【ラジオな人】ラジオファンに愛される、MBS(毎日放送)福島暢啓アナウンサーの世界

MBS(毎日放送)の福島暢啓アナウンサーは、31歳の若さにして昭和初期の歌謡曲や歌碑が大好き。落ち着いた口調ながら、時にチラリと本音を覗かせる語り口が人気です。

10月7日(日)には、安住紳一郎さんのご指名で、TBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』のピンチヒッターを務めました。また、福島さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『福島のぶひろの、どうぞお構いなく。』『次は〜新福島! 第2章=芽生え=』はいずれも絶好調!

各地のラジオファンから愛される、福島アナウンサーのルーツとは? 独特の語り口を生み出す、面白さの魅力に迫ります。

アナウンサーは“サプライズ辞令”だった

---福島さんはアナウンサー志望ではなかったんですよね。

そうなんです。最初に提出したエントリシートには、営業職と書きました。

正直に言うと、別に営業職がやりたかったわけではなくて、とにかく放送に関われたらどんな仕事でもよかったんですが、テレビやラジオが終焉に向かっているという話だったので、その最後を看取りたいと思ったんです。自分が年を取った時に「俺が若い時にはラジオというのがあってね」と話せるようにしようと思って。だから、放送局の中で歴史の古い毎日放送を受けた、というのが実のところです。

---そうだったんですか!

配属前は、人事部長に「普通は制作に行きたいとか、報道に行きたいとかいった希望があるけど、お前は結局、どこに行きたいんだ?」と言われました。研修が終わり、辞令が公布される1週間前の面談で「アナウンサーになる気はある?」と聞かれて、僕が「あります」と返事をすると「それじゃあちょっと話をしようか」と、別室に連れていかれたんです。

すると当時のアナウンス部長が座っていて「君の話は聞いてるよ」と言われて、たわいもない話をしました。「どんなラジオを聴いてきたの?」と聞かれて、「『ラジオ深夜便』(※1)です。合間のニュースが良くて、ペーパーノイズ(※2)が好きなんです」というやりとりをしていたら、それが決め手だったらしくて、「NHKのラジオニュースを聞いてるんだったら、おそらく原稿も読めるだろう」と思われたようで、アナウンサーとして配属されることになりました。この話は後から聞かされたんですけど(笑)。

---「アナウンサー配属」に、動揺はありましたか?

宝くじが当たったような衝撃でした。アナウンサーは、みんなイケメンばかりじゃないですか。見てくれの良い人ができる商売だし、僕はアナウンス学校にも通っていないし、頑張らないといけないことがたくさんあると思っていて。ただ、僕も「アナウンサーになれたら嬉しい」とは思ってたんですよ。放送部出身で「アクセント辞典」は持っていたし、人前でしゃべるのも嫌いじゃないし。

2

---「アクセント辞典」を持っていたということは、話し方などを意識されていたんですか?

あまり意識していませんでした。ただ、僕が生まれた宮崎県は、アクセントが“崩壊”しているような地域なんです(笑)。そんな中、NHKの番組を聴いてきたからかある程度共通語は分かっていて、子どもの頃はまわりの人に「東京から来た?」と言われたほどでした。それが体の中に入っていたんですね。

アナウンサーの仕事に就く時に「アクセントをほとんど修正するところがない」と言われ、天命だと思いました。今は他の仕事に就くことが考えられません。

---確かに、福島さんの話し方はNHKのアナウンサーっぽいところがありますよね。

NHKのアナウンサーは喋りがしっかりしていて、きちんと仕事をしているところが好きでした。僕はチャラチャラしている雰囲気が苦手だったから、「おはよう日本」(※3)でしゃべっている人が好きだったし、石澤典夫さんはまさに“ザ・NHK”です。

自分が聴かなきゃ消えてしまうかも

---福島さんは、藤山一郎や春日八郎といった“昭和初期の歌謡曲”をよく番組でかけていますが、好きになったきっかけは?

