2024年の最強芸人は誰だ!? 「岡-1グランプリ」開催!

12月12日(木)放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)は、年末の風物詩となった特別企画「岡-1グランプリ」が今年も開催! 厳しい予選(?)を勝ち上がってきた5組の芸人が、優勝賞品のカニを懸けて熱い闘いを繰り広げました。(ニッポン放送『ナインティナインのオールナイトニッポン』2024年12月12日放送分)

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2024年の最強芸人が決定! 「岡-1グランプリ」

スペシャルウィークを迎えた12月12日(木)の放送は、特別企画「2024年の最強芸人はこのオレが決める! 審査員・岡村隆史!! 岡-1グランプリ」(以下:「岡-1グランプリ」、「岡-1」)が開催されました。「岡-1グランプリ」は、『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』時代の2018年から行われている、年末スペシャルウィークの恒例企画。厳しい予選を勝ち抜いた(?)強者揃いの出場者たちが、優勝賞品の「カニ」を懸けて争われるお笑いバトルです。審査委員を務める岡村隆史さんによる、ちょっとクセの強い審査と、それに翻弄される出場者とのやりとりも聴きどころとなっています。

今年で7回目となる「岡-1グランプリ」。出場者はミキ昴生さん、ロングコートダディ、キンタロー。さん、敗者復活枠のインパルス堤下さん、そしてワイルドカード枠・矢部浩之さんの計5組。「岡-1」常連のミキ昴生さんは、コンビでの出場も含め、初回からの連続出場と連続優勝を継続中。堤下さんも計5回の優勝を誇ります。矢部さんも現在4連覇中と、今やすっかり「岡-1」の顔となりました。一方、ロングコートダディとキンタロー。さんは、今回が「岡-1」初出場です。

2020年、2023年の「岡-1グランプリ」の模様は、以下の記事でも詳しく紹介しています。

『ナイナイANN』2020年最強の芸人を懸けて「岡-1グランプリ」開催!(2020年12月17日放送)

『ナイナイANN』2023年の最強芸人は誰だ!? 「岡-1グランプリ」開催!(2023年12月14日放送)

オープニングでは、例年通りスタジオブースの外から愚痴をこぼすミキ昴生さん、ネタ合わせに集中できないロングコートダディ、楽屋で娘と久しぶりに会った話を延々と続ける堤下さんといった感じに、今年もネタ見せ前から出場者がスタジオになだれ込み、審査員の岡村さんとの舌戦を繰り広げる荒れ模様となりました。

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「岡-1グランプリ2024」ダイジェスト

今年も開催前から荒れ模様となった「岡-1グランプリ」。出場者5組のネタとアフタートークの様子をピックアップ。激戦の様子は、ラジコのタイムフリーでもお楽しみください!

ミキ昴生(7年連続7回目)

「岡-1グランプリ」唯一の皆勤賞にして、過去全ての大会で優勝してきた絶対王者・ミキ昴生さん。今年もトップバッターで出場し、ミキの漫才を完コピした1人漫才を披露しますが、「最初のボケまでが長い」という理由で岡村さんの制止が入り、例年通りの押し問答が始まります。

「No.1 ミキ昴生」を3分お試しで今すぐ聴く↓

"女子高生のイントネーション"で「ミキ昴生」と呼ばれる度に突っ込んだり、横山エンタツ・花菱アチャコの漫才ネタ「早慶戦」を聞かされることに嫌気が差したりなど、ここまでは毎年のお約束。しかし、「ミキ昴生ファンの方」と電話が繋がっていることを告げられると、大会は新たな展開を見せます。

なんと電話の声は、俳優・渡辺いっけいさん。渡辺さんは、ミキ昴生さんと別番組で共演した際に「岡-1」のファンであることを伝えており、番組内でも度々話題となっていました。ミキ昴生さんの不甲斐ない姿に渡辺さんは、「7回も連続出場している誇りを彼から感じられなかった」、「あなたが1番輝けるのは「岡-1」なんだ」、「声量じゃなくて芸で勝負しろよ」とダメ出しするのでした。

