バスケ「リアル流川」現役引退した桜井良太が登場!北の鉄人が今だから話せる秘話は…?

STVラジオ『北海道ライブ あさミミ』 
毎週月曜~金曜 5:50〜8:00

パーソナリティー:【月曜~水曜】 八幡淳 庭野 ほのか
           【木曜~金曜】 永井公彦 上田あや


今回の『北海道ピックアップ』のコーナーの後半にて
5月4日(土)に現役最終戦を迎えた
レバンガ北海道 桜井良太選手のインタビューをお送りいたしました!


メッセージにもお答えいただきました。
「現役終盤にはけがを抱ながらのシーズンでしたが、
  率直にプロ生活を終えての今の心境を教えてください。」

桜井:あのー、とても清々しい晴れやかな気持ちでいっぱいですね
   一点の曇りもない、悔いもない…気持ちです。
八幡:その清々しさはどこから来てるんですか?
桜井:いやもう、やり切った + もうできないっていうのが自分でもわかっているので、
八幡:それは体的に?
桜井:体的に、ですね。
八幡:はい
桜井:いや「まだ自分動けるのに、やりたかったな」とかも一切ないので
   むしろもう、「できないけど、やっちゃった」っていうところが
   自分の中では気持ちとしてあるので
八幡:あー、だから本当にやり切ったっていう気持ちなんですね
桜井:そうですね


そして、こんな裏話も・・・

八幡:これは(移籍は)折茂さんから、声をかけられたっていうのがきっかけですか?
桜井:それは違います。それはあの人の、噓です。
八幡:え!?(笑)真相は!?

なんと!
今まで言われていた折茂さんとのエピソードには真相があった!!

桜井:それは、僕が終わるとき(引退のとき)に言ってやりたいなって思ってたんで。
   だからこっからも先も言っていこうと思いますけどね、その質問を受けたときは。
八幡:なるほど!じゃあ、今日この「あさミミ」が初めて真相を!
桜井:そうですね。
八幡:言ってくれた!
桜井:はい。
八幡:絶対言ってやろうと!

この内容はぜひあなたも聴いて確かめてみてください!

現役生活19年…、北海道生活は17シーズンの
長い選手時代を思い語ってくださいました。

その他にも
北海道に来た理由は?
ファンに対する思いは?
会場インタビューでのお話
現役ラストマッチの時のお話

などなど…
ただ、これは前半にすぎません!
さらなる続きは明日5月14日(火)の 北海道ライブ あさミミ!にてお聞きください!!


STVラジオ『北海道ライブ あさミミ』(毎週月曜~金曜 5:50〜8:00)

北海道ライブ あさミミ!
放送局:STVラジオ
放送日時:毎週月曜~水曜 5時50分~8時00分
出演者:八幡 淳、庭野 ほのか
公式X

出演番組をラジコで聴く

※該当回の聴取期間は終了しました。

北海道ライブ あさミミ!
放送局:STVラジオ
放送日時:毎週月曜~水曜 5時50分~8時00分
出演者:八幡 淳、庭野 ほのか
公式X

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※該当回の聴取期間は終了しました。

みかんに魅せられた大学生、異郷の地で大挑戦「多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

暦の上では春になっても、まだまだ「こたつ」が恋しい時期です。こたつに入ると食べたくなるのが、やっぱり「みかん」。

ただ、どんな方がみかんを作っているのか、あまり知らない方も多いと思います。今回は、果物好きが高じてみかん農家になった、北国出身の若い男性のお話です。

赤山大吾さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

昔、東京と沼津の間を結ぶ電車を「湘南電車」と呼んでいた時代がありました。車両のオレンジと緑のカラーは「湘南色」、俗にみかん色とも云われてきました。今はだいぶ本数も減りましたが、東京駅のホームに、「沼津」と行先が表示されると、何となく、潮の香りと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくるような気分になります。

その静岡県沼津市・西浦地区は、駿河湾の最も奥まった所にあって、海越しの富士山を望むことが出来る、風光明媚なみかんの産地として知られています。看板品種は、寿という字に太郎と書いて、「寿太郎」。この「寿太郎」を、今シーズン初めて作り上げて、出荷した男性がいます。