思春期の頃に「この歌が好き」と意識したのは、岡晴夫さんの曲です。「笑点」を観ていたこともあり、演芸が好きでNHKラジオの『真打ち共演』『浪曲十八番』『上方演芸会』(※4)を聴いていました。

ある日テレビを観ようとしたら、父が大河ドラマを観るというのでテレビが観られず、落語を聴くためにNHKラジオをつけると、玉置宏さんと立川談志さんの特別番組を放送していたんです。談志さんが好きな曲をかけて玉置さんと思い出を語るといった内容で、そこで「東京の花売り娘」など、岡晴夫さんの曲がかかっていたんです。

---なるほど。偶然の出会いだったんですね。

「この曲は自分が聴かないと消えちゃうんじゃないか。もっと聞こう!」と、後日ホームセンターのカセットテープ売り場に行き、演歌やグループサウンズ、懐メロ関係の曲を見つけて聴くようになりました。そのテープは再録だったから「物足りない」と思っていたところ、『ラジオ深夜便』で懐かしい曲を紹介しているのを知りました。2時台の「ロマンチックコンサート」、3時台の「にっぽんのうた、こころのうた」では、宇田川清江さんや加賀美幸子さんが紹介していて、「当時の音源が、そのまま流れるんだ!」と嬉しくなり毎日録音をしましたね。

お小遣いで120分テープの10本パックを何個も買ってアーカイブ化し、作詞・作曲者の名前などをノートに書いていました。

---素晴らしいですね! その頃、同級生は誰を応援してましたか?

PUFFYやモーニング娘。などが流行していましたが、既に大人気だし自分は応援しなくてもいいかな、と思ったんです。僕が聴かなくても残ると思って。僕のこの発想もよくわからないですけど(笑)。

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---珍しい考え方ですね(笑)!

消えていくものに対する執着が凄いんです。お金が消えていくのも嫌で、お年玉も使わずに定額貯金をしているような子どもでした。貯金箱を4つも持っていて、貯め込んでいましたね(笑)。

古本屋に行って「この本は廃版だな」と思ったら買っていましたし、ゲームもしないし、ゲームセンターにも行かないし。いわゆる“同世代の人がやる遊び”にお金を使いませんでした。資料を集めることに、命を燃やしていた思春期でした

どうしても出たくなかった体育祭

---福島さんは学生時代、放送部に所属していたそうですが、入ろうと思ったきっかけはありますか?

そもそも体育祭が嫌いで、「どうすれば参加しなくてすむか」と考えてたんです。放送部のアナウンサーだったら行進しなくていいし、冷房の効いた部屋にいられるから楽しいと思って。

それでも絶対にひとつは競技に出なきゃいけないから、綱引きとか目立たないものに出ていましたし、高校3年生の体育祭では全てのアナウンスを自らやることで、ひとつも競技に出ずに済みました。うまく体育祭を乗り切った自負がありますね(笑)。それほど体育が嫌いでした。ボールを見るのも、体操着を学校に持っていくことすら嫌だったので。

---もし体育が好きだったら、アナウンサーになっていなかったかもしれないですね。人前で話すことは好きでしたか?

人前で何かをするのは好きでしたね。中学の頃は演劇部と放送部の顧問が一緒で、両方のクラブに入っていました。ただ、演出家の言うことを聞かなきゃいけないのが嫌で、台本も辛気くさい内容のものが多くて……「なんでこんなことばかり、やらなきゃいけないんだ」と思っていました。

お笑いが好きだから大学では落語研究会に入ったけど、「落研だからといって落語をやったら面白くない」と思って、漫談をやってました。

---その後、M-1グランプリに挑戦しましたよね。

漫才をやりたいという先輩がいたんです。相方が辞めてしまって、ずっと1人で漫談をやっている人でした。社会人になってから「やっぱり、俺は漫才をやりたい」と言い始めて、後輩は僕を含めて7人いたんですけど「お前とは気が合う気がする」と言われてコンビを組んだんです。

2007年と2009年に出場して、2008年にはキング・オブ・コントに出ました。実はその時、ABCから「ウチに来ませんか?」と言われて「就職できるんだ」とエントリーシートを出そうとしたら、エントリー期間が終わっていたんです(笑)。

---もし間に合っていたら、ABCのアナウンサーになっていたかもしれないですね。

「アナウンサーとして…」とは言われなかったから……分かりませんね(笑)。

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“あの時”と“今”が繋がる

---大学時代も、ラジオを聴いていましたか?

少し離れていた時期もありましたが、その頃ポッドキャストが登場して、TBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』(毎週日曜日 10時~11時55分) を偶然見つけました。「アナウンサーが喋ってるんだ」と思い、聴いてみたら面白くて。

当時は大学院生で、同じラジオを聴いてる後輩と集まってラジオの真似ごとをやるようになりました。放送好き同士「やっぱり、放送って面白いな」と。仏教系の大学だったので「日本阿弥陀放送(JAD)」と名乗って“ラジオごっこ”をやっていました。

それから10年くらい経って、そんな僕が『日曜天国』に出ることになるのだから、今思えば全部繋がっていたんだなと思います

---安住さんから、ピンチヒッターの依頼がきた時の心境は?

