祝! バナナマン・日村、48歳バースデー! 星野源の祝福に「絶対違うって!」

お笑いコンビ・バナナマンがパーソナリティを務める、TBSラジオ『JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』。5月15日(金)の放送では、48歳の誕生日を迎えた日村さんをお祝いするため、星野源さんが生電話出演しました。(TBSラジオ『JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』5月15日(金)放送分)

日村勇紀、48歳の誕生日!

放送前日の5月14日は、日村さんの48歳の誕生日! 日村さんが誕生日当日の出来事を相方の設楽さんに語りました。

設楽:(誕生日当日は)何かやったんですか?

日村:家で? うな重が出た。

設楽:おおっ! やったじゃん! すごいじゃん。

日村:俺はもう、嬉しかった。うなぎよりも白飯の方が美味いとは思ったけどね(笑)。圧倒的に。(現在、日村さんは糖質制限を実施中)

設楽:それはやっぱり誕生日だから、「お米食べていいよ」ってことで?

日村:そうそう。うん、嬉しかったねえ。

設楽:ああ、よかった。なんか俺、ブロッコリーにロウソクを挿したのが出てきたとか、そういうことかと……ふははっ……(笑)。

先月(4月23日)には設楽さんも47歳の誕生日を迎え、「本当におじさんになった」としみじみ語る二人。日村さんが48歳の誕生日を迎えて感じたこととは……。

設楽:何か変わりました? 誕生日、48歳になって感覚的なものとか。

日村:いや、これね、"8"っていう数字が、ものすごいね、50(歳)側というか、28も27と違くて30に乗っかってってるっていう、ものすごくねえ……。

設楽:もう、50(歳)側の人間だよってことでしょ。

日村:(50歳側の)人間になったなって感覚がすっごいある。

設楽:俺らも先週ね、スイカ側の人間(※)だなってすごく思ったのと一緒だけど。

日村:そうだね、先週はね……。俺がスイカ側じゃないからね。

※5月8日(金)放送分で、日村さんが苦手なスイカの克服チャレンジ企画を実施。設楽さん、オークラさん(構成作家)はスイカ好きの立場であることから。

ゲスト・星野源登場! しかし日村は……

オープニングトークを終えると、この日のゲスト・星野源さんが自宅から電話出演! 『バナナマンのバナナムーンGOLD』では、2010年から日村さんの誕生日前後に行われる放送に、毎年星野さんがゲスト出演しています。星野さんの第一声を聴いた日村さんの 反応は……。

星野:もしもし~。こんばんは~。星野源です~。どうも~。

日村:えっ? もしもし? 源くん?

星野:聞こえます?

設楽:たぶんね今、日村さん、源くんじゃないって疑ってますね。

星野:え? 何で?

日村:いや、「何で?」って、もう関西弁じゃん!

設楽:いやいや、日村さん(苦笑)。源くんだよ?

星野:僕ですよ。

日村:いや、全然。もう、すぐわかる! 「どうも~」が関西弁の人の「どうも~」だし。

星野:そう? そうですか?

設楽:いや、日村さん(苦笑)。これ、源くんよ……(笑)。本当に何の仕掛けもないよ(笑)。

日村:嘘だあ!?

星野:ははは(笑)。本当に僕じゃないと思ってるの、今? 日村さん!?

設楽:たぶん、本当に日村さんはものまねの人みたいなのが出てきたと思ってる(笑)。

日村:いや、絶対違うって! ほんとに? 嘘だ、それも嘘でしょ? ほんとに設楽さん、だったらごめん。

星野:日村さん、あの……本当に僕、星野源ですよ(笑)。

日村:いや、絶対違うって!

設楽:これ、どうやって証明すりゃいいんだろなあ(笑)。

星野:なんなのそれ(笑)。なんなの、そのくだり(笑)。なんですか。いや、僕ですよ!

日村:違うじゃん、ほら! この声、源くんじゃないじゃん!

ドッキリの仕掛けと勘違いしてしまった日村さんの疑いっぷりに、「ちょっと日村さんが遠い人になった感じがします」とぼやく星野さんでした。

「うちで踊ろう」真顔コラボの裏話

星野さんが自身のInstagramで公開した楽曲「うちで踊ろう」は、多くのユーザーによるコラボレーションがSNSで話題となり、バナナマンが"真顔"で参加したコラボ動画は300万を超える再生数を記録しました。

設楽:やっぱね、笑っちゃうんだよね。家の環境だし、奥さんが(動画を)撮ってるし、けっこう真顔の尺もあるじゃない? 

日村:1分だもんね、歌がねえ。

設楽:笑っちゃったりとかしてさ、何回も撮った。

日村:俺もけっこう5~6パターン撮った。

星野:日村さんから全部1回送ってくれたじゃないですか、僕に。たくさんテイクを送ってくれて、でも、だいたい全部同じ真顔なんで、僕は(真顔の)差があんまりわからなかったんですけど。

日村:いや、だから結局、ずっとカメラ固定にしちゃうと動画か何かもわかんなくなっちゃうとあれかなと思って、「カメラ前後にして」とか、いろいろやったつもりではいるんだけどね。

星野:設楽さんが最後ちょっと笑っちゃって、カメラが下にいくのがすごくよかったですね。

設楽:あれもね、俺もいっぱい撮ってて、失敗したやつだったから送ってるつもりなかったんだけど、どれがどれだかわかんなくなっちゃって。結果、あとは「好きなの使ってもらって」って言って、あれが使われてたから「あれ? 俺、失敗のやつ送ってたんだ」って思って。

星野:でも、あれがなかったら、設楽さん本当に怒ってるみたいな顔してたから、あれですごくホッとしました。

設楽:確かに静止画像みたいだったよね。そうだね。

毎年恒例のオリジナルソングも披露!

放送では、「源くん、これから日村の誕生日にこれをやって下さい!」をメールテーマにトークを展開。さらに、星野さんからのプレゼントや日村さんのエピソードをもとに作った新曲「折り合い」が披露されました!

JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD
放送局:TBSラジオ
放送日時:毎週金曜 25時00分~27時00分
出演者:バナナマン
番組ホームページ

Twitterハッシュタグは「#bananamoon」

※放送情報は変更となる場合があります。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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