赤山大吾さんは、2000年生まれの24歳。赤山さんは、北海道・札幌のご出身で、小さい頃から果物が大好きでした。土地柄、みかんはあまり出回らないため、りんごを2個、まるかじりするのが日課。残すのは、わずかに芯の部分だけでした。

赤山さんは新潟の大学に進学しましたが、コロナ禍のために授業はリモートが中心。学ぶ内容も想像していたものと違って、あまり納得がいきませんでした。悶々とした日々を送る中で、赤山さんはたまたま近所のスーパーで「沼津・西浦みかん 寿太郎」と、ラベルが貼られた袋を手に取ります。

『寿太郎? 沼津ってドコ?』

赤山さんは、そう不思議に思いながら、家に帰って、さっそく皮をむいて、みかんの小さな袋を一つ、口のなかに入れると、いままでにない食感に感激しました。

『甘い! でも、甘いだけじゃない、甘みと酸味のバランスが絶妙だ!』

赤山さんは、「寿太郎」を食べて、食べて、食べまくりました。そのおいしさに満たされるうちに、自分でもみかんを作りたい気持ちが芽生えます。

沼津市西浦地区のみかん山(画像提供:JAふじ伊豆)

赤山さんは、居ても立ってもいられずに、寿太郎を出荷している沼津のJAに、直接電話をかけました。

「あの……、みかん作りに興味があるんです。教えてもらうことは出来ますか?」

2022年2月、赤山さんは大学を休学して、沼津にみかん作りの研修にやって来ました。地元の農家の皆さんも、北海道出身の赤山さんの挑戦に驚いたといいます。

その初顔合わせ、農家の皆さんは赤山さんの手を見るなり、思わず目を見張りました。

『おお、彼は本物だ! これだけみかんが好きなら、きっとやってくれる!』

そう、赤山さんの手は、みかんをいっぱい食べた、あの黄色い手になっていたんです。赤山さんは、西浦地区でもとくにおいしいみかんを作ると定評のある、御年80歳の大ベテランの農家の方に付いて、みかん作りを学び始めました。

「いいか、農家というものは、人に言われてじゃなくて、自分から動かないとやれないぞ」

「みかんは手間をかければかけるほど、ちゃんと応えてくれる。手間を惜しむな」

赤山さんは、師匠がかけてくれる言葉を一つ一つ噛みしめながら、その背中を追いかけていきます。厳しい言葉の後には、夕飯のおかずをおすそ分けしてくれたり、地元の皆さんの人柄の温かさも、故郷を離れた赤山さんには大きな励みになりました。

赤山大吾さん

籍を置いていた大学にも退学届を出して、退路を断った赤山さんは、2年間の修業を経て、2024年1月、晴れて独立を果たします。高齢でみかん作りが難しくなった方のみかん山・およそ1.5ヘクタールを借り受けて、自分の力が試される時がやって来ました。

いざ作り始めてみると、農家はみかんを作っていればいいわけではなく、事務手続きや生産計画作り、害虫や猛暑対策、アルバイトの雇用などを、全部1人でこなします。

それでも去年は概ね天候に恵まれ、周りの皆さんのサポートにも支えられながら、およそ1万キロの「寿太郎」が無事に実って、収穫することが出来ました。その出来栄えに、赤山さんも手ごたえは十分! 早速、地元の方に食べてもらうと、「おいしい!」と、味に太鼓判を押してくれました。

自分で収穫したみかんが出荷されていく様子を見て、赤山さんは胸が高鳴りました。

『自分で作ったみかんが誰かの手に渡っていく。ようやく自分で稼ぐことが出来たんだ!』

でも、赤山さんに収穫の喜びに浸っている暇はありません。まだ、みかんの管理に甘い点があったこと。そして、この冬は、越冬しているカメムシが多いため、今年は天敵への抜かりない対策が求められそうなことなど、しっかり気を引き締めています。

「もっとおいしいと言ってもらいたい! 多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

その思いを胸に、赤山さんは2年目のみかん山に登ります。

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