音楽プロデューサー松尾潔・曙が活躍した「平成の大相撲ブーム」語る

4月14日に大相撲初の外国人横綱、曙太郎さんの葬儀が営まれた。相撲ファンでもある音楽プロデューサー・松尾潔さんが、翌15日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、曙と若貴兄弟が牽引した平成の大相撲ブームを振り返った。

平成の大相撲ブームを牽引した“アイドル”

4月14日にしめやかに葬儀が行われた曙太郎さん。今日は外国人初の横綱だった彼の活躍ぶりを振り返ってみたいと思います。

僕も葬儀に参列して、久しぶりに若乃花(花田虎上)さんが話しているところを見ました。若乃花、貴乃花の兄弟横綱、そして曙の3人はライバルでしたよね。その中でも曙と貴乃花は2強とされていて、「曙貴時代」という呼び方もありました。この3力士はみんな1988年初土俵の同期です。

もうそれ自体が昔話みたいになっていますが、平成の大相撲ブーム、特にこの3力士は今となっては信じられないぐらいのアイドルみたいな扱いでした。

異文化に接することの難しさ

今は外国人力士といえばモンゴル出身者が筆頭という感じになっています。朝青龍、白鵬、鶴竜、日馬富士、照ノ富士と、横綱をどんどん輩出しています。

一方で、まだ記憶に新しいのは、先月引退した22歳の北青鵬。暴力が日常化していたとされ今年2月に引退勧告されました。親方の宮城野親方(元白鵬)の責任問題というところまでいって、改めて異文化に接することの難しさを、受け入れる側の国の我々も感じています。

パスポートを隠された!?

曙さんは外国人力士初の横綱ですから、永遠に歴史に刻まれるわけですが、その彼の前にも歴史があったということも改めて振り返ってみたいと思います。その筆頭はなんといっても、高見山。曙の師匠にあたる人ですね。

僕は一度だけ、高見山さんと食事を一緒にしたことがあるんですが、「実家があるハワイに逃げ帰れないように、当時の親方がパスポートを預かっていた」と笑って話していました。これ、今の時代だとコンプライアンス的にあり得ないですよね。

「横綱の品格」

そういう時代を経て、その次は小錦。彼は横綱がもう目の前まできていましたが、当時マスコミでは「相撲協会が外国人横綱の誕生を快く思ってないんじゃないか」といった報道が流されていました。

たしかに、日本人力士だったら横綱に昇進していたのではないかという成績を収めても、なかなか昇進できなかったように、素人の目には見えましたね。僕だけじゃなく、当時釈然としない思いが、相撲を見ていた人にはあったんじゃないかと思います。

そのときによく「横綱の品格」という言葉が使われていました。「土俵上での振る舞いが、日本で国技と呼ばれることも多いこの相撲にそぐわないんじゃないか」と、小錦の場合はよく言われていました。

「強さは小錦、心は高見山」

その後に出てきた曙は当時「強さは小錦、心は高見山」という呼ばれ方をしていました。これ、随分と相撲協会にとって都合のいい言い方です。言い出したのは協会ではなく、当時のマスコミが作ったんですけど、これって今の時代に聞くと、不適切極まりないという感じがします。「個の人格を何だと思っているんだ?」と言いたくもなります。

アメリカ・メジャーリーグで初めて活躍したアフリカ系の選手、ジャッキー・ロビンソンになぞらえる方もいますが、パイオニアゆえの苦しみとか葛藤があったと思います。

引退後の3横綱

人生というものは短いようでそこそこ長いものです。特に相撲は20代の頃から周りの人が深いお辞儀をするような環境です。そして、引退した後のキャリアもまた、我々はずっと見ています。

江戸時代と違って、引退後の生活もメディアがずっと追っかけていますから、我々は小錦のその後も見ているし、曙のその後も見ているし、同じように若乃花のその後、貴乃花のその後だって知っているわけですよね。

先ほど3横綱の時代があったって言いましたが、この3人は誰も相撲協会に残らなかった。曙さんは格闘技に転向し、若乃花さんはタレント活動やアメリカンフットボールにチャレンジしたときもありました。

貴乃花さんだけはストイックなイメージで、相撲の道で最年少の理事になりましたが、伝え聞くところによると、年功序列が支配的な協会で浮いてしまいました。おまけに、後ろ立てだった元北の湖が亡くなって、居場所を失ってしまったと言われています。

3人それぞれの生き様は、横綱を取ったところからの先が長い、ということを教えてくれているようです。

最高のライバル

曙さんの逝去に際し、平成の盛り上がったころの相撲界を久しぶりにじっくり思い出して、改めて曙と貴乃花はいいライバル関係だったと思いました。

2人の対戦を動画で見直してみました。2人は現役のときに42回、本場所でぶつかっていて、その対戦成績はというと、21勝21敗なんですよ。もう完全にガチライバルですよ。本当にすごい時代があったんだなと思います。最初は曙が先行してたんですが、年下の貴乃花がどんどん体も大きくなって力もつけてきて、最終的には五分になりました。

もうひとつ、相撲ファンの間では有名な話ですが、曙は「もう引退か」と言われた後にも、頑張って縄跳びとかをして体を鍛え、優勝を二つ積み重ねたんです。こうした記憶とともに、今の相撲界に新しい未来があることを、僕は楽しみにしています。

