ガザでのルポを書き残した記者の死…初めて見る新聞の「異様な見出し」

RKBラジオの番組『田畑竜介Grooooow Up』の火曜日午前8時台のコーナー『神戸金史のBrush Up』は、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長がその日の朝刊を題材に話題を展開している。3月25日の放送では、ガザ侵攻再開を伝える朝日新聞の衝撃的な紙面を取り上げた。
「朝日」朝刊の紙面に驚く
きょう(3月25日)の朝日新聞は、1面トップにガザへの攻撃の現地ルポが掲載されています。「停戦が終わった 信じたくなかった」「マンスール通信員 報告」と見出しにあります。
ムハンマド・マンスールさんは、朝日新聞と契約を結んだ現地の通信員です。「マンスール通信員 報告」の見出しのすぐ横に、同じサイズの見出しがもう一つあります。「マンスール通信員 死亡情報」です。 記事は、1面と8面(国際面)で大きく展開しています。現地ガザの住民の立場から、停戦が終わって戦争が再開されたことや、被害に遭っている状況を報告してきた記者が亡くなったという情報が入ってきた、というのです。
私は小学校5年生の頃からずっと新聞を読んできましたが、このような記事は記憶にありません。おそらく初めて見たと思います。「一体これは……」と思いながら読みましたが、非常に切実な記事です。
「戦闘再開の瞬間から、ガザの人たちは何を感じ、どう動いたか。ムハンマド・マンスール通信員が報告する」という書き出しで始まります。「家族とテントに住んでいる」こと。「18日午前2時過ぎ、連続した爆撃音が鳴り響き、飛び起きた」こと。「近くで寝ていたはずの家族の、恐怖でゆがんだ顔が見えた」こと。「何が起こったんだ?」と手当たり次第に電話をかけたが「わからない!」ということ。
「でも、私は知っている」とマンスールさんは書いています。「イスラエル軍が攻撃を始めたに決まっているじゃないか」。友人3人も同じようにわかっていたと後に打ち明けたそうですが、「信じたくなかっただけだ」と。電話でやり取りをしているうちに攻撃を再開したと報道で知ったそうです。
現地ルポを書いた翌日に死亡
1面から国際面に記事は続いています。国連の関係機関が運営する学校の敷地内に逃げたこと。とはいえ、学校も安全だという保証はありません。「『すぐ終わるし、ここは大丈夫だよ』。涙を浮かべている親族の子どもの手を握りながらそう話す」。しかし、どこが安全かなんて誰にもわかりません。
そして、23日の午後9時ごろ。南部で唯一機能しているハンユニス(地名)のナセル病院近くのテントの中で、他の記者仲間2人と話をしていた時、「突然視界が赤く光った。私たちは地面に倒れた」と言います。
「病院を攻撃した瞬間だった。爆風でミサイルの金属片などが私たちがいたテント周辺に降り注いだ」
病院の医師の1人は、「イスラエル軍は、ガザの人たちに安全なところなんてないんだ、病院もだ、と私たちを脅しているのだと思う。君ら記者も含めて」と語ったそうです。
物資の搬入も止まっているので、「私の一日は攻撃を受けるのを避けながら家族とともに飲料水や食料を集めることでほとんど終わってしまう」とマンスールさんは日常のことを書き、そして――。
「戦闘が一時的に止まったとき、ガザで今後どう生きていくか悩んだ。戦闘が再び始まり、今日と明日のことに悩む。私たちの『日常』がまた始まった」
これが日常なのだと書き、署名がついています。「ハンユニス=ムハンマド・マンスール」。23日午後9時ごろのことを書いた記事が掲載されており、1面の死亡情報の記事には、「24日、ガザで死亡したとみられる」とあります。このような紙面はあまり見たことがありません。
記事を見ながら、会ったこともないマンスールさんに深く同情してしまいました。
1人の死が「大したことない」わけではない
私たちメディアは、戦争・災害・事故・事件などで、「何人が死亡」と数字でニュースの評価をしてしまいがちですが、1人が亡くなった交通事故でも、同じように悲しむ人たち、家族がいます。大災害では何万人も犠牲者がいるから、大変なことではありますが、何万人もいることがすごくて、1人が大したことない、というわけではありません。
常に考えなければいけないことですが、どこかで日々「遠くの話」と思ってしまう自分がいて、一方で会ったこともないマンスール通信員の「死亡情報」にショックを受けている自分がいます。日々のニュースを見ながら、このようなことを感じていないのではないかと考えさせられました。
非常に衝撃的な紙面なので、きょうはコンビニでこの紙面を紙として買った方がいいと思います。マンスールさんが亡くなったことに対し、朝日新聞が非常につらい思いを抱いていることが紙面上の扱いからも感じられます。
沖縄戦開始からあすで80年
朝日新聞を見る前に、もともと話をしようと思っていた記事は西日本新聞のものでした。80年前のあす(3月26日)は、沖縄・慶良間諸島に米軍が侵攻した日です。そこでも大きな戦争が始まり、1人1人が亡くなっていきました。
戦争や災害を伝えるとき、その感覚を持っていなければ簡単に是非を問う話にしてしまいがちですが、1人1人が大変な状況に陥った、ということをよく考えなければいけません。
けさの朝刊を見て、粛然とした気持ちになりました。非日常が日常になってしまっているこの悲惨さを、私たちは知っておかなければいけません。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。学生時代は日本史学を専攻(社会思想史、ファシズム史など)。毎日新聞入社直後に雲仙噴火災害に遭遇。東京社会部勤務を経てRKBに転職。やまゆり園事件やヘイトスピーチを題材にしたドキュメンタリー映画『リリアンの揺りかご』(2024年)は各種プラットフォームでレンタル視聴可能。最新作『一緒に住んだら、もう家族~「子どもの村」の一軒家~』(2025年、ラジオ)はポッドキャストで無料公開中。
※放送情報は変更となる場合があります。