「放送だって継承だからね」高田文夫とタブレット純が語った、昭和から続く芸能のバトン
(写真左から、ゲスト 高田文夫、パーソナリティ タブレット純)
タブレット純がパーソナリティを務める、ラジオ日本『タブレット純 音楽の黄金時代』が、9月12日(土)で放送500回を迎えた。番組には、これまで放送200回、300回、400回の節目にも出演してきた高田文夫がゲストとして登場。番組への思いや、昭和の芸能を支えた先輩たちについてタブレットと語り合った。
スタジオにはリスナー、関係者からの花や菓子などのお祝いが並び、普段とは違う雰囲気に高田は「事故現場かと思った」と冗談を飛ばした。番組が始まっておよそ10年になることについても触れ、高田は「500回ということは10年。素晴らしい」と祝福した。高田は以前から同番組を聴いており、「土曜日のこの時間にピシッとビールを開けて、くつろいで、懐かしい曲を聴くのにちょうどいい」と、その楽しみ方を紹介。タブレットは、高田が番組を聴いていると知ったことが大きな励みになったと明かした。
今回、高田が選んだ楽曲のテーマは、昭和のテレビやラジオを作り上げた「裏方」たち。放送作家として活躍した青島幸男らを取り上げながら、裏方でありながら歌やコントなどで自らも表現した人物たちの才能に迫った。高田は、青島幸男について「一流の人間は何をやっても一流」と語り、複数の才能を生かして活躍することの大切さを紹介。自身も小学5年生のころから青島に注目し、卒業文集に「大きくなったら青島幸男になります」と書いたというエピソードを披露した。さらに、放送作家としてだけでなく、歌手や俳優、文化人としても活動した先人たちの功績を振り返り、芸能の世界では先輩から後輩へと才能や精神が受け継がれていくことについても言及。高田は現在も若手の芸人やクリエイターたちと交流を続けており、「誘われるうちが花」と、これからも声がかかる限り活動していく姿勢を示した。
番組の終盤では、タブレットが高田から受け継いだものを次の世代へ伝えていくことについて語り、高田も「放送も伝統文化。伝えていかないと継承にならない」と応じた。高田が尊敬した先輩たちの存在、その高田を尊敬する若い世代へと続く芸能の流れを、二人が改めて確認する時間となった。
500回という節目を迎えた『タブレット純 音楽の黄金時代』。高田は最後に「501回を目指せ」とエールを送り、タブレットも「まだまだ聞きたいことが山ほどある」と応じた。昭和歌謡を入り口に、時代を作った人々の仕事や才能を語り継ぐ番組の新たな一歩となった。笑いを交えながら語られる昭和芸能の知られざる話の数々は、radikoタイムフリーで!
※放送情報は変更となる場合があります。
「バスの運転士」の一言が、10年前の記憶を呼び覚ました―ラジオが結んだ、不思議な再会
先日、ニッポン放送では『上柳昌彦 あさぼらけ スペシャル ~あけの語りびと~』をお送りしました。実は8人の方を取材させていただいたのですが、皆さんのお話が、どれもドラマがあって、ご紹介しきれませんでした。
そこで、ご紹介できなかった4人の方を、4週にわたって、『あけの語りびと』でお届けしています。今週は3人目の方です。不思議なご縁で繋がるラジオネーム「すみちゃん」の物語です。
7月28日に発生した「令和8年熊本地震」。その翌日は水曜日だったので、いつもの『あけの語りびと』は、急遽お休みして、熊本からメールを送ってくださったリスナーさんに電話をつなぎました。
実はその方、10年前にもお話を伺っていたんですが、いただいたメールでは、同じ方だと分からなかったんです。お話の中で、『10年前、バスの運転士だった…』と聞いた瞬間、「あっ、あの時の!」
私の脳裏に、10年前の記憶が、鮮明に蘇ってきたんです。不思議なものですね。「バスの運転士」という言葉が、10年の時を経て、私の記憶の引き出しを開いてくれたんです。
熊本市にお住まいのラジオネーム「すみちゃん」は、50歳です。ラジオを聞くようになったのは、中学三年生の冬。受験前にインフルエンザで寝込んだ時、枕元で聞いたラジオが、とても面白かった。それが、ラジオとの出会いでした。
当時、熊本ではニッポン放送が聞けなかったので、窓際にラジオを置いて、向きを傾けたりして、雑音の中、聞いていたそうです。
「そうそう、上柳さんの声を初めて聞いたのは私が高校二年の時でしたね。こちらのローカル番組が始まる前の、夜7時10分から20分だけ、熊本放送(RKKラジオ)で、『花の係長 ヨッ!お疲れさん』がネットされていたんです。東京のラジオ局は、めちゃくちゃ面白い!と思って聞いていましたよ」
高校へ通う電車の中でもポケットラジオで聞くほど、ラジオ好きになったすみちゃんは、大学を卒業すると教員免許を取り、中学校の「技術」の教師になりました。本棚を作る木材加工や、電子製品のはんだ付けなどを教えていたそうです。
しかし、教師の仕事は勤務時間が長く、生徒や保護者への対応など、さまざまなことが重なり、別の道を考えるようになります。
子どもの頃から乗り物が大好きだったすみちゃんは、36歳のとき、市内バスの運転士になりました。始発バスを担当する日は、朝5時過ぎには発車前の点検作業を始めます。
「朝早く起きるのは、やっぱりつらいんです。眠い目をこすってラジオをつけると、あれ?上柳さんの声が流れてきたんです。『あ、うえちゃんの番組が始まったんだ!』と、朝の楽しみが生まれましたね」
ところが、番組スタートから3週間後、2016年4月14日夜9時26分、熊本地震が発生しました。その夜、地震の様子をメールで知らせてくださったすみちゃんに、翌朝、スタジオから電話をつないだんですね。
あの電話から10年が経った今、バスの運転士さんをされていないと伺って、どうされたのか、ちょっと気になって、お話を伺うと、体調を崩されたとのこと…。検査を受けると腎臓の機能が低下していて、今は週に3回の透析を受けています。昼間の仕事は難しくなって、夜、ガソリンスタンドの事務をされています。そこでは、ラジオが聞けます。
オールナイトニッポンから「あさぼらけ」へ…「明け方、ラジオから、うえちゃんの声が流れてくると、ああ、そろそろ今日も仕事が終わりだなぁ、って思うんですよ。今は、ラジオから聞こえてくる、うえちゃんの声が、ホッとする一日の締めくくりになっています」
ラジオネーム「すみちゃん」、今朝もお仕事、お疲れ様です!