2ヶ月ほど前の放送で安住さんが「この時期になりますと、各ラジオのパーソナリティは夏休みをとるのが一般的ですが、誰か私の代わりにやってくださいませんか。大阪の方で、私と同じようなことやっているような人がいるので、その人にお願いしようと考えています」ということを仰っていて。

---あ、まさに…(笑)。

「まさか、自分ではないだろう」と思っていたら、依頼が届いてビックリしました。

---本日は『日曜天国』本番の4日前ですが、トークの内容は考えていますか?

考えないようにしています。準備して、うまくいったことがないんです(笑)。今までの人生も行き当たりばったりで、嫌なことから逃げる事でうまくやってきたところがあるので、できるだけ考えないようにしています

『次は〜新福島!』でもメモを用意しませんから。事前に内容を考えていても、すぐに時間がきてしまってポツポツとしゃべり始めます。皆さん僕のことを知らないと思うから、自己紹介だけで30分いくかもしれない。

ただ『日曜天国』リスナーの皆さんは、安住さんの幻想を聴き取ると思うので、できるだけ過去の放送を聴いて、話のリズムは体に入れておきます。

それで、放送の3日前くらいから本番に望んだら、バランスが取れるかなぁと思っているんですけど。でも、いざマイクの前に座ったら、どんな準備をして行ってもダメでしょうね。多分何もできないですよ。だから「いいや」と思って、ちょっとあきらめの境地です。

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---『日曜天国』のピンチヒッターが福島さんだと発表した時に、安住さんが「大変、優秀なアナウンサー」「関西ナンバーワン。将来性ナンバーワンといわれている」と、ハードルを思いっきり上げていましたよね。

あれは安住さんの優しさだと思っています。

東京にお住まいのリスナーの中には、大阪のアナウンサーに対する拒否反応を示す人がいるので、僕が何を言ってもあら探しをされる可能性があります。

安住さんがものすごく褒めてくださったので、「安住さんがそこまで言うのなら聴こうか」と思ってくれた人もいると思うんです。おかげでピンチヒッターを担うにあたり、リスナーにとってもよし、番組にとってもよし、僕にとってもよし……という“三方よし”の状態になって、ありがたいと思いました。

安住さんは格好良いし、頼れます。気配りが完璧だから、タレントの皆さんは安住さんと一緒に仕事をしたがるのだと思います。「あの人は優秀だ」と言う時は、言った本人にとって利益のある時ですから。ロケのあとで「安住さんは優秀だ」とみんなが言うということは、タレントさんにとって利益を生んでいるということです。齢31にしてこんな状況を目の当たりにできて、これだけで財産だと思います。

---素晴らしいですね!

こういうことは、後輩に向けても実践していこうと思いました。NHKの石澤典夫さんが『次は〜新福島!』にゲストで来ていただいた時に、そのあとの『ラジオ深夜便』で僕の話をしてくださったんです。それも粋に感じて、良い世界に入ったなと思いました。「会社員でこれが味わえるのは、他にないな」と。

みんなが師匠で、みんなが兄弟子です。師弟関係ってやっぱり憧れるじゃないですか。擬似的にでも味わえるのは嬉しいですね。

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言葉へのこだわり

---私は福島さんの番組を数年前から聞いていて、気になっていたことがあって。福島さんはいつからか逆接の接続語のバリエーションが増えましたよね。ほかのアナウンサーがあまり使わない接続語を使っていて、「福島さんの味がついた」と思いました。

ある時期から逆接の接続語のバリエーションを増やして、なるべくかぶらないようにしたんです。(他のアナウンサーには)「〜けれども」を使っている人が多くて。文字数が多く、言っている間に「次は何を言おうか」と考える時間ができるためだと思います。それを「〜だが」に変えると、考える時間がなくなるので、一拍空くんです。すると“間”が良くなったり、リズムが変わったりします。

---なるほど……。

例えば、「けれども」を使ったら、次は「けれど」もしくは「なのだが」など、別の言葉を使うようにしたほうが気持ち良いですよね。文章を書く時も重ならないようにすると思いますが、話す時もそうしたほうが良いと思っています。

そのほか意識的にやっていることとして、物事の例を並べる時に、3年くらい前までは「◯◯や、◯◯など」のように2つしか出さなかったのですが、それを3つに増やしました。3つの例を出すことで、急に賢く見えて「物事を網羅的に捉えている人」に見えるかなと思いまして……姑息なテクニックですが。

