新春恒例「箱根駅伝」radikoで大学三大駅伝中継を聴こう!

「学生三大駅伝」の一つ、新春スポーツの風物詩「第101回東京箱根間往復大学駅伝競走」(以下:箱根駅伝)が、2025年1月2日(火)・3日(水)に開催されます。文化放送とラジオ日本では、今回も実況中継を実施。radiko(ラジコ)で中継をお楽しみください。

「箱根駅伝」とは?

1920年創設、正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。関東学生陸上競技連盟(関東学連)主催、読売新聞社共催で行われる駅伝大会です。毎年1月2日・3日の2日間にわたって行われており、スポーツの日(旧・体育の日)に開催される「出雲駅伝(出雲全日本大学選抜駅伝競走)」、11月第1日曜に開催される「全日本大学駅伝(全日本大学駅伝対校選手権大会)」とともに、「大学三大駅伝」の一つに位置付けられています。

箱根駅伝では関東学連加盟校のうち、前年大会でシード権を獲得した大学10校と予選会を通過した大学10校の計20校に、関東学生連合チーム(オープン参加)を加えた21チームが出場します。総合10位以内に入賞したチームには、シード校として翌年の大会出場権が与えられます。

「 第101回箱根駅伝」出場校

今大会の出場校は以下の通りです。

シード校
青山学院大学、駒澤大学、城西大学、東洋大学、國學院大學、法政大学、早稲田大学、創価大学、帝京大学、大東文化大学

予選会通過校
立教大学、専修大学、山梨学院大学、日本体育大学、中央学院大学、中央大学、日本大学、東京国際大学、神奈川大学、順天堂大学

オープン参加
関東学生連合

箱根駅伝公式サイトはこちら

「箱根駅伝」コースの特徴

東京・読売新聞社前~箱根・芦ノ湖間を往路5区間(107.5km)、復路5区間(109.6km)の合計10区間(217.1km)に分け、選手たちがタスキをつなぎます。区間ごとの特徴を紹介します。

1区(21.3km):レースの流れを大きく左右する重要な区間でもあるため、チーム屈指のスピードランナーが登場し、慎重な駆け引きが続きます。勝負のポイントは、平坦で直線的なコースが長く続いたあとの17km過ぎの六郷橋です。

2区(23.km):距離が長く、中盤の13kmからは「権太坂」、ラスト3kmには上り下りの繰り返しが待ち受け、体力、精神力、勝負勘、全てが求められる。各校のエースといえども攻略が難しいと言われていて、記録的な「ゴボウ抜き」が見られるのも、この区間。

3区(21.4km):前半に約9kmの緩やかな下り坂が続く。街を抜けて11kmを過ぎ134号線に出ると、正面に富士山、左側に相模湾を臨む箱根駅伝の中で一番の景勝地へ。時として強い向かい風が選手の行く手を阻む。

4区(20.9km):平地区間では一番短いが、往路の終盤に向けて重要な区間。5区に良い位置でつなぐために、集団から遅れていても1人でペースを刻むことが要求される。93回大会からコースの延長によって、最後の約3kmで緩やかな上りをむかえることとなり、各校の戦術にも注目したい。

5区(20.8km):国道一号線最高点の標高約874mまでを一気に駆け上る20.8kmという距離だけではまったく予想のつかないコース。16.2kmの最高地点を過ぎると19km過ぎの箱根神社大鳥居まで、今度は一転して下ります。ここでの走りの切り替えがゴールタイムを左右する大きなポイントに。

6区(20.8km):最初の4kmを上ってから一気に下りに。カーブが急でスピードも速いため、コース取りが重要。足への負担も大きく、下りで飛ばしすぎると残り3kmが苦しく、ペース配分がカギとなる。朝の箱根山中は冷え込みが厳しく、思わぬ腹痛やけいれんに見舞われることも。