「ミキ昴生ファンからの電話」を3分お試しで今すぐ聴く↓

ロングコートダディ(初登場)

「岡-1」初登場のロングコートダディは、正装でスタジオに登場。準決勝敗退に終わった「M-1」の無念を晴らすかのように、完成度の高い漫才を披露しました。

「No.2 ロングコートダディ」を3分お試しで今すぐ聴く↓

ネタ見せを終えて、兎さんは「恥ずかしながら、めちゃくちゃ緊張してしまいました」と初出場の感想を述べると、堂前透さんも「こいつ、こんなに緊張するんだ」と相方の緊張ぶりを語りました。

正装のロングコートダディに対し、私服姿で挑んだミキ昴生さんは、服装だけでなく「岡-1」に取り組む姿勢を改めてダメ出しされる始末。「ほんまに面白い人は、ここ(「岡-1」)に絶対出たらあかん」と忠告するものの、堂前さんに「黙っとけよ!」と一喝されてしまうのでした。

「「岡-1」への姿勢」を3分お試しで今すぐ聴く↓

キンタロー。(初登場)

ロングコートダディと同様に「岡-1」初登場のキンタロー。さんは、ラジオでは伝わらない『トゥームレイダー』のアンジェリーナ・ジョリーさんに扮して、得意のモノマネ芸を披露しました。

「No.3 キンタロー。」を3分お試しで今すぐ聴く↓

ネタ見せ後もアンジェリーナ・ジョリーさんのモノマネを貫き通すキンタロー。さんは、「Very,very,hot!盛リ上ガッテル」、「Do my best.」と英語で初出場の感想を述べますが、ミキ昴生さんは「キンタロー。が英語喋ってるだけや!」と困惑気味。岡村さんの「No.1ムービーは何ですか?」という質問には『トゥームレイダー』ではなく、キンタロー。さんが出番前まで私服で着ていた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と答えてオチをつけたのでした。

「アンジェリーナ・ジョリー」を3分お試しで今すぐ聴く↓

インパルス堤下(2年連続6回目)

「岡-1」には、2年連続6回目の出場となったインパルス堤下さん。今年は敗者復活枠での出場です。昨年は、ネタ見せ中に落ち着きの無い素振りや、番組ディレクター・三浦憲高さん(通称:チャック三浦)の頭をスケッチブックで叩く悪態ぶりを見せました。

「No.4 インパルス堤下」を3分お試しで今すぐ聴く↓

今年は、登場早々にスタジオのセットを壊してしまうハプニングがあったものの、汗だくになりながらのフリップ芸で、番組内における自身の扱いや三浦さんから連絡が返ってこないなどの愚痴を織り交ぜたネタを披露しました。

過去の騒動から、堤下さんには専用の牛乳と寝具(ベッドや布団)が用意されていますが、今年はベッドを使用せずにネタ見せを完走。ネタ後のトークでは「汗は頑張った証」と汗を拭わず、用意された牛乳を飲み干して好調ぶりをアピールしました。

「汗は頑張った証」を3分お試しで今すぐ聴く↓

矢部浩之(5年連続5回目)

ワイルドカード枠で5年連続の「岡-1」出場を果たした矢部さんは、今年も「岡-1」のトリを担当。自らの顔の特徴を生かした新ネタ"目芸"を披露しました。元々は奥二重だと語る矢部さんは、ある日の寝癖で二重になっていたことが今回のネタ見せに繋がったことを明かしました。ぱっちりした二重姿は、矢部さんの兄・美幸さんに似ているらしく、当人をよく知る岡村さんも「(美幸さんが)学生時代、ボケる時に同じ目をしていた」と称賛しました。

「No.5 矢部浩之」を3分お試しで今すぐ聴く↓

ナインティナインのオールナイトニッポン
放送局:ニッポン放送
放送日時:毎週木曜 25時00分~27時00分
出演者:ナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)
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※放送情報は変更となる場合があります。

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radiko編集部

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戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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