日本の都市型音楽シーンを賑わせてから30年「Free Soul」が起こしたムーヴメントに今こそ注目!
2023.03.07 up
コンパイラー人生30年の橋本徹(SUBURBIA)と尾上さとこが、Free Soulの魅力を紐解く
“Free Soul”が日本の都市型音楽シーンを賑わせてから30年。このムーヴメントに影響を受けた尾上さとこが、第一人者でありコンパイラーとして活動し続けてきた橋本徹さんとともに、「We ♡ Free Soul」と題してお送りします。
サバービア・ファクトリーを主宰する橋本徹さんは、編集者/選曲家/DJ/プロデューサーであり、渋谷の「カフェ・アプレミディ」「アプレミディ・セレソン」店主として、日本の都市カルチャーを牽引。2月22日には、コンパイラー人生30周年記念コンピレーション・アルバム『Blessing ~ SUBURBIA meets P-VINE "Free Soul x Cafe Apres-midi x Mellow Beats x Jazz Supreme"』をリリースしました。
そんな橋本さんを尾上さとこが渋谷に訪ねてお送りするのが、今回の特集プログラム。Free Soulシリーズが始まった当時の音楽シーンやまちの雰囲気、橋本さん自身の選曲や誌面作りに対するこだわりなど、たっぷりお話を伺いました。『Blessing』に収録されたFree Soulナンバーとともにオンエアします。
さらに、尾上さとこは渋谷のカフェ・アプレミディで開催された「橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生 30 周年記念コンピ『Blessing』リリース記念パーティー」に潜入! パーティーに出演した山下洋さんと松田“CHABE”岳二さんから、メッセージをいただきました。
日曜夕方の1時間、あなたも素敵なFree Soulの世界に浸ってください。
Whole Earth RADIO 「We ♡ Free Soul」
■放送:2023年3月12日(日)17:00-18:00
■出演:橋本徹(SUBURBIA)/松田“CHABE”岳二/山下洋/尾上さとこ(FM COCOLO:DJ)
※該当回の聴取期間は終了しました。
紙芝居を使って震災の記憶を語り継ぐ”語り部” 「震災前の浪江町には戻れませんが、新しい浪江町を作っていきたい」
2026.03.12 up
今週はニッポン放送防災ウィーク。各番組で防災企画をお送りしています。本記事では、紙芝居を使って震災の記憶を語り継ぐ「語り部」をご紹介します。
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」は、地震・津波・原発事故という複合災害の記録や教訓、復興への歩みを国内外に伝え、将来へ引き継ぐために、2020年に開館しました。この伝承館では、1日4回、各40分の「語り部講話」が行われています。震災の体験を語る「語り部」の方は、およそ40人。そのお一人が、浪江町の主婦で、『浪江まち物語つたえ隊』のメンバー、岡洋子さん(65歳)です。岡さんは「紙芝居」を使って「震災は終わっていない」と、記憶と教訓を風化させないよう、幅広い世代に呼びかけています。
福島市出身の岡さんが、浪江町の農家に嫁いできたのは、22歳の時…。震災前は「食味ランキングA」の評価がつくほど美味しい福島産のお米を作っていて、東京のお弁当屋さんにも卸していました。「養豚もやっていて、嫁いだ頃はよく豚に追いかけられましたよ。農家の仕事は大変でしたが、震災後、避難生活をして分かったんです。浪江町は豊かな所だったんだなぁって…」
東日本大震災が発生した日、岡さんは家族4人で宮城県にいました。夫が仙台で会議があり、その間、二人の娘とショッピングモールで買い物をしていたとき、もの凄い揺れに襲われます。『津波が来るから屋上に逃げろ!』の声に、必死に屋上へ避難すると、近くの川を逆流する津波が見えました。電話が繋がらなかった夫に、やっと連絡がとれ、会えたのが夜10時30分。高速道路や主要道路は通行止めで、山道を抜け、日付が変わった午前2時30分、浪江町に辿り着きました。自宅は屋根瓦が落ち、家の中はぐちゃぐちゃでした。余震が続き、町内はサイレンが鳴りっぱなし。
公民館には消防団の炊き出しの鍋がそのままで誰もいません。「どうしたんだろう…」そこへ「浪江は全滅だ!早く避難しろ!」と叫ぶ声がしました。しかし、老人介護施設に勤める長女が施設に行ったまま帰ってこない。娘を置いて避難はできません。しばらくして電話がかかってきます。「お母さん、逃げて! 私はもうダメかもしれない…」と泣き声でした。長女は施設のお年寄り100人を連れて、南相馬へ向かっている最中で、その途中、亡くなるお年寄りもいて、長女の体力も限界に達していました。大地震発生から4日後の3月15日、やっと長女と再会。家族4人で福島市へ避難することができました。
福島市では、廃屋寸前の空き家を借り、避難生活が始まります。一番つらかったのは『放射能が来た!』と指をさされた話を聞いたこと。冷たい視線を感じ、外に出られず、家の中でじっと過ごす日々が続きました。しかし、「こんなことで負けていられない。二人の娘を守らなくちゃ。ひどいことを言う人がいても、家に閉じこもるのはやめよう。だって浪江は素晴らしい町なんだから…」『私は浪江から来ました!』と胸を張って言おうと岡さんは決意しました。
震災から3年後の2014年6月。紙芝居でふるさとの記憶や思い出を語り継いでいこうと、町民有志で『浪江まち物語つたえ隊』が発足し、岡さんにも「紙芝居、一緒にやんねえか?」と声がかかります。この紙芝居は、「物」の支援から「心」の支援をしたいと、広島からボランティアで訪れていた、紙芝居作家・いくまさ鉄平さんが、町に伝わる民話や被災体験を聴いて、50作ほど制作してくれたものです。仮設住宅を訪ねて、昔話の紙芝居を披露すると、「いやぁ、懐かしいな」とみんなに笑顔がこぼれました。しかし震災の紙芝居は「子どもたちに見せないでほしい。フラッシュバックするから」と、拒まれたこともありました。
2017年、一部地域の避難指示が解除され、岡さんは6年ぶりに我が家に戻ると、そこは草木に覆われ、まるでジャングル。家の中はネズミやコウモリが棲みつき、イノシシやハクビシンに荒らされ、土足で入る我が家は、とても悲しかったと言います。住める状態ではなく、やむなく取り壊しになりますが、「これだけは残して!」と、岡さんが頼んだものがありました。それは、二人の娘の成長を刻んだ「背比べの柱」でした。現在、岡さんは、自宅の納屋を改装してカフェを開いています。お店の名前は、岡さんのカフェだから『オカフェ』。背比べの柱は、このお店の柱に残しました。こちらのカフェでも紙芝居をやっています。
現在、浪江町の人口は、2300人ほど。町に戻った人、戻らない人、中には浪江町に移住する人もいます。岡さんの二人の娘さんは結婚し、孫も生まれました。震災から15年が経ち、震災を知らない子どもたちも増えてきました。
「震災前の浪江町には戻れませんが、新しい浪江町を作っていきたい」その思いを胸に、岡さんは、震災の記憶を未来へつなぐ「語り部」を、これからも続けていきます。
*写真提供:東日本大震災 原子力災害伝承館
*「東日本大震災・原子力災害伝承館」の公式ホームページ
https://www.fipo.or.jp/lore/