書いて、書いて…とにかく書き続けた作家・曽野綾子。4月17日と24日の2週に渡り、93歳でこの世を去った作家・曽野綾子を偲んで、小説「白いスニーカー」を朗読。
敬虔なキリスト教の倫理観をベースに、社会問題や人間の欲望に深く切り込んだ小説を数多く残した作家・曽野綾子。小説を書くためなら、日本国内のみならず海外までも足を延ばし、山奥や土木現場など、どんなところにも何度でも出向くリサーチ力と観察力は、彼女の作品の底力になっている。今回、取り上げる「白いスニーカー」は1999年に出版された「二十三階の夜」という短編集に収められた作品。この物語も、長編小説の取材で繰り返し訪れたダム工事現場付近の宿が舞台になっている。朗読は日本テレビアナウンサー・井田由美。
【曽野綾子は苦労人?】
1931年(昭和6年)、東京で生まれた曽野綾子は、幼稚園から大学まで、カソリックの修道院が営む聖心女子学院に通った。綾子自身は高校生のときに洗礼を受けている。そんな経歴から、24歳で「遠来の客たち」で作家デビューした当時は、「お嬢様作家」などと呼ばれたが、「自分らしくないほどいい評判をもらったものだ」とやや開き直っていたようだ。実際、不仲の両親の間で心を痛めながら過ごした少女時代を思うと、「私は苦労人」と自伝の中で書いている。
【夫・三浦朱門との出会い】
曽野綾子は大学2年、二十歳のとき、小説家を目指して同人誌「新思潮」のメンバーとなり、そこで夫となる三浦朱門と出会う。お互い顔も知らなかった初対面で、朱門が指定した待ち合わせ場所は、“新宿駅のホームのゴミ箱の横”。のちに朱門は、「文学少女なんていうのはブスに違いない。目立たないようにゴミ箱の横に立っていろと言った」と話している。しかし、そこに現れた綾子を見て、「ゴミ箱と並んで得をしたのは僕のほうだったかもしれない」と思ったとか。その後、一児をもうけ、作家同士の夫婦として、また、三浦朱門は文化庁長官、曽野綾子は日本船舶振興会(現在の日本財団)の会長と、互いに社会的な仕事も務めながら、2017年に朱門がこの世を去るまで添い遂げた。
【曽野綾子の作品】
曽野綾子の代表作は、厳しい自然と闘う一人の土木技術者を描いた「無名碑」、アウシュビッツで他人の身代わりに死んだ神父をモデルにした「奇跡」、息子を主人公にし、テレビドラマ化もされた「太郎物語」、そして、人工中絶問題を取り上げた「神の汚れた手」など枚挙にいとまがない。また、1970年、37歳で書いたエッセー集「誰のために愛するか」はミリオンセラーとなった。晩年にも「老いの才覚」「百歳までにしたいこと」など多くのエッセーで同世代の読者にエールを送った。夫88歳、綾子82歳の時には「夫婦のルール」という共著も残している。まさに、書いて、書いて、書き続けた作家人生だった。
【白いスニーカー】
小説のリサーチのために山奥のダム工事現場をたびたび訪れていた作家の「私」は、あるとき、いつもの宿でひとりの中年女性と出会う。白いスニーカーを履いたその女性は、2年前に夫を病気で亡くし、三回忌もすんでようやくこうして旅に出てきたのだと言う。東京のサラリーマン家庭に育った彼女は、大学時代、サッカー部の花形だった上級生に一方的な恋をした。しかし、親戚の人は年頃の彼女にしきりに見合い話を持ってくる。そんなとき、彼女は一人の青年と出会う……。運命や因習に邪魔されながら生きてきた女性。白いスニーカーに込められた、彼女のたったひとつの願いとは?
- わたしの図書室
- 放送局:ラジオ日本
- 放送日時:毎週木曜 23時30分~24時00分
- 出演者:井田由美(日本テレビアナウンサー)
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