財津和夫、10歳の頃からFENにハマってアメリカンポップスを聞きまくっていた青少年時代

TULIP・財津和夫が、時には若い頃からの懐かしい曲の思い出話を語るRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。3月2日の放送では、ティーンエージの頃から聞いていた洋楽の思い出を改めて紐解きます。

クリスマスの思い出はキラキラ光る包装紙のお菓子

昨年10月から日本各地で始まったソロコンソートも8カ所での公演が終了しました。8月の福岡公演までは残り15公演という事で、今回の放送では、改めてコンサートタイトル「忘れられない歌」にちなんだ話をお送りします。

下田「ソロコンサートのタイトルにされている『忘れられない歌』、これはアメリカンポップスがラジオから流れてきた頃の歌でしょうか?」
財津「そうなんです。小学生の高学年から高校2年生ぐらいまでかな、その頃聴いた曲は沁み込んで身体の一部になってしまって。今回(のコンサートでは)その時代の歌をカバーさせて頂きました」
という事で、突然ですが1960年のビルボード年間シングルトップ10のリストを見ながら、知っている曲がどの程度あるのかチェックタイムに突入です。
1位:夏の日の恋 〇
2位:浮気は止めなよ ✕
3位:キャシーズ・クラウン ✕
4位:悲しきインディアン 〇
5位:ティーン・エンジェル ✕
6位:イッツ・ナウ・オア・ネヴァー 〇
7位:ミッチと歌おう ?
…10位まで3曲を残したところで、とりあえず確認作業はストップします。

下田「意外と知らない曲多いですね」
財津「この頃日本に入ってきた曲は膨大な数ですよ、(日本で)紹介されなかったり、ヒットしなかった曲もあると思うんです」
下田「確かに」
財津「日本でヒットしないと知らないじゃないですか」
下田「そうですね。当時はどんなアーティストが好きだったんですか」
財津「いっぱいいます…ビーチボーイズも好きだったし、ボールとポーラの『ヘイ・ポーラ』という曲は大ヒットしました」
下田「私でもわかります」
財津「本当に? 日本人にぴったりの、男と女が掛け合いで歌ってね」
ここで、なぜか『昭和枯れすすき』を口ずさむ財津。
財津「好きな人達イッパイいますけど、急に思い出せない…デル・シャノンの『悲しき街角』、これも大ヒットしました」
下田アナはまだ生まれてない1961年の曲なんですが、今度は二人して『悲しき街角』のハミングで掛け合います。

下田「たくさんの曲、それは子供の頃にラジオで聞いていらっしゃったという事でしょうか」
財津「福岡はFENってあったでしょう。米軍基地が放送していて、ラジオつけるとガンガン(洋楽が)流れてましたよね。僕が小さい頃は終戦直後みたいなもんですから、アメリカの文化が入ってきて、“アメリカ万斉”の時代でしたから」
下田「憧れも強かったんですか」
財津「そうですよ。クリスマスっていうと、日本人には全く馴染みのないあの雰囲気…家族みんなが集まってチョコレートやアイスクリーム食べたり、キラキラ光る包装紙のお菓子を食べて…今でも、あの光の感じ、光沢を見ると美味しそうだなって思っちゃいます」
まさに、ギブミー・チョコレートの時代。以前の放送でも、駐留米軍基地でのクリスマスイベントの思い出を語って頂きました。
下田「豊かさの象徴でした。そして音楽もたくさん素晴らしいものが日本に来て、それがTULIPに昇華されたと思うんです」
福岡のFENは板付放送とも称されていましたが、板付飛行場の大部分が日本に返還された1972年(昭和47年)にFEN福岡も閉局されました。空港の名称も福岡空港に変わりましたが、昭和が終わる頃までは板付空港と呼ぶ人が多かったように思います。そして、TULIPの『魔法の黄色い靴』も1972年に発売されました。