7区(21.3km):9キロ過ぎから小さなアップダウンが続き、ペースがつかみにくく走りにくいコースです。山おろしの風で冷え込み、太陽が高くなるにつれて正面からの陽射しが強くなるため、気温の変化が一番大きく、油断すると思わぬ失速が。

8区(21.4km):追い風が吹くと選手と追い風が同じスピードになって無風の中走ることとなり、体感温度がさらに上がって選手たちの体力を奪う。湘南新道に入ってからの、アップダウンを含む9kmにわたる上り坂が、上昇する気温とともにボディーブローのように選手を苦しめる。

9区(23.1km):優勝争い、シード権争いの大逆転の舞台となることもあり、鶴見中継所では幾多ものドラマが生まれます。各チームの最終目標に向けて攻めか抑えかの戦略が展開される。繰り上げスタート(1位から20分以上遅れた場合)を避けようとする選手の姿も見られる。

10区(23.0km):大歓声の声援を受けながら、中央通り、日本橋を抜け、仲間が待つフィニッシュへ。「ここまで、みんなが頑張ってきたのだから」という気負いと気温の上昇により、思わぬアクシデント、逆転劇が起こることも多い最終区間。シード権をめぐる争いは年々激しさを増している。

「箱根駅伝」今大会の見どころ

今季の学生三大駅伝における主役ともいえる國學院大學は、10月の出雲駅伝で5年ぶり2度目の優勝、11月の全日本大学駅伝で初優勝を決めており、三大駅伝最後の箱根駅伝では、初優勝と学生駅伝三冠がかかります。前回大会、2区で8人抜きの快走を見せたチームの大黒柱・平林清澄選手(4年)を筆頭に、選手層の厚さも増しています。

2年ぶりの王座奪還を目指す駒澤大学は、主将・篠原倖太朗選手(4年)や山川拓馬(3年)選手らがエントリー。桑田駿介選手ら1年生3人も入るなど、新戦力の台頭が目立ちます。出雲駅伝、全日本大学駅伝は欠場となった佐藤圭汰選手(3年)の復活も勝負のカギを握ります。

青山学院大学は、太田蒼生選手、黒田朝日選手、鶴川正也選手ら4年生メンバーが名を連ね、盤石の布陣です。前回大会を走ったメンバー7人がエントリーしており、原晋監督の発令による「あいたいね大作戦」で箱根連覇を狙います。

「箱根駅伝」中継番組

文化放送『文化放送新春スポーツスペシャル 第101回東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継』

文化放送新春スポーツスペシャル 第101回東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継
放送局:文化放送
放送日時:2025年1月2日 木曜日 7時30分~14時30分
番組ホームページ
公式X

※放送情報は変更となる場合があります。

文化放送新春スポーツスペシャル 第101回東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継
放送局:文化放送
放送日時:2025年1月3日 金曜日 7時30分~14時30分
番組ホームページ
公式X

※放送情報は変更となる場合があります。

ラジオ日本『ラジオ日本新春スポーツスペシャル第101回東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継』

ラジオ日本新春スポーツスペシャル第101回東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継
放送局:ラジオ日本
放送日時:2025年1月2日 木曜日 7時30分~14時25分
出演者:解説:只隈伸也(大東文化大学 陸上競技部元監督) ゲスト:山本唯翔(城西大学OB、SUBARU陸上競技部) 実況:矢田雄二郎(ラジオ日本アナウンサー)
番組ホームページ
公式X

出演番組をラジコで聴く

※放送情報は変更となる場合があります。

ラジオ日本新春スポーツスペシャル第101回東京箱根間往復大学駅伝競走実況中継
放送局:ラジオ日本
放送日時:2025年1月3日 金曜日 7時30分~14時30分
出演者:解説:只隈伸也(大東文化大学 陸上競技部元監督) ゲスト:志貴勇斗(青山学院大学OB、ヤクルト陸上競技部) 実況:木村季康(ラジオ日本)
番組ホームページ
公式X

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※放送情報は変更となる場合があります。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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