---そんなことはないと思いますよ(笑)。

逆に、僕が気になっているのは、よく人が使っている「何々なんですよ“ね”」という言い方。例えば「このお店に入るの、実は初めてじゃないんです“ね”」などと言いますが、文末の“ね”は何の“ね”だろう……?と。隠していたことを「……〇〇なんです」と言う部分は分かりますが、この“ね”は「共有意識を持っていること」を前提とした“ね”ではないのかと。このことは後輩にも言うんですけど、なかなか変わりません。

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ネタの入り口はユニークに

---福島さんのラジオ番組『福島のぶひろの、どうぞお構いなく。』 は、スタジオ収録で月に一度の生放送のほかに、全編をロケ先から放送する「お出かけお構いなく。」がありますが、企画がとてもユニークですね。

ロケは楽しいです。

方向性は、普通の人が行かないところに行くパターンと、みんなが行ってるけど、そこに別の視点を持って行くパターンの2つしかありません。前者の場合は、鉄道好きな馬野雅行アナウンサーとデルタ線を見に行くとか、ラジオカーを解説するとか……普通はやらないですよね。後者は、難波を町歩きの達人と一緒に歩くとか、貝料理店に日本貝類学会名誉会長と一緒に行くとか。

そうすると世界が広がるし、僕の喋りが面白くなくてもネタ自体が面白いから大丈夫なんです(笑)。入り口をユニークな内容にすることが大事だと思っています

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---中でも、“ナムシステム NAMsystem ”(南無システム)という名の、自動で鐘を付く装置を開発した社長の話は面白かったですね。

旅行をした時に尾道で見つけたんです。“ナムシステム”という名前もいいなと思って(笑)。社長にお会いしたら、すごくいい人で。「日本の伝統の音を守りたい」と仰っていて、僕も同じ想いで歌謡曲のカセットテープを集めていたので、似たところがあった訳です。

江戸時代の食器や建物は残りますが、音は残りません。僕はもともと再現することが好きで、大学生の時に奈良時代の音楽に興味をもったことがあります。正倉院に置いてある楽器を、復元している方がいて、楽譜をもとに奈良時代の音楽を再現しようとしていました。最近では、朝の連続テレビ小説「まんぷく」も時代の再現が気になって、いちいち一時停止をしながら見て、「これはどこで撮影してるんだろう」「ここは帝国ホテルで撮ったのかな?」「これはCGっぽいな」とか思ったり。

---さすがの掘り下げ方です。

この番組は色々なことがネタになるから、会議が非常に面白いです。「お構いなく。」なので聴取率もあまり気にしてないし(笑)。ラジオをお聴きの皆さんも、きちんと食いついてくれるので安心しています。だからどんなことをテーマにしても、番組ができると思うし、テレビでは実現が難しいことでも、ラジオではダメって言われません。

テレビでまさかできるとは思わなかったのに実現したのは、「ちちんぷいぷい」(※5)で放送していた「歌碑ものがたり」というコーナー。全国の歌碑を巡るコーナーなんですが、僕が歌碑が好きだからということで、スタッフも面白がってくれて実現した企画です。他の番組だとできないと思いますが、“歌碑めぐり”が放送できたのは「ちちんぷいぷい」ならでは。ラジオ番組を作ってきたスタッフが主に作っていたので、ラジオの発想でなんでもできちゃいます

9※画面ふたつボカシ処理済み

作業メモリを広げるために

---10月からはナイターオフの番組『次は〜新福島! 第2章=芽生え=』がスタート。各地のラジオファンからの支持を得た番組が、戻ってきました。昨期とは雰囲気が変わったところがありますね。

昨期の第1章は、“その場限りのお祭り”だったのですが、第2章は枠を広げるということを意識しています。さらに、第3章、第4章を意識すべく、自分の基礎力を高めて幅広くさまざまな話題を扱えるようにします。作業メモリを広げるといいましょうか、今までは4ギガだったものを8ギガにして、次は16ギガにするということです。

---曜日別に、内容をご紹介しましょう。まずは火曜日の、「役場でGO!」ですが、福島さんが自らいろんな自治体に出かけ、見聞きし、体験して得た情報を「自分の言葉の力」だけで伝える企画です。

ゲストをお招きしたほうが楽なんですが、そこから逃げられなくしています(笑)。

---続いて水曜日は、番組の幅を拡げるチャレンジデー! 福島さんが、これまでのラジオ番組ではやってこなかった企画に、チャレンジしていきます。

「放送は青春だ」というコーナーでは、若いディレクターと飲みながら企画会議をやっています。思いついたことは、なんでもやることにしています。作業領域を広げれば、自ずとCPUが向上して、「福島さんに任せれば大丈夫」というふうに思ってもらえるかな、と。この業界は、まやかしも必要ですから(笑)。