今日の一曲は、財津自身のチョイスによるドリス・デイ『ケセラセラ』。1956年(昭和31年)に発売されています。日本語のカバーバージョンも競作によって大ヒット。ヒッチコック監督のスリラー映画『知りすぎていた男』の主題歌、主演女優もドリス・デイ本人でした。

ステージでは姿勢が良くても家の中では「くの字」

2月19日が77歳の誕生日だった財津。番組宛てにも、たくさんのバースデーコールのお便りが届きました。
財津「ありがとうございます。身体はそんな強くないんですけど、なんかこうズルズル生きてます。筋肉はないけど、粘着力があるのかもしれません」
下田「姿勢がとっても良いわ」
財津「良いですか、おや?」
下田「(姿勢が悪いと)だんだん肩が内側に入って曲がったり、背が曲がったり腰を曲がったりするじゃないですか」
財津「それはひょっとしたら人の前に出た時に、自然と意識してるのかも。ステージで1曲目の前に、ちゃんと真っすぐ姿勢作ってから出よう、と思いますので。でも一人でテレビ見ている時は、本当に『くの字』になってますよ。それを戻すのが大変。『Lの字』になっても、『Iの字』にはなりませんね」

次回3月9日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
今回に続き、ソロコンサートのタイトル「忘れられない歌」にちなんだお話をお送りします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
番組ホームページ

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※該当回の聴取期間は終了しました。

ニッポン放送ショウアップナイターに新戦力が加入! 馬野雅行アナウンサーが4月9日(水)DeNA×巨人戦でデビュー!

放送開始から59年目を迎えたニッポン放送の看板プロ野球中継番組「ニッポン放送ショウアップナイター」に新戦力が加わることになった。4月9日(水)の「DeNA×巨人」中継にて、元・毎日放送の馬野雅行アナウンサーがショウアップナイター実況デビューすることが決定した。

馬野雅行アナウンサー

東京都出身の馬野雅行アナウンサーは今年の7月12日で60歳を迎える。1989年に大阪・毎日放送に入社。以降、スポーツ中継や報道番組など幅広く活躍し、特にプロ野球中継ではおひざ元の阪神タイガース戦を中心に実況を担当してきた。3月31日をもって毎日放送を退社し、フリーアナウンサーとしての活動をスタートさせた。

中学2年生の頃『ニッポン放送ショウアップナイター』の実況を担当していた深澤弘アナウンサーの実況を聴いて、アナウンサーの道を志したという馬野アナウンサー。憧れだった『ニッポン放送ショウアップナイター』のアナウンサー陣に仲間入りし、早くも4月9日(水)の「DeNA×巨人」で実況デビューすることが決定した。

この日の解説は長年ニッポン放送ショウアップナイターの解説を務めている大矢明彦氏。優しくも鋭い目線で解説する大矢氏とどんなハーモニーを奏でるのか。馬野アナウンサーのデビュー戦に注目していただきたい。

■馬野アナウンサー 意気込みコメント

8年前、ショウアップナイターのレジェンド 故・深澤弘さんに「俺は59歳の時が1番上手かった。馬野くんはこれからだな!」と言われました。その59歳の今年、2度目のデビューを迎えます。実況メンバーの中ではまだまだ若手、わかりやすくて聴きやすい中継を目指します。

■馬野雅行アナウンサー プロフィール

1965年7月12日生まれ 東京都出身。1989年、毎日放送 入社。甲子園をメインに阪神戦の実況を数多く担当、36年間の関西での実況生活中、阪神の優勝は3回あったが、自身の優勝実況は未だ経験なし。趣味は鉄道情報収集での「鉄分」補給。

【ニッポン放送ショウアップナイター DeNA×巨人】
■2025年4月9日(水) 17時50分~
解説:大矢明彦 実況:馬野雅行
※試合終了まで完全実況生中継
■X(旧Twitter):@showup1242
■ハッシュタグ:#ショウアップナイター
■メールアドレス:89@1242.com
■ホームページ:https://baseballking.jp/showup

 

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