松重 豊「星野 源にWord直してもらいながら…」新作ドラマの意外な成り立ち

俳優/監督の松重 豊が、俳優/アーティストののんとJ-WAVEで対談。ドラマ『おいしいのつくりかた』が生まれた経緯や、のんを起用した理由を語った。

松重が登場したのは、10月18日(日)放送のJ-WAVE『TOPPAN INNOVATION WORLD ERA』(第3週ナビゲーター:のん)の「FROM THE NEXT ERA」。さまざまなジャンルのイノベーターを迎え、トークセッションを繰り広げるコーナーだ。

番組は、Spotifyなどのポッドキャストでも聴くことができる。

・ポッドキャストページ

『おいしいのつくりかた』の脚本を星野 源とのロケ中に執筆

松重 豊は、10月3日(土)からPrime Videoで独占配信されているドラマ『おいしいのつくりかた』で、企画・プロデュース・脚本・監督を手がけている。また、同作にはナビゲーターののんも大沢加奈役で出演している。

『おいしいのつくりかた』 予告編|プライムビデオ

のん:この企画の立ち上げから松重さんが(手がけられたのでしょうか)?

松重:そうですね。『孤独のグルメ』っていうものをやってきて、「総決算として映画にしよう」っていうのも僕が言い出しましたし。

松重は映画の制作で、テレビシリーズと映画専門のスタッフによる混成チームを結成。『孤独のグルメ』を映画でひと区切りにするつもりだったが、興行収入が目標の10億円を超え、「辞めるきっかけを失ってしまって」と振り返った。

『劇映画 孤独のグルメ』本予告<主題歌:ザ・クロマニヨンズ「空腹と俺」>【2025年1月10日(金)公開】

松重:「機会があれば『孤独のグルメ』の次の作品を」と言われたんですけど、安易に“2(ツー)”をやるのは非常に難しいと僕自身、今までの経験から思っているんですよ。2をやるとなると相当、準備が必要だっていうので、その準備の時間をくださいと。

続編に向けたテストとして、自らシナリオを書き、実際に作品を作りたいとテレビ東京に掛け合った松重。その後、Amazonから「やりませんか」という話があり、それが今回のドラマにつながったという。

松重:それがまだ、今年の話なんですよ。今年、1月に星野 源くんとNHKでふたりでベラベラしゃべりながら音楽の話をする番組があったんです。それで石川県のほうにロケに行ったときに、星野くんとしゃべりながら部屋でシナリオをパラパラ書いていて。Wordがおかしくなったので、星野くんに直してもらいながら書き上げたのが今回のほぼほぼのストーリーなんですよ。

松重は、のんが演じる加奈はドラマ『おいしいのつくりかた』のキーパーソンだという。また、以前CMで共演した際ののんとの会話を振り返る。

松重:「のんちゃんと何か本当に作品やれたらいいね」とかって話をして、そこでちゃんとのんちゃんが「本当にそう思います」って言ってくれたあの目を僕は信じようと思って。

のん:本気でした(笑)。

松重:それで加奈ちゃんの役はのんちゃんにお願いしようって思った。それが今年の3月、4月くらいになるのかな。それで7月、8月で撮って、9月に納品で10月3日に配信、そういうスピーディーなスケジュールでしたね。

のん:じゃあ、私は第一希望だったんですね。

松重:はい。

のん:うれしい!

松重 豊の最新情報は公式サイトまで。

『TOPPAN INNOVATION WORLD ERA』は、「新しい時代」を築く“イノベーションの種”を探求するプログラム。ナビゲーターは、第1週 真鍋大度(Rhizomatiks)、第2週 森 星、第3週 のん、第4週 小橋賢児が週替わりで担当している。放送は毎週日曜23時から。
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山本耕史、芸歴50周年を振り返る。「やめたいとも続けたいとも思ったことがない」

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月21日の放送に俳優で歌手の山本耕史が出演した。今月、芸歴50周年を記念した『KOJI YAMAMOTO 50th Anniversary Concert』を開催する山本が、そのコンサート、これまでの芸能生活などについて語った。

山本耕史「(芸歴50年であることについて)赤ちゃんモデルみたいなことをしていました。そこを入れると50年になります。記憶があるのはもう少しあとです(10月31日で50歳)。割と2歳ぐらいのことは憶えているんです。ベッドに寝かせられて上からカメラを構えて照明を当てられ、『目をつぶって、寝たふりをして』。そう言われて撮っていただいたのは記憶にあります。母に話したら『あれ憶えているの?』と驚かれました」

大竹まこと「2歳はすごいな。芸能界を目指したのはなんで?」

山本「母も父も歌をやっていて。その流れでというか。兄も芸能をしていたので、気づいたときにはもうやっていた、という状況でした。抵抗を覚える前に始めていたので、やめたいとも続けたいとも思ったことがない。不思議な感じです」

大竹「学校で噂は立つよね。何かに出ていて、みたいな」

山本「小学校のころ、舞台の本番のために早退しないといけないことがあって。みんな『どこ行くの?』と。周りと違うことをしているんだな、というのは、その辺からなんとなくわかってきました。でも後半はみんな『きょうもなの? 行ってらっしゃい』という感じで。特別なことというよりは普通の生活の一部でした」

大竹「この間『わたしの知らない子どもたち』という映画を観て。子役がみんなうまいんだよ。驚くぐらい。そういうので勝っていこう、といった気持ちはなかった?」

山本「全然なかった。いまでも同じような気持ちは続いています」

水谷加奈「若いころは尖っていた、と伺っています

山本「尖っていたというか。まあ自分の意志はすごく見せていたと思います。違うものは違う、気持ち悪いものは気持ち悪い、ということを区別していたのかもしれません」

大竹「とんとん拍子に続いてきたのか。それとも仕事がなくなった時期もあるのか」

山本「すごく大きな母体となるところもたくさんあって。でも僕はずっと個人でやってきました。時代劇や舞台など、若い人たちがやりたがらない、と言ったら変ですけど。スキマ産業みたいなふうにやってきたんだと思います。同世代が学園ものに出ている中、僕は京都で時代劇に出ていたり、舞台に上がったり」

大竹「ほう」

山本「そうしていたら、いつからか舞台やっている人がフィーチャーされたり、時代劇のできる若者を探されたり、というときに『そういえばやってきたな』と。そこがいまにつながるきっかけになっているかもしれません」

大竹「今回(『KOJI YAMAMOTO 50th Anniversary Concert』)は何するんですか?」

山本「50周年ということで。35周年のときもやりましたけど、いままでの作品、ミュージカル、影響を受けたアーティストたちの曲でコンサートを。お芝居も考えたんですが、瞬間、その数分だけでお客さんを誘(いざな)える、という意味で、いろいろな曲を並べてコンサートにしたらいいのでは、と思って。50周年アニバーサリーコンサートを10月24日に大阪(Zepp Namba)、10月31日に東京(LINE CUBE SHIBUYA)で開催します」

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