ソフトクリームブームに貢献したのは、力道山の試合中継?

力道山の戦いを報じる街頭テレビに群がる視聴者たち(1955年)(力道山-Wikipediaより)

ソフトクリームが日本に初めて登場したのは、1951年(昭和26年)7月3日。東京・明治神宮外苑で行われた進駐軍主催のカーニバルの模擬店で、来場者の日本人に、コーンに載ったソフトクリームが販売されました。

この当時、アメリカでソフトクリームが流行している! という情報をキャッチされた方がいます。ソフトクリームの総合メーカー『日世』の創業者、田中譲治さんです。

田中さんは『ソフトクリーム』という名前を考えた方でもあります。田中さんは「いずれ日本でもソフトクリームが人気商品になるはず!」と、アメリカからソフトクリームのフリーザー(冷凍装置)を10台、輸入することに成功しました。

そして、大阪の喫茶パーラーでソフトクリームを披露したところ、とても好評で、その後はデパートの食堂や有名レストラン、喫茶店でも販売されるようになりました。

1953年(昭和28年)、テレビの放送が始まりました。特にプロレスラーの力道山さんの試合中継では、たくさんの人が街頭や、お店にあるテレビの前に集まりました。東京・下町の蕎麦屋さんにもプロレス中継を見にお客さんが来ましたが、放送が夜8時からだったので、皆、夕食を済まされていて、蕎麦を食べなかったそうです。

そこでソフトクリームを売り出したところ、これが飛ぶように売れたそうです。これが“第一次ソフトクリームブーム”となりました。

スズキ・ハッピーモーニング 鈴木杏樹のいってらっしゃい

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街裏ぴんく R-1優勝の裏に笑福亭鶴瓶の言葉「ベタもできるようにしときや」

笑福亭鶴瓶が5月12日、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』に出演、『R-1グランプリ2024』(関西テレビ/フジテレビ系)で優勝したピン芸人・街裏ぴんくにアドバイスを送った。

笑福亭鶴瓶、街裏ぴんく

2017年ごろから交流があり、街裏ぴんくの“嘘漫談”を気に入っている鶴瓶。ここ数年は「会わん方がいいかな」と思い共演はしていなかったが、R-1優勝をきっかけにまた番組で共演できたことを喜んでいた。

「鶴瓶さんは恩人です」と語る街裏ぴんくは、鶴瓶からかけられた言葉で印象に残っているものが数多くあるという。

その一つが「ベタもできるようにしときや」。

メールで年始の挨拶をした時に鶴瓶さんから返ってきた一言で、これを見た街裏ぴんくはハッとした。以前『桃色つるべ』(関西テレビ)に出演した際に漫談を披露した街裏ぴんく。ももいろクローバーZとは初対面ではあるが、鶴瓶にも“こんなネタあるんですよ!”と見てもらいたい一心で劇場でもあまり披露していないネタを選んだという。

「変にかかりすぎて、全然だったんですよ。“いやおもろいネタあるやん”と(鶴瓶)師匠が言ってくれて」

鶴瓶が以前から気に入っているという“アンパンマンのネタ”をももクロに見せたらと提案してもらい、改めて披露したネタはしっかりと笑いをとったという。

笑福亭鶴瓶、街裏ぴんく

その経験から、初見の人がいる時のネタの選び方などの意識を学んだ街裏ぴんく。街裏ぴんくの中での“ベタ”とは“広く伝えること”だと考え、それが試せる場としてR-1の存在があったという。鶴瓶さんから言われた「ベタもできるようにしときや」という言葉で意識が変わり、今回の優勝に繋がったと語った。

鶴瓶は「サービス精神でもあり、俺への優しさでもあり」とその気持ちを汲みつつも、初見の人を中心に考えた方が良いとアドバイス。

笑福亭鶴瓶、街裏ぴんく、上柳昌彦

ラジオで話す内容についても「なんべんコスってもええねん。初めての人多いねんもん」と語り、これからR-1優勝を機に、初めて街裏ぴんくのことを知る機会が増えた今「絶対ウケなあかん」と鼓舞した。

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