藤井 風らの音楽プロデュース手がけるYaffleが語る、幼少期に憧れたアーティストは?

プロデューサー、アーティストのYaffleが「私のアイドル」をテーマに曲をセレクトした。

YaffleはJ-WAVEの番組『MOTORING MUSIC』の7月の選曲担当を務めることに。ここでは初回となる7月1日(金)のオンエア内容をテキストで紹介する。

自分を育ててくれたロック

藤井 風や iri、SIRUP、小袋成彬、Salyu、eill、adieuと多くのアーティストのプロデュースに加えて、みずからのアーティスト活動でもオランダ、スウェーデン、シンガポール、フランス、イタリア、アメリカと世界各地のアーティストをフィーチャーした作品を制作。ロサンゼルスでレコーディングした最新シングル『HEAD feat. Aston Fenly』をオンエアして同曲に関するエピソードや、自身のルーツを語った。
Yaffle:この曲はこの前ロサンゼルスに行ったときに、Aston Fenlyというシンガー、ラッパーと一緒に制作をしたんです。僕はもともと学生時代はロックばかり聴いていて。大学を卒業してから、もうちょっとエレクトロニカとかをやり出しました。そういう自分が育ててもらったジャンルに恩返しをすると言ったら大げさですけど、そういったジャンルを使ってなにか作りたいなという気がしていて。

「Astonの声も、自分をハードな方向に引っ張ってくれる声だった」と語るYaffle。Aston自身もグランジが好きなこともあり、「一番ハード目なこの曲が具合がいいということになって、最後まで仕上げることができました」と振り返る。

Yaffle:尺感だったり、サウンド面での残響の使い方だったりをうまく加減をしていくと、印象としてロックだけど受ける感覚は現代的に持っていけるのかなと思っていろいろやったんです。だけどまあ難しいですね、ロックが持つ時代性の“吸引力”がすごいので。その吸引力に、むしろ離れようとしてちょうどよかったぐらいの感覚がありました。

ブリットポップ・ブームからの1曲

Yaffleは自分の幼少期に憧れていた人、という意味合いで「私のアイドル」をテーマに選曲することに。90年代末から00年代にかけてのガレージロック・リバイバルに影響を受けたのだそう。

Yaffle: 80年代とかはメチャメチャ複雑なロックが流行っていましたけど、90年とか2000年頭はすごくシンプルなものが流行っていて。シンプルなものを作るというのは、どんどん引き算をしていくわけです。だけど引き算をしていくと、みんな同じみたいに聴こえちゃうのが問題で。そうなると頭からコンセプトを決めていかないといけない。たとえば10人に色がメチャクチャあるパレットで絵を描かせたらいろいろな違う絵ができると思うんですけど、白黒で描かせるとなるとけっこう似ちゃう人も多いと思うんです。そういう意味である種、白黒だけで絵を描くときにはコンセプトが重要。だからこのシーンは歌自体の内容もそうだけど、サウンド面でも「こういうコンセプトでいきます」みたいな話の曲が多かったような気がして好きでした。

YaffleはBlurの『This is a Low』をオンエアした。

Yaffle:1994年のアルバム『Parklife』からですね。僕もリアルタイムじゃなかったんですけど、は90年代序盤にブリットポップ・ブームというのがあって。OasisとBlurという二大巨頭がいて、「どっちがより売り上げるバンドなんだ」とメディアがやんやと煽ってシングル同時発売もやったりして。そこで2個のバンドだけじゃなく、フォローしているような周辺のバンドも含めてブリットポップ・ブームが起こりました。Oasisは労働者階級の代表で、Blurは中産階級の代表ということをよく言うんです。Oasisは見た目がストリートっぽいというか、本当にその辺にいる兄ちゃんみたいな格好をしていた。だけどBlurはもうちょっと洒脱でおしゃれで、ボーカルのDamon Albarnはすごくイケメンなんですよね。ほかのメンバーはかわいい系だったので、そこで差別化があって。僕はOasisのほうが「本当に歌」って感じがします。ロックサウンドの上に歌が乗っかる感じで、Blurのほうがもうちょっと、いろいろチャレンジしているというか。中産階級ならではですよね。よくも悪くもですけど生活に余裕がある人ほど、音楽も工夫が入る。そういうサウンドコンセプトに僕は興味があったので、OasisもBlurもすごい好きでした。

