企業の大幅な賃上げは「働き方の多様化の第一歩」飯田泰之が解説

明治大学・飯田泰之教授

働き方が見直される中、「ユニクロの国内正社員の年収を最大4割アップ」、このニュースを見聞きした時、あなたはどう思っただろうか? 明治大学教授でエコノミストの飯田泰之さんは、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で「働き方の多様化を進める第一歩」という見解を示した。

 

飯田泰之さん(以下、飯田):最大4割アップっていうのはインパクトありました。インフレと人手不足を背景に、各企業で賃上げが相次いでいます。例えば、キヤノンも一律で7000円の引き上げ、ノジマやセコムも臨時でのベースアップを行っています。九州だと、ジャパネットホールディングスも4月から平均年収1割程上げるとのことですが、この流れの中で、やはりこの『4割増』というところで注目されました。

飯田:実際のところ、正社員、中でもユニクロのような小売店であれば、店長クラスで日本の給料というのは国際的に見ても特殊と言えるほど低いんです。ファーストリテイリングだと、国際的に展開しているので、海外の店長クラスの待遇に合わせるという意味が一つあります。もう一つは、もう既に“人材の取り合い”になっているということです。物価高が続くこのご時世、給料というのはやはり大きな魅力で、それによって人材を惹きつけなければなりません。日本でこれまで給料が上がらなかったのは、人が動かなかったからなんです。

飯田:「同じ会社に長く勤めるのが偉い」というルール、すなわち終身雇用の多くの部分は、たまたま日本が高度成長していて、たまたま景気が良くて、というのが続いて、その結果として同じ会社に長く勤めただけというケースが多いんです。そのため、終身雇用は良いこと、美徳だとされました。でも、この状況は変わってきていて、若年雇用の実態調査によると、35歳以下の5割、約半分が一度は離職を経験しているんです。比較的長期雇用が多いと言われていた大卒でも4割が離職を経験しています。大学生に向けてのアンケートでは、4割が将来は転職をすることを前提に、最初の会社としてどの会社がいいかな? というふうに考えて行動していることが分かっています。

田畑竜介アナウンサー(以下、田畑):転職が前提というのはどういう狙いなんですか?

飯田:日本の多くの企業はひとつの会社の中に長く勤めても、勝手に昇給・昇格させてくれるという状況ではなくなってきています。つまり、出世したり、もっと稼げるようになったりすることは、別の会社でもっと給料の良いポストに行くということになります。また、30歳ぐらいまでは東京にいたいけれども、結婚する時は実家の方にも入りたいなといった思いが出てきたとき、転職するということになりますよね。

飯田:同じ会社の中で希望を実現していくというよりは、転職を通じて稼ぎたい人、出世したい人、やりがいのある仕事をしたい人、ワークライフバランスを追求したい人は、自分自身の生き方や働き方を自分で選ぶという方向に向かっていると思います。となると、なんだかんだ「給料」は重要な要素ですから、これからはしっかりと給料を出してくれる会社というのにどうしても人が集まりがちになります。

田畑:採用する側としてはまずは待遇面を上げることが、魅力度アップに繋げられるってことですね。

飯田:だからこそ、大企業の相次ぐ賃上げの中で、地域の中小企業がどうやって行動すればいいかが鍵になります。もちろんしっかり賃上げをしていくというのも方法ですが、誰もが高い給料を求めているわけでもありません。働きやすさや労働時間の融通が利くという部分を給料と合わせて売りにしていく企業も今後出てくると思います。

飯田:長時間頑張って働いて、成果を評価されて給料が高いという仕事、かたや、自由が利くし、自宅から近いところで通いやすいけれど、給料もほどほどという働き方、この二つに徐々に徐々に分かれていきます。しかし、私はこれを「格差」と呼んでいいのかどうかは微妙だと考えます。むしろ人によって、望むものが違うということの表れなのかなと思うんです。まさに今起きている一部企業の大幅な賃上げは、その働き方の多様化の第一歩を踏み出した感じがします。

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田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、武田伊央、飯田泰之
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※放送情報は変更となる場合があります。

大阪から東京まで56日間の“長距離ハイキング”、忘れられないおにぎりの味

先日、大阪・関西万博が開幕しました。今回は、東京と大阪を結ぶ「東海自然歩道」のお話です。

東海自然歩道の起点(東京・高尾山)(写真提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本初の長距離自然歩道「東海自然歩道」を知っていますか? 郊外の自然を守るグリーンベルトとして、自然や歴史文化に親しみ、健康と安らぎを楽しむ場として、1969年(昭和44年)に当時の厚生省が構想を立ち上げました。東京の起点・高尾山から、神奈川、山梨、静岡、愛知、岐阜、三重、滋賀、奈良、京都、そして大阪の起点・箕面まで、11都府県を結ぶ自然歩道が開通したのは、1974年(昭和49年)のことでした。

