東海オンエアがメインパーソナリティ『東海オンエアラジオ』の魅力とは?

radiko(ラジコ)では、全国各地のラジオ番組をもっと多くの人に知ってもらえるように、SNSでアンケートを実施。リスナーの皆さまからいただいたアンケートの回答をもとに、まだ番組を聴いたことがない人に向けて「ラジオ番組応援シート」を制作しました!

今回は、TOKAI RADIOで毎週日曜22時から放送されている『東海オンエアラジオ』。愛知県岡崎市に拠点を置くYouTubeクリエイター集団・東海オンエアのラジオ番組です。『東海オンエアラジオ』の魅力をたっぷりとご紹介します。

東海オンエア出演 TOKAI RADIO『東海オンエアラジオ』

東海オンエアの地元・TOKAI RADIO(東海ラジオ)で2018年10月にスタートした、東海オンエアの冠番組。メンバーのゆめまるさん、虫眼鏡さんが毎週メインパーソナリティを務め、他のメンバーが1人ずつ持ち回りでゲストとして2週分出演しています。

メッセージ紹介や電話でリスナーとの会話などラジオらしい企画はもちろん、最近では珍しいハガキでの募集や、メンバーの私物プレゼントといったユニークな企画が行われたこともあります。

東海オンエアラジオ
放送局:TOKAI RADIO
放送日時:毎週日曜 22時00分~22時30分
出演者:東海オンエア
番組ホームページ
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※放送情報は変更となる場合があります。

『東海オンエアラジオ』で見せるYouTubeとは違った東海オンエアの姿

リスナーに番組の魅力を質問!

ここからは、『東海オンエアラジオ』を聴いているリスナーの皆さんから寄せられた番組の魅力をご紹介します。

番組にキャッチコピーをつけるなら?

キャッチコピーに関する質問では、賑やかに繰り広げられる番組の雰囲気を表現した秀逸な回答が多く寄せられました。先述の通り、『東海オンエアラジオ』はゆめまるさんと虫眼鏡さんをメインパーソナリティに、他のメンバー1人も出演しているので、毎回さまざまな組み合わせが楽しめます。

主な回答
・"内輪ノリ"の最高傑作!?
・サブチャンラジオ
・放課後の教室
・お決まりなんてねぇ!ぶっ飛びラジオ
・東海オンエアの雑談場

その他の回答
・開けラジオの扉
・なんでもありのラジオ
・言ってることは大体おふざけです

「東海オンエア」ってどんな人たち? / 番組の魅力を一言で伝えるなら?

アンケートの回答では、メンバーの個性や番組から感じられる親近感を挙げる意見が多く見られました。メンバー全員が愛知県出身者、5人の同級生とてつやさんのバイト仲間だった虫眼鏡さんというメンバーの関係性も、YouTubeやラジオで仲睦まじいやりとりを見せてくれる大きな要素といえるでしょう。

主な回答
・男友達のノリをずっと魅せてくれる6人組
・メインとサブチャンの間‼︎ 一人一人が1番星!
・ずっと青春してる人
・笑いすぎて睡眠導入には向かないくらい面白い番組
・濃厚でゆるいトークが最高

その他の回答
・企画力の六芒星
・親近感のあるスーパースター
・忖度なしの挑戦者
・親しみのある放課後感のある番組
・笑い・人生観・頭の回転、全てに置いて尊敬です

好きな番組内のコーナーは?

『東海オンエアラジオ』ではフリートークやメッセージ紹介のほか、週替わりでバラエティ色溢れるコーナーを多く展開。全てウソで構成されたお便りを紹介する「ウソおた」のコーナーでは、クオリティが高いリスナーの投稿だけでなく、メンバー同士による掛け合いも聴きどころの一つとなっています。

主な回答
オープニングトーク
・動画から飛び出した彼らのフリートークこそが、ファンを唸らせる面白みの特徴です!
ふつおた
・方向性が一定でなく、アレコレと楽しませてくれる。
東海オンエアへの質問
・動画内で思った疑問やメンバーへ質問できる
めざせ天才音楽家ロードトゥシバッハ!
・YouTubeでの人気企画をリスナー参加型で楽しめる点がいい。
ウソおた
・ぶっ飛んだ嘘にメンバーが更にぶっ飛んだ答えをしてくれる。

その他の回答
オープニングトーク
・自由に色んな話をしているのを聞くのが好き
めざせ天才音楽家ロードトゥシバッハ!
・しばゆーの才能が滲み出ている
ウソおた
・ゆめまるのテキトーな嘘がたまらなく好きです

2024年には放送6周年を迎える『東海オンエアラジオ』。番組イベントもこれまでに3回開催されるなど、リスナーとの交流も図ってきました。YouTubeと同様に自分たちのスタイルを崩すことなく、おふざけの利いた企画やメンバーの結婚エピソードなどを通じて、楽しいことに全力でチャレンジしてくれる番組です。

『東海オンエアラジオ』を聴くには?

スマートフォンのアプリやパソコンでラジオが聴けるサービス「radiko(ラジコ)」なら、『東海オンエアラジオ』をいつでも楽しめます。

『東海オンエアラジオ』をリアルタイムで聴くことが難しい場合や、聴き逃してしまった時、またもう一度聴き直したい時には「タイムフリー」機能を利用して後から聴くことも可能です。

聴き逃したラジオ番組を聴ける「タイムフリー」【radiko使い方ガイド】

また、放送エリア外にお住まいで「電波が届かないから聴けない…」という人は、全国のラジオ番組が聴けるradikoプレミアム会員限定サービス「エリアフリー」がおすすめです。

「エリアフリー」は、通常のradiko(無料・放送エリア内聴取)とは異なり、日本全国のラジオ局の番組を聴けるサービス(有料・放送エリア外聴取)です。

全国のラジオ番組が聴けるradikoプレミアム会員限定サービス「エリアフリー」【radiko使い方ガイド】

radikoプレミアムのメリットとは? 有料・無料会員の違いを解説!

この記事を書いた人

radiko編集部

radiko編集部員が「ラジコを通じて、ラジオの良さをもっと知ってもらい、皆さんが面白い番組に出会うキッカケ」になるように、ラジオ各局の情報をまとめて発信中。radiko newsでは、新番組へのインタビュー、さまざまなテーマに沿ったまとめ記事など、独自の切り口でも番組をご紹介しています。ラジコ公式SNSの情報更新も行なっています。

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戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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