<加藤登紀子>60周年記念企画アルバム「for Peace」のDisc.1<for Peace>から選曲

『THE MUSIC OF NOTE』加藤登紀子 ~明日への讃歌~
■放送:2025年10月 毎週土曜日 22:00-23:00
■DJ:加藤登紀子

今回も貴重で楽しいお話がたくさん!

第二夜となる今回の放送では、登紀子さんが今年5月にリリースされた、加藤登紀子60周年記念企画アルバム「for Peace」のDisc.1<for Peace>から選曲してお届けしました!

【オンエアリスト】
M01.雨音/加藤登紀子
M02.80億の祈り/加藤登紀子
M03.いのちの灯/Yae
M04.死んだ男の残したものは/加藤登紀子
M05.生きとし生きるもの/加藤登紀子
M06.百万本のバラ/加藤登紀子


今月は加藤登紀子のとても貴重で楽しいお話をうかがえそうです!

・50周年の頃に出逢った“語り曲”「雨音」の作曲してくれたピアニスト 鬼武みゆき さんの話
・登紀子さんの大好きな時間…窓辺に立って空を見て、さよならした友達のことを想ったりすること
・終戦を中国で迎えた身として、ロシアのウクライナ侵攻や、ガザ地区での紛争について思うこと
・話すとキリがないくらい面白い子供だった、次女 Yae さんの話(二人で裸足で渋谷を歩いた!?卒業式の前日に校則を破ってパーマをかけたYaeさん!?)
・「死んだ男の残したものは」を歌い継いでいこうと思った理由、終戦後の日本を“耕された人々ー”この楽曲の作詞 谷川俊太郎、作曲 武満徹への想い
・戦後の混乱の時代、「私なんていない方が良かった!」と登紀子さんが言った時の、お母様の言葉は…?
・1985年から歌い続けて40年「百万本のバラ」が、1980年代に大きな解放感を運んでくれたことを思い出せるような時代が来ると祈って歌っていること
…などなど。

そして登紀子さんは10月29日(水)に、歌手生活60周年企画アルバム第二弾として「明日への讃歌」をリリースされます。「for peace」と同じく、この作品も<出会い物語>・<恋話>と題されたDisc2枚組となります。

THE MUSIC OF NOTE 加藤登紀子 〜明日への讃歌〜
放送局:FM COCOLO
放送日時:2025年10月11日 土曜日 22時00分~23時00分
出演者:加藤登紀子
番組ホームページ

周年記念のアーティストが1ヵ月間のリレー形式でラジオDJ を務める『THE MUSIC OF NOTE』。2025年10月は加藤登紀子。

出演番組をラジコで聴く

※該当回の聴取期間は終了しました。

「バスの運転士」の一言が、10年前の記憶を呼び覚ました―ラジオが結んだ、不思議な再会

先日、ニッポン放送では『上柳昌彦 あさぼらけ スペシャル ~あけの語りびと~』をお送りしました。実は8人の方を取材させていただいたのですが、皆さんのお話が、どれもドラマがあって、ご紹介しきれませんでした。

※イメージ画像

そこで、ご紹介できなかった4人の方を、4週にわたって、『あけの語りびと』でお届けしています。今週は3人目の方です。不思議なご縁で繋がるラジオネーム「すみちゃん」の物語です。

7月28日に発生した「令和8年熊本地震」。その翌日は水曜日だったので、いつもの『あけの語りびと』は、急遽お休みして、熊本からメールを送ってくださったリスナーさんに電話をつなぎました。

実はその方、10年前にもお話を伺っていたんですが、いただいたメールでは、同じ方だと分からなかったんです。お話の中で、『10年前、バスの運転士だった…』と聞いた瞬間、「あっ、あの時の!」

私の脳裏に、10年前の記憶が、鮮明に蘇ってきたんです。不思議なものですね。「バスの運転士」という言葉が、10年の時を経て、私の記憶の引き出しを開いてくれたんです。

熊本市にお住まいのラジオネーム「すみちゃん」は、50歳です。ラジオを聞くようになったのは、中学三年生の冬。受験前にインフルエンザで寝込んだ時、枕元で聞いたラジオが、とても面白かった。それが、ラジオとの出会いでした。

当時、熊本ではニッポン放送が聞けなかったので、窓際にラジオを置いて、向きを傾けたりして、雑音の中、聞いていたそうです。

「そうそう、上柳さんの声を初めて聞いたのは私が高校二年の時でしたね。こちらのローカル番組が始まる前の、夜7時10分から20分だけ、熊本放送(RKKラジオ)で、『花の係長 ヨッ!お疲れさん』がネットされていたんです。東京のラジオ局は、めちゃくちゃ面白い!と思って聞いていましたよ」

高校へ通う電車の中でもポケットラジオで聞くほど、ラジオ好きになったすみちゃんは、大学を卒業すると教員免許を取り、中学校の「技術」の教師になりました。本棚を作る木材加工や、電子製品のはんだ付けなどを教えていたそうです。

しかし、教師の仕事は勤務時間が長く、生徒や保護者への対応など、さまざまなことが重なり、別の道を考えるようになります。

子どもの頃から乗り物が大好きだったすみちゃんは、36歳のとき、市内バスの運転士になりました。始発バスを担当する日は、朝5時過ぎには発車前の点検作業を始めます。

「朝早く起きるのは、やっぱりつらいんです。眠い目をこすってラジオをつけると、あれ?上柳さんの声が流れてきたんです。『あ、うえちゃんの番組が始まったんだ!』と、朝の楽しみが生まれましたね」

ところが、番組スタートから3週間後、2016年4月14日夜9時26分、熊本地震が発生しました。その夜、地震の様子をメールで知らせてくださったすみちゃんに、翌朝、スタジオから電話をつないだんですね。

あの電話から10年が経った今、バスの運転士さんをされていないと伺って、どうされたのか、ちょっと気になって、お話を伺うと、体調を崩されたとのこと…。検査を受けると腎臓の機能が低下していて、今は週に3回の透析を受けています。昼間の仕事は難しくなって、夜、ガソリンスタンドの事務をされています。そこでは、ラジオが聞けます。

オールナイトニッポンから「あさぼらけ」へ…「明け方、ラジオから、うえちゃんの声が流れてくると、ああ、そろそろ今日も仕事が終わりだなぁ、って思うんですよ。今は、ラジオから聞こえてくる、うえちゃんの声が、ホッとする一日の締めくくりになっています」

ラジオネーム「すみちゃん」、今朝もお仕事、お疲れ様です!

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