ピアノの試し弾きで弾くほどフレーズが好きな曲

続いてYaffleはRadioheadの2007年リリースのアルバム『In Rainbows』からの1曲『Videotape』をピックアップして、選曲理由を語った。

Yaffle:このときは高校生だったと思いますが、初めてリアルタイムで聴いたアルバムでした。このアルバムはすごい好きです。エレクトロニカから生バンドっぽくなった、バンドの歴史のなかでは回帰の作品なんですけど、Aメジャーのピアノのフレーズが好きすぎて。大体ピアノのショールームで試奏するときはこの、ど頭のフレーズを弾いてますね。ほかの人はみんなショパンとか弾いてるのに(笑)。それぐらい好きな曲です。

『MOTORING MUSIC』では月替わりのゲストが大好きな音楽を選曲。音楽の話から個性を感じるプログラム。放送は毎週金曜日の16時から。
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「たとえ」は伝える時代から調べる時代に!? 「わからない」ではもったいない!

7月6日の「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」(文化放送)は「伝わらないたとえ」を特集した。世代ではない、詳しくない、など「伝わらない」の種類も様々。出演者たちはどういった比喩に普段から触れているのか。

西川あやの「おふたりはわからなかった、伝わらなかった、あるいは『使っている』たとえなどありますか?」

大島育宙「僕は芸人さんのトークライブなんかでマジメな雰囲気になったとき『大学のゼミみたいですね』と言ったら『大学行ってへんからゼミとかわからん』『大学たとえ、すな』みたいにツッコまれて。単位が……と言おうものなら『大学のことわからへん!』みたいに拒絶されることがあります」

西川「確かに行かないとわからないですもんね」

大島「そんなにゼミがなかったので僕も『知ったか』で使っている比喩ではあるんです。わからない側の人はすごく拒絶するというか、『わかんねえよ!』とツッコんでくる。それはそれで盛り上がるんですが」

永井玲衣「私は最近、友達が水泳を始めたんです。より速く泳ぐためにどうすればいいか検索したら『バタ足はうちわのように動かしてください』とあって。『これってなんだと思う?』と聞かれて『うちわのように、ってそれはこちらのさじ加減では?』と。ゆっくり扇ぐときもあれば、酢飯を冷ますときみたいにバタバタと使うときもあるじゃないですか。体の動きを説明するときってたとえが多用されるけど、全然わからないっていう(笑)」

大島「うちわは根元をパタパタさせた結果、先端が動く。足の先端には力を入れないよ、っていう意味じゃないですか?」

永井「めちゃくちゃ頭いい……!」

西川「確かにうちわって、柄の部分を少し動かすだけでバタバタとできますもんね。たとえの通訳、すごく上手いじゃないですか!」

大島「そう。だから知らないものもたとえに使える(笑)。思い出しましたけど、料理を作るときの『耳たぶぐらいの柔らかさ』とか『東京ドーム何個分』とか、永遠にツッコまれている伝わらないたとえですね」

西川「人肌ぐらいの温かさ、とか」

大島「人によって違うよ、冬の爪先、冷たいよ、っていう」

わからないたとえを多く聞くであろう若者世代に永井や大島がこう提案する。

永井「たとえって共通の体験みたいなものをもとにしていて。いま令和になってそういう体験もどんどん減ってきている。たとえも絶滅しつつあるんですけど、『保護する』みたいな観点で向き合うのもいいかもしれませんね」

大島「たとえがわからなかったとき、僕ら(90年代前半生まれ)より若い世代って『わかんないっすよ』『おじさんたとえヤだ!』と否定しがちですけど、昔の文化を学ぶためのきっかけにするとか。百人一首なんかを勉強するときに『こういう前提があって……』という古典知識がおもしろかったじゃないですか」

西川「背景を知るという」

大島「上の世代のカルチャーを知る入り口として、比喩っていいんじゃないかと思いますね」

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