柏原収史「戦争は教科書の話じゃない」平和への願いを語る
番組ロゴ
柏原収史が語った「戦争は誰かの人生そのもの」
FM FUJI『Nostalgic More Story』で柏原収史が紹介したのは、ラジオネーム・橘みさおさんから寄せられた「帰らなかった人と、残された家族」というストーリー。
戦争未亡人だった祖母の人生を振り返る内容で、祖父はインパール作戦に参加し、昭和20年3月に戦死。祖母は祖父を送り出した後、一人娘を出産し、毎年娘の写真を戦地へ送り続けていたというエピソードが紹介された。
戦後、祖母に「もし祖父が現地で家庭を持っていたらどう思うか」と尋ねた際、「そのまま穏やかに幸せでいてほしい」と語ったという言葉は、長い年月を経てたどり着いた深い愛情と優しさを感じさせた。
「家族の中で受け継がれる話が大切」
ストーリーを受け、柏原は「実際にその時代を生きた人の話を直接聞ける機会は年々少なくなっている」とコメント。
さらに、「こうして家族の中で受け継がれてきた話は本当に大事」「戦争は教科書の中の話ではなく、誰かの人生そのもの」と語り、記憶を語り継ぐことの意味を静かに伝えた。
番組では、戦争未亡人や戦争孤児という言葉が必要のない時代であってほしいという願いとともに、今ある平和の尊さについてリスナーへ問いかけた。
平和を願う思いを音楽とともに届けた放送
放送では井上陽水「少年時代」、Mike + The Mechanics「The Living Years」、町田義人「戦士の休息」、John Lennon「Imagine」など、平和や記憶をテーマにした楽曲をオンエア。
夏だからこそ立ち止まり、戦争を経験した人々や残された家族へ思いを巡らせる時間となった。
放送全編では、柏原収史がリスナーから届いた物語にどのような思いを寄せたのか、ぜひタイムフリーでも確かめてほしい。
※放送情報は変更となる場合があります。
ラジコプレミアムに登録して
全国のラジオを時間制限なしで聴く!
「終戦」ドイツでは? 映画が描いてきたナチ・戦争の姿をドイツ人翻訳家が解説
フリーライターの武田砂鉄が生放送でお送りする朝のラジオ番組、『武田砂鉄 ラジオマガジン』。8月17日は、月曜レギュラーでドイツ出身の翻訳家・エッセイストのマライ・メントライン氏とトークを繰り広げた。
マライ「今日のテーマは、ドイツ社会は映画を通じてナチスの過去とどう向き合ってきたのか、ドイツが制作したナチス映画傑作選です。なんでこのテーマを選んだかというと、日本では8月15日が終戦の日で、今年もテレビで中継された政府主催の全国戦没者追悼式を見て、「ああ、もう81年も経ってて、やっぱりあの戦争との向き合い方って難しいなあ」と思ったんです。ドイツの終戦は1945年5月8日で、日本より3カ月早いんです。ドイツでも過去との向き合い方の問題があって、ヒトラー、そしてナチスの社会的な狂気は、「あれはなんだったんだろう」とか今なお答えが出ていないことが問題になってるんですよね。毎年、日本だと戦争を扱った映画とかドラマが公開されると思うんですけど、ドイツでも第二次世界大戦とかナチズムをテーマにした映画がよく制作されるんです。日本と同じように、決まった時期に出ることはあまりなくて、オールウェイズ出る状態ではあるんですけど、それでもわかるように、なんかその「もやもや」、「あれは何だったんだろう」っていうのが残ってるんでしょうね。で、映画を紹介したいなと思って、一応7本用意してるんですけど多分全部できないので…」
武田「7本!」
マライ「(笑)無理ですね。まあ、とりあえず行っちゃいますかね。まず、ナチズムの誕生の予感というテーマで皆さんに見てほしいのが、『白いリボン』っていう2009年の映画です。舞台は第一次世界大戦の直前。1913年から14年の北ドイツのある村で、子どもたちに対して暴力的な躾が行われてたんですね。宗教的な抑圧もあって、さらに階級社会だったんです。映画の主人公は、新たに村の学校の先生として就任する男性なんですけど、彼はなんとなく「子どもたちが変なんじゃない?」、「なんかちょっと行動が変わってるんじゃないかな?」って気づくんですね。さらにいくつかの不思議があって、暴力的な事件が起こるんです。これはドイツの第二帝国時代後期の権威主義的な人格否定教育がテーマになってるんですね。それにさらされた子どもたちは、その後どうなるのかというテーマでもあるんです。要するに、ファシズムの中で育った子どもたちは、その後どうなるかっていうことです。この子どもたちが大人になったタイミングがナチスドイツの時代なんですよ。そういう権威的な教育システムとかは、結局、ナチズムの下準備みたいなものになってたんじゃないかっていう可能性を問う傑作なわけです」
武田「不気味な感じですよね」
マライ「不気味ですよ。ちょっとミステリー映画っぽい感じですよ。音楽なしで白黒、ハッピーに見る映画ではないんですけど、やっぱ傑作なんですよね」
武田「こういうところから、ナチズムが始まっていったんだっていうのが見えてくるってことなんですね」
マライ「そう、もちろんナチズムだけではなくて、ファシズムそのものを問う作品でもあると監督は言っていて、なるほどなあと思います。で、2本目は『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』、 2005年の映画です。これは見たことあります?」
武田「ないです」
マライ「ご存知の方も多いと思うんですけど、1943年、ミュンヘン大学で反ナチスのビラをばらまいていたショル兄妹が実在しました。で、逮捕されるんですけど、その最後の尋問と裁判を、妹のゾフィー・ショルを中心に描いた映画です。彼女はキリスト教精神を軸にナチスに抵抗した世界的な偉人として有名だと思います。重要なのは、映画の中に出てくるゾフィーを尋問するゲシュタポの捜査官です。彼の描き方がすごくて、ありきたりな悪役としては描かれてなくて、ゾフィーの知性とか人間性に感心しちゃうんですね。心がちょっと動いちゃうんですよね。それがポイント。それは実際にそうだったらしくて、本人がメモみたいなのを残してるんですけど、どうにかゾフィー・ショルを救いたいって気持ちになるんですね。そこでゲシュタポの捜査官は、ナチスの論理を駆使して、なんとか命を助けようとするんですね。ナチスのシステムの中でこれだったら救えると彼女にも提案するんですね。でも彼女は拒絶するんですよ。偽善だから。そして死刑になるという映画です。で、すごく思うのが、自分があの時代に生きてたら、どれほどのことできてたんだろう。まず、ゾフィー・ショルにはなれなかったんじゃないかなって。どっちかっていうと、そのゲシュタポ捜査官のようなことをやったかな?ぐらいの感覚なんですよね。考えさせられる映画なんですよね。ナチスに、ある意味で感情移入するっていうのが大変興味深いと思います。演技もすごくて、そういう文脈で見てほしい映画です」
武田「やっぱり、完全な悪人と残された善人がいたということではなく、そのグラデーションの中で社会の空気が作られてしまった。だからこそ怖い。だからこそ恐怖があるっていうことなんですかね」
マライ「そうなんですよ。もし自分がその映画の中にいたら。この人だったらなにができたのか。なんかいろいろ思っちゃうんですよね。すごく考えさせられる映画です。」