---そして、木曜はズバリ! ラジオ博愛主義! 昨期、大きな反響を得た「ラジオ博愛主義!パイセンがやってきた!」と、全国のラジオ番組について語る「やきそばかおるの全国ラジオキコウ!」のコーナーなどがあります。私、「ラジオキコウ」でお世話になります。よろしくおねがいします。

こちらこそ、よろしくお願いします!  「パイセンがやってきた」はアナウンサー、ナレーター、声優、大学のパイセンなど、幅広くお迎えします。第1章でお呼びしたパイセンもお呼びしようと思っています。2回目以降のインタビューは難しいですが、自分の可動域を広げるため、加圧トレーニングをするが如く行っていくつもりです。

---さきほど「まやかし」という言葉が出ましたが、「まやかし」は大事ですよね。

僕は大学生の時に、友達を作るために各県で一番大きな都市以外の都市を覚えました。石川の場合、金沢以外に「羽咋(はくい)」も知ってる、みたいな。そうすると「なんで知ってるの!?」と驚かれて、距離が一気に縮まるんです。「UFOの博物館もあるよね」とか言ったりして(笑)。

---なるほど!福島さんの幅広い話題の引き出しは、そんなところからもきているんですね。 早速、覚えます(笑)。

本日はありがとうございました。

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インタビューの4日後、福島さんは『福島暢啓の日曜天国』の大役を務めあげ、放送を聴いた安住さんが「面白さに嫉妬した」「ソロホームランをどんどん打っていた」と絶賛。その反面「よくぞ福島くんを連れてきたな!と(私を)褒めてほしい」と嘆願していました。

これからも、福島アナウンサーから目が離せません!

(※1)NHK第1放送、NHK-FMで放送中の番組
(※2)ニュース原稿をめくる時などに出る音
(※3)NHKでやっているテレビ番組
(※4)NHK第1放送、NHK-FMで放送中のラジオ番組。
【NHK第1放送】
・『真打ち共演』(毎週土曜日 10時5分~10時55分)
・『上方演芸会』(毎週日曜日 15時30分~15時55分)
【NHK-FM】
・『浪曲十八番』(毎週木曜日 11時20分~11時50分/毎週金曜日 5時20分~5時50分)
(※5)MBSテレビで放送している情報番組

福島さんの担当番組概要

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■番組名:『次は~新福島!』
■放送日時:火曜日~木曜日 20時〜22時
■パーソナリティ:福島暢啓、信宗啓太(よふかしイエロー)
■番組サイト: https://www.mbs1179.com/next/

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■番組名:『福島のぶひろの、どうぞお構いなく。』
■放送日時:毎週金曜日 25時10分〜26時
■パーソナリティ:福島暢啓、信宗啓太(よふかしイエロー)
■番組サイト: https://www.mbs1179.com/okamai/

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■番組名:『MBSヤングタウン 日曜日』
■放送日時:毎週日曜日 22時〜23時30分
■出演者:笑福亭鶴瓶、三遊亭とむ、田口万莉、福島暢啓
■番組サイト:https://www.mbs1179.com/yan_sun/

出演者プロフィール

福島 暢啓(ふくしま のぶひろ)

1987年生まれ、宮崎県出身。籠谷大学卒。2011年にMBS(毎日放送)入社。地上波担当番組は『ちちんぷいぷい』、『サタデープラス』、『らくごのお時間』等。担当ラジオ番組は『次は~新福島!』、『福島のぶひろの、どうぞお構いなく。』、『笑福亭鶴瓶のMBSヤングタウン』等。趣味は辞書を読むこと、絵を描くこと、伝統芸能観賞。

インタビュー

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やきそばかおる

小学5年生以来のラジオっ子。ライター・構成作家・コラムニスト。

「BRUTUS」「ケトル」などのラジオ特集の構成・インタビュー・執筆を担当するほか、radiko.jp、シナプス「 I LOVE RADIO」(ビデオリサーチ社)/ J-WAVEコラム「やきそばかおるのEar!Ear!Ear!」/otoCoto「ラジオのかくし味」/水道橋博士のメルマ旬報など連載や、番組出演を通じて、ラジオ番組の楽しさを発信。

ラジコプレミアムを駆使しながら、全国のユニークな番組を紹介するツイキャス番組「ラジオ情報センター」(水曜日 21時〜22時)も放送。全てを合わせると、年間でのべ800本のラジオ番組を紹介している。

Twitter:@yakisoba_kaoru

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