東海自然歩道のルート。赤色は主線、黄色は複線(資料提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

自然と人を結ぶ「トレイル文化」を日本に根付かせようと活動しているのが「一般社団法人 トレイルブレイズ ハイキング研究所」、通称「トレ研」。所長で長距離ハイカーでもある長谷川晋さんにお話を伺いました。

「私たちはアメリカのトレイル文化を実際に歩き、体験し、学んできました。そこから着想を得て、日本の自然や地域性を楽しめる“長距離ハイキング”を広めたいと、2020年にこの組織を立ち上げました。歩く文化が根付き、育っていくことを目標に、活動を続けています」

昨年と今年、「トレ研」主催のイベント『つなぐ東海自然歩道』が、名古屋と大阪で開催され、会場には180人を超えるトレイルファンが集まりました。そのイベントに登壇し、実際に「東海自然歩道」を歩いたハイカーの山中二郎さんをご紹介します。

左:富士山を望み富士山を巡る、右:秋を感じながら三重県を歩く(写真提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

愛知県在住の山中さんは42歳。神社やお寺、文化財の建築・修理に携わる宮大工として活躍されています。山中さんは、大学を卒業後、会社に就職しましたが、子どもの頃から手先が器用で、物づくりが好きだったことから、いつか靴職人や革細工など手仕事に関わる仕事をしたいと考えていました。

「そんなに物づくりが好きなら、宮大工になれや」と声をかけてくれたのは、宮大工をしていた山中さんの兄でした。26歳のとき、山中さんは滋賀県の工務店に転職しますが、宮大工の修行は時代によって建築の工法が異なるため、覚えることが多く、扱う道具も多く、いろいろと苦労したそうです。現在は独立し、宮大工一筋に歩んできた山中さんがなぜ自然歩道を歩くようになったのか、こんな話がありました。

伊豆大島で生まれ育った山中二郎さんは、自然の中のキャンプやハイキングが大好き。さらに手先が器用なこともあり、アメリカから取り寄せた生地や素材で、ハンモックや寝袋を自分で作っていました。

左:苔むしたトレイルを行く、右:トレイル上は人気も少なく静かだった(©山中二郎)

「アメリカでは、キャンプ用品を自分で作る人が多いんですよ。それをテストしながら、ロングトレイルを楽しんでいる人がいることを知って、長距離ハイキングに興味を持ちました」

2022年、山中さんはアメリカの「コロラド・トレイル」、750キロを踏破。トレイル全線を一気に歩く「スルーハイキング」の魅力に、すっかり魅せられます。帰国後、以前から興味を持っていた1200キロの「東海自然歩道」をスルーハイキングしてみようと、2024年10月6日、大阪の起点・箕面から、東京・高尾山を目指して歩き始めました。

「リュックには、ハンモックや寝袋、着替え、あとは食料を詰めました。道に迷わないようにスマホに地図アプリを入れて、モバイルバッテリーも携帯しました。ロングトレイルの魅力は、自分のペースで歩けること。ルートから外れて、寄り道をしてもいいんです。私は仕事柄、京都や奈良で寺社仏閣巡りを楽しみました。映画『男はつらいよ』の寅さんになった気分で、風の吹くまま、気の向くまま、そんな風来坊のような旅でしたね」

自然歩道を外れて街に出て、食料の補給をしたり、バッテリーを充電したり、たまに温泉につかり、名物料理を食べたり、何もしない日もあったり。それもロングトレイルの魅力のひとつだと、山中さんは言います。

左:キャンプ場でひと息、右:林の中にハンモックを吊るして野宿(写真提供:山中二郎)

静岡を歩いていたある日のこと。人里が近く、野宿できる場所が見つからないまま、気がつけばすっかり夜に……。ルートから3キロほど離れた場所にキャンプ場を見つけましたが、すでに夜7時を過ぎており、管理人さんは帰った後でした。看板に書かれていた電話番号にかけ、「東海自然歩道を歩いているんです」。そう伝えると、「年に一人か二人くらい、うちのキャンプ場に来るよ。いいから、泊まっていって」と、快く受け入れてくれました。

翌朝、キャンプ場に現れた管理人さんが、山中さんを車で東海自然歩道のルートまで送ってくれました。そして別れ際に「これ、食べて行ってよ」そう言って手渡してくれたのは、おにぎりでした。

「あのおにぎりの味は、一生忘れられませんね」

東京・高尾山に着いたのは11月30日……、56日かけて歩いた山中二郎さん。人のぬくもりも、道しるべになっていました。“現代版・東海道五十三次”とも呼ばれる「東海自然歩道」を、あなたも歩いてみませんか?

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