけた曲が中国でも大人気だったんです!

織田:中国から呼ばれてコロナの前にもう4回ぐらいやってるんですけど、「スラムダンク」っていうアニメがものすごく当時の中国の若者にとって衝撃的な、青春といえばスラムダンクっていうことになってるらしいんですね。その中で私が書いてWANDSというグループが歌った「世界が終わるまでは・・・」という曲が、特にスラムダンクを象徴する曲としてものすごく中国で愛されてるんですよ。

土屋:うわー!

織田:一回たまたま私がアニサマっていうイベント(世界最大のアニメソングのライブイベント)でゲストで出たときに、WANDSのボーカルだった上杉(昇)くんと一緒に「世界が終わるまでは・・・」を歌って私がギターを弾いたのが、ああいうのって世界中で見てもらうじゃないですか。だから、ぜひ中国でやってくれということで、「世界が終わるまでは・・・」をやることがメインで、あとはそれぞれいろんな曲をやったり自分の持ち歌をやったり、ほかにもアニメのヒット曲を持ってるNobさんとか今回は土屋アンナさんも一緒にやって。

一同:すごい!

織田:とにかく日本のアニメって本当に世界中で愛されるんで、もう4回ぐらいやって当時すごく評判よくて、やっとそろそろ。

塙:じゃあもう何年かぶりに中国にまた行く。

織田:そうです。

塙:その前日にこんな来ていただいて、マジでありがとうございます。

土屋:いやでもそれはなんか同じ日本人としては嬉しいですね。アニメも歌も向こうで愛されてるっていうのは。

織田:それは本当、嬉しいですよ。だって、もう泣いてるんだもん。

土屋:うわー、そうですか!

織田:お客さん、嬉しくて泣いちゃってる人も結構いるんですよ。

一同:へえーっ!

織田:それでもう日本語で大合唱してくれるんです。

などなどお伺いしました!織田さんありがとうございました!

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「O型からB型に変わった」中村逸郎、急性骨髄性白血病で半年間の入院を告白

左から中村逸郎、増山さやかアナウンサー、辛坊治郎

辛坊治郎がパーソナリティを務めるニッポン放送『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』に26日、ロシア政治に詳しい筑波大学名誉教授の中村逸郎が出演。今年1月に急性骨髄性白血病と診断され、2月から8月末まで約半年間入院していたことを明かした。6月26日には骨髄移植を受けたといい、約1年ぶりとなる番組出演で、病気が見つかった経緯や治療後の生活について語った。

中村によると、きっかけは今年1月、風邪をひいて38度近い熱が出たことだった。自身では治ったと思い、かかりつけ医に新年のあいさつを兼ねて訪ねたところ、CTや血液検査を受けることに。約1時間後、検査結果を見た医師の表情が変わり、すぐに大きな病院を紹介され、翌日さらに検査を受けた結果、急性骨髄性白血病と診断されたという。

2月から入院生活が始まり、6月26日には移植を受けたことを明かした。移植はうまくいったといい、「血液型もO型からB型に変わった」と説明。「性格も変わりました」と冗談を交え、以前より番組への集中力が増したと語ると、辛坊は「髪の毛なくなっただけで、ほか何も変わりませんけど」と応じる場面も。

抗がん剤治療で一度髪が抜け、現在は再び生えてきているという中村氏。体重は5~6キロ減り、現在は42キロになったとも明かした。退院後も通院を続けており、放送翌日の27日には診察と予防接種を受ける予定だという。医師から、幼少期に受けた予防接種を改めて受ける必要があると説明されたという。

また、退院時には「第二の母子手帳」と呼ぶ手帳を受け取ったことを紹介。自身の誕生日である11月2日に加え、移植を受けた6月26日が「第二の誕生日」になったと語った。

今後については「どれだけ再発せずにいけるのかっていうのは分からなくて」と率直な思いも口にした中村。入院中も、番組を聴いていたことを明かし、辛坊が「今日出ていただくことになって、本当によかったです」と再会を喜ぶと、中村氏は「心にもないことを言ってくださって、うれしいですよ」と冗談で応じ、スタジオを和ませた。

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