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、橋本由紀、松尾潔
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※放送情報は変更となる場合があります。

幼少期の“愛読書”は『家庭の医学』!? 作家・小川洋子「人間に対する興味のスタートでした」

フリーアナウンサーの唐橋ユミがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「NOEVIR Color of Life」(毎週土曜9:00~9:30)。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。各界を代表して活躍する女性ゲストが、自らの言葉でメッセージを伝えます。

今回の放送ゲストは、作家・小川洋子さんです。読書の原点や、社会人生活を経て得た視点などについて語ってくれました。


小川洋子さん



小川さんは岡山市生まれ、早稲田大学文学部卒。1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞、2004年「博士の愛した数式」で読売文学賞、本屋大賞を受賞するなど、数多くの小説・エッセイを執筆しています。

◆「家庭の医学」で人間の神秘に気づいた

唐橋:最初の読書体験が「家庭の医学」だったとお聞きしました。本当ですか?

小川:(笑)。我が家は両親ともにあまり本を読む家ではなく、家に文学書がなくて。「お菓子の焼き方」や「熱帯魚の飼い方」「家庭の医学」などしかなかったんです。仕方なく「家庭の医学」のページをめくりますと、いろいろと人体の不思議が載っていて、「人間とはなんて不思議な生き物なのだろう!」と。人間の内側には目には見えない神秘的な世界が隠れているのか……というのが、人間に対する興味のスタートでした。

唐橋:だからこそ、本のなかに身体の一部が強烈に残る描写があるんですね。

小川:そうですね。私も話していて自分で気が付きましたけど、確かに「家庭の医学」から事が始まっていたかもしれません(笑)。

唐橋:理解がどこまでできるかはわかりませんが、確かに子どもにとっては何時間でも読めるものですよね。

小川:児童文学も好きでしたが、まったく感情が入っていない植物図鑑や動物図鑑の説明文の、客観的な記述がとても想像力をかき立ててくれました。作家としても、図鑑的な文章と言うのでしょうか。書いている本人の主張とか、「私ってこんないい文章を書けるんだ」という自己顕示欲を消した、本来持っている書き方をそのまま差し出せたらな、と思って書いています。

唐橋:家に本があまりなかったということですが、本屋さんや図書館に行かれていたのですか?

小川:学校の図書室が一番好きな、心落ち着く空間でした。あまり友達がたくさんいるタイプではなかったのですが、図書室って1人でいて、じっと黙っていても変じゃないですよね。そういう自分を受け入れてくれる場所が図書室でした。

唐橋:図鑑のほかに、何か好きな作品はありましたか?

小川:小学校の図書館の図書カウンターのそばに、くるくる回る本棚があったんです。そこはすべて岩波少年文庫の棚で、それを「全部読みたい!」と思っていました。エーリッヒ・ケストナーとかフィリッパ・ピアスとか、岩波少年文庫にはずいぶんお世話になりましたね。今思い出しても、胸がキュンとするような作品と出会いました。

唐橋:「いつも岩波の本を借りている子だ」って、図書室の人も覚えているでしょうね。

小川:図書室の先生がストーブの上でパンを焼いて、半分分けてくれたこともありました(笑)。

唐橋:本以外で夢中になっていたことはありますか?

小川:1人で静かに本を読んでいるかと思えば、けっこうおてんばなところもあって。弟がいて、近所に年上の男の子のいとこが2人いたので、いつも男の子と一緒に泥だらけになっていました。家の裏の川に何度落ちたことかってくらい、身体を動かすのも好きでした。

唐橋:本も読みながら、ちょっとやんちゃなところもあったのですね。

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作家・小川洋子 社会人生活で得た“視点”「小説を書くためには、自分の中に色々なものを溜め込んでおかないと」

唐橋:小川さんは大学卒業後、川崎医科大学中央教員秘書室に就職されたのですね。

小川:そうですね、よく秘書をやれたなと思います(笑)。お給料をもらいながら、世の中の常識を教えていただいた時期でした。コピーの取り方から電話の受け答え、自分は社会人として本当に何も知らない、なんてダメな人間なんだ……ということを教えていただきました。自分の人生には必要なことでした。

唐橋:そこで気づかされたのですね。

小川:小説を書くというのは、どうしても1人で完結してしまうので、みんなに協力してもらったり先輩に意見を伺ったり、医学部の先生方に、どう満足していただくかを考えたり。他者と関わることも必要な体験でした。やはり就職して社会に出て、だんだん視野を広げていく。小説を書くためには、自分のなかにいろいろなものを溜め込んでおかないと。自分がどれだけ人間として想像力を働かせることができるかどうか、それはいろいろな人と関わって蓄えておかないと、(小説は)書けないですね。

唐橋:お仕事をしながらも、ずっと筆は止めることなく小説は書かれていたのですか?

小川:それだけが楽しみでしたね。先輩に怒られてしゅんとして、トボトボ家に帰っても、小説の続きを書く。それがどんなに下手くそな小説であっても、「ようやく自分の場所に戻って来られたな」という感じでした。

3月のマンスリーゲストは庄野真代さんです。

<番組概要>
番組名:NOEVIR Color of Life
放送日時:毎週土曜 9:00~9:30
パーソナリティ:唐橋ユミ